3 日 目 浪江・双葉・大野・夜ノ森・富岡
双葉の原子力災害伝承館へ |
上左 朝食はビュッフェ方式。マスク、ポリエチレン手袋をしてだが、全部ビュッフェというのは久しぶりだ。 上右 レストラン内。ほとんどのテーブルは真ん中をアクリル板で仕切っているが、仕切りなしのテーブルも少しある。 左 碁盤の目型のトレーははじめただ。ほとんどの種類をいただく。 |
コーヒーとフルーツ。 原ノ町は、ホテルに泊まったというだけで、雨のために夕食に出かけることもできなかった。いつか、街歩きもしてみたいと思う。 |
上左 3月14日は常磐線の全線で運転再開され、9年ぶりに常磐線が全通した日。運転の始まった駅もSuicaが使えるようになった。 上右 浪江以南は首都圏エリアで小高以北は仙台エリアで両エリアをまたがっては利用できない。 この時は、双葉まで乗車だったので、切符を購入。この日は、その後はずっと首都圏内エリア内の移動なので、相互利用できるICOCAを使った。 左 電車は仙台地区では見かけなかった交直流電車であった、原ノ町で電車は完全に入れ替わり、普通電車は原ノ町を挟んで行き来しないダイヤになっている。 |
水戸行き。三陸海岸の旅の延長の感覚があったから、ずいぶん遠くまでやってきた感が強い。 |
最初に乗り込んだ車両はロングシートだったので、前方へ移動。セミクロスシート車を利用。 このあと、最後まで不通だった浪江〜富岡の20qほどの区間の全駅で下車する。 列車本数が少ないことがあり、双葉、大野、夜ノ森と進んだ後、浪江に戻り、最後が富岡と回る。 |
15分ほどで浪江。ここからが最後まで不通だった区間だ。さらに5分ほどで双葉。 |
双葉は、島式ホーム1面の両側に線路がある。 写真で駅舎のある側のホームはフェンスがはられている。また、線路も撤去されている。緊急時に道路として利用できるようになっている。 運転再開された区間はかつては複線だったが、単線にして、一方の線路敷は緊急時の道路として舗装してあった。 |
上左 跨線橋の上にで券売機がおかれている。無人駅で、簡易型のIC読み取り機が設置されている。 上右 線路の右側に線路跡の道路が写っている。 左 これから向かう「東日本大震災・原子力災害伝承館」の案内。開館は訪問の1週間ほど前だった。 このときは徒歩で向かったが、その約1か月後に双葉駅からシャトルバスが運行されるようになった。当面はバスは無料だという。 |
上左 右側が現駅舎。左側は震災前の駅舎。駅舎としては使われていないが、カフェになっている。手洗いもこちらの旧駅舎にある。 上右 旧駅舎の時計は地震の時刻で止っている。 左 駅前の旧商店街。帰還困難地域ではなくなっているので、フェンスがなく、建物内に入れるが、居住はできない。そのため時間が停止して、昔のままの姿で街が残っている感じ。 |
300mほどの商店街が終わるところ。国道側からは入口になる。 ここにかつて「原子力明るい未来のエネルギー」と書かれたアーチ状の看板が掲げられていた。国道を走る車から見えるように、ここに掲示されたのだろう。 |
両側、何もないようなところを30分ほど歩き続けた。 |
30分ほど歩いて「東日本大震災・原子力災害伝承館」に到着。 前日に菅総理が訪問したときのニュースで建物や展示室の一部などは報道を見た通りだった。 開館の9時直後に入ったのですいていたのだが、語り部のお話も含めて2時間見学し帰るときには混雑していた。 残念だったのは、撮影が禁止だったこと。特に個人情報や秘密的な内容はなかったのだが。 |
1階の一部。津波対策で展示は2階でおこなわれていた。 2時間見学した後、再び30分かけて双葉駅まで歩いた。 |
帰還困難地域が広がる大野、夜ノ森 |
列車本数の少ないエリアなので、効率的に移動するため、双葉から大野まで、1駅だけだが特急「ひたち」を利用した。 下左 普通電車なら190円の区間だが、特急券が760円必要だ。なお「ひたち」は全車指定なので、指定券を買った。 下右 車内。すいていて、自由席があれば、自由席で十分だが。 |
上左 もともと複線だった区間だが、単線にして、緊急用の道路を線路の横に確保している。 上右 頭上にはランプがあり、緑は指定席発売済み、オレンジは指定席が発売されていないことを表す。自分の場合は発車の10分ほど前に指定券を購入したが、発売と同時に席情報がは反映されているようだ。 左 1駅間なので、アッという間に大野に到着。島式ホームだが、片面だけ使われ、もう一方の側は道路になっていて、フェンスが設けられている。 |
上左 大野の駅名標。駅名は大野だが、町名は大熊町だ。 上右 駅の出入口。この駅も無人駅だった。 左 東口広場から出ている道の一つ。帰還困難地域のためフェンスで通行できなくなっている。 |
大野駅の東口。東口広場からは、3つの方向へ道路があるが、2つはフェンスでしきられていて、1つだけ車は通行可能だが歩けないという道路になっている。 下左 フェンスで通れなくなっている道路。 下右 この道路だけは車は通れるが、歩行者などは通れない。 |
大野駅の西口。西口には商店だった建物も多くあり、こちらが駅の表口だったようだ。 下左、下右 西口からも何本かの道路が出ているのだが、周囲のほとんぢは帰還困難地域で、1本の道路を除いてフェンスによって通れなくなっていた。 |
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1本の道路だけは、通れるようになっていた。歩道も通れる。 もっとも、道路に沿って並ぶ住宅の前にはフェンスが置かれていて、住宅には入れない。 この道路を進めば4,5qで町役場に達する。町役場などと駅のルートを確保するため、この道路だけは帰還困難地域外とされたのだろう。 |
西口広場にはバス停があった。町民バスのバス停だった。 ここから町役場を経て、富岡駅に向かうものだった。富岡駅にもバス停があり、大熊町のバスが乗り入れている。町民バスで無料なのだが、町民でなくても利用できる。 |
富岡駅行きは印のついていないバスだが、印のついている途中どまりのものも入れると、極端に少ないといわけでもない。 下左 大野に着いたいわき行きの電車。 下右 5分ほどで夜ノ森に到着。夜ノ森駅は島式ホームの両側を上下線に分けて利用していて、緊急用の道路はなかった。 |
夜ノ森駅の駅名標。 |
夜ノ森駅東口。 夜ノ森駅は広場がなく、駅をでると、直接、街中に入る。 |
東口付近では、道路は通れるが、建物の周囲にはフェンスが置かれ、入ることはできない。 |
夜ノ森といえば、桜並木で有名。桜並木は駅近くのいろいろな通りで見られるのだが、一番有名なのが、このフェンスの中。この先が桜並木になっている。 ここは、許可書を持つ車は入れるチェックポイントで、動かすことができるフェンスだ。 |
駅の東側の一定の区域は、道路だけが帰還困難区域外になっていた。その区域の外側は帰還困難区域なので、このうようにフェンスで閉鎖されているところが数多くあった。 |
道路に沿ってフェンスが張り巡らされ、住宅地には入れないので、震災当日の姿で残されている建物がたくさんあった。大野駅の周囲も同じ感じなのだろうが、広場の外に出られなかったのでわからなかった。 今回の旅と三陸海岸の旅で、各地の震災の爪痕をみたが、一番深刻で、やりきれない思いをもったのは、今なお帰還困難区域が残り、避難している人たちがいるということだった。 |
常磐線は夜ノ森駅の付近では切り通しの中を通っている。だから、常磐線の東側から西側に行くには、切り通しの渡る橋を渡るだけだ。 常磐線の西側は全面的に帰還困難区域が解除になっている。そのため新しい住宅もそこそこ見られる。 |
夜ノ森駅西口。 夜ノ森駅は、震災前は街のある東口だけあったのだが、運転再開時から西口もつくられた。 橋上駅だが、切り通しの関係で、券売機のあるところまでは緩いスロープでたどりつける。 帰還困難地域が広がる大野と夜ノ森に行ってみて違いに気づいた。 大野は、駅前広場から徒歩の場合は、ほとんどどこにも行けないのだ。唯一、町役場への道路だけ、バスが通り、歩くことができる。町の玄関機能のためにだけ、駅を営業している感じだ。 夜ノ森は、駅前広場がない。東口は近辺の道路は歩けるけど、建物は帰還困難地域。西口は、帰還困難区域じゃなくなり、少しづつ住む人が出てきているという感じ。 |
浪江焼きそばと富岡の廃炉資料館 |
夜ノ森からいったん浪江に逆戻り。電車の本数が少ないので、効率的に回るために行ったり来たりしたのだ。 写真は、夜ノ森から乗車し、浪江に着いた原ノ町行き。浪江では、いわき行きで富岡に向かうまでの1時間強で、浪江焼きそばをいただく。 |
浪江は、最後まで不通区間だった浪江〜富岡の中では唯一の駅員配置駅だ。ホームも駅舎に面した片面と両側に線路がある島式ホームがあり、この地域の拠点駅のようだ。 |
浪江駅から歩いて、食べる時間も入れ1時間ほどで駅に戻れそうな浪江焼きそばを出している店をネットで探しておいた。 写真は駅前から東に向かう道だが、寂しくて、営業しているかどうか、歩きだす前から心配だったが、実際に営業していなかった。 |
駅から北に向かう道。こちらの方向も、調べておいた店は廃業か営業休止中だった。 この地域も帰還困難地域になったことがあり、そのために疲弊。それでもネットで調べた店は、その後に営業をしていた店だろうから、住むことができるようになっても、営業は難しかったのだろう。加えてコロナ禍が追い打ちをかけたのだと思う。 |
調べていた店のうち、西に向かう道にある店は探さなかった。行っても営業していないと思ったので。 調べていた店のうち、1軒だけは絶対に営業していると思ったので、駅から遠く1km強あったのだがそこに向かった。道の駅なみえだ。 |
ここでは浪江焼きそばを出していた。他の客も浪江焼きそばを食べている客が多い。国道6号線沿いなのでにぎわっているのだろう。 ここは、食券を買えば、注文が調理場に入るようになっていて、番号をよばれたら食券と引き換える仕組みだった。これは初めてだ。 |
浪江焼きそば。 麺は太麺で、もやしが入っている。ソースは辛口。麺の上に豚肉を焼いたものがのっている。一味唐辛子をかけるのがよいらしく、かけてみた。 美味しくいただけた。づしても食べたかったのでよかった。有名店は原ノ町や遠く東京などにあるようだが、浪江にはない。出している店自体が、浪江には少ないこともわかった。かつては浪江焼きそばで町おこしをした。復興にうまく利用してほしいものだ。 |
何とか浪江焼きそばを食べることができた。でも、食べ終わるとすぐに駅に戻らねばならないので、忙しかった。なんとか浪江駅に発車数分前に戻った。つぎは富岡へ。 |
富岡に到着。小さな駅舎で無人駅。駅舎は震災時に津波で流出したんで新たに作られた。 2020年3月までは、富岡がいわき方面からの電車の終点で、浪江行きの代替バスが運行されていた、 ここから東京電力の廃炉資料館に向かう。 |
富岡町の中心部は駅から離れた場所であり、また、津波の浸水地域であった地域だ。そのためか寂しい感じの道を20分ほど歩いた。 新しい住宅が建てられている。廃炉作業をする人も多くすんでいるのだろうと思いながら歩いた。 |
廃炉資料館に到着。 なんだか明るい感じの建物で場違いだという第一印象を持った。 かつては、福島第2原発に近接していることから、「エネルギー館」という子供向けのPR施設だったようだ。その目的なら手てものの形や色は適しているのだが、、 |
見学はガイドに案内されて説明を受ける方法で、予約したのはこの日の最後の15時30分から16時30分までの回。 電車の時刻の関係で、15時はぎりぎり難しかったので、15時30分にしたのだが、15時過ぎに到着し、待合室で待った。 ここには簡単な説明パネルがあったが、午前中に行った双葉の原子力災害伝承館で見た内容とほぼ同じだった。 |
15時30分からの回は自分のほかに1人の見学者だった。説明は丁寧で、ビデオも見ながらだったので、1時間がアッという間だった。 残念だったのは、撮影は基本的に不可で、特に撮影してよいといわれたものだけ撮影可ということだった点だ。ここも、技術的な秘密や個人情報的なものはなかったのだが。 これは、床をビデオとして利用していたところで、イメージ的な内容だったからか、撮影してよいということだった。 |
撮影してよいという写真のコーナーがあった。 これは建屋がないところでの廃炉作業の外観。 |
廃炉作業で使われるロボットの写真。 |
展示場をイメージとして撮影。 1時間の説明で、自分の場合は、第1原発が事故で第2原発は無事だった理由がわかったのがよかった。また、事故当時の緊迫した状況を知れたことのもよかった。 現在、汚染水の処理が課題になっていることもあり、汚染水についてかなり詳しい説明があった。 |
富岡では、街を歩くこともなく、見学終了後は、きた道を引き返して駅へ。 いわき行きの電車に乗車。いわきまでは40分ほど。途中、Jビレッジがあり、駅もあるので気になっていたが、切り通しの中を通る状況だったので様子がよくわからなかった。 |
いわきに到着。右が乗車してきた電車。左は乗り継げる水戸行き。 下左 この日泊まる「ホテルルートインいわき」へ。 下右 部屋。すでに19時も回っていたので、ほとんど休憩せずに、夕食をとりにでた。 |
この日は日曜日で、居酒屋も閉まっているとk路が多く、開いていた店を探していわき駅から1分ほどの「赤ひょうたん」に向かった。 下左 店内。ほどほどの入りで、カウンターも なんとか1席あった状態。 下右 生ビールとお通し。 |
あかムツ刺身。 あかムツが何か知らなくて、のどぐろのことだと後でわかった。溶けるような美味しさだったのだが、別名を聞いてなるほどという感じ。 値段が高くて迷っていたら、1人前もしますということで、メニューの値の半分ほどで食べさせてもらえた。 |
めひかり唐揚げ。 いわき市が水揚げ日本一だそうだ。骨も皮も柔らかくて食べやすい。 |
左左、左右 冷酒で「弥右衛門」。醸造元は喜多方市の大和川酒造。 |
本マグロ山かけ。 |
豚汁とご飯。 美味しくいただいてホテルに戻った。 |
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