3 日 目 知 覧 ・ 枕 崎
知 覧 |
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![]() 下左 このホテルでも鶏飯(けいはん)が出されていた。 下右 鶏飯の食べ方の説明。 |
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![]() 前日泊ったホテルの鶏飯と少し違っている点がある。錦糸卵が細切りのたくわんになり、鶏ささみ肉を茶碗に置く方法から出しに含まれているものに変わった。 |
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![]() それにしても、鹿児島のホテルでは朝食で、鶏飯とカレーを出すっていうのが一般的なのかな。 |
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![]() 下左 乗車した知覧行きのバス。 下右 車内。 |
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![]() 今回は、少し手前の武家屋敷入口で下車。武家屋敷も見学した後、1時間後のバスで特攻平和会館に向かう。武家屋敷は知覧の中心にあり、特攻平和会館は4kmほど先にある。 |
![]() 庭園を見学できる箇所は7か所ある。観覧料を払うとパンフレットを渡されるので、パンフレットを見せて入場する。 |
![]() 薩摩藩は、鹿児島の鶴丸城以外に、藩内に8ヶ所の外城を作ることが認められた。外城のそばには麓とよばれる城下町ができた。そこには武家屋敷通りもあったわけだ。知覧にも麓があり、ここが知覧の中心。(合併で、南九州市になっている。) |
![]() 佐多美舟氏邸の門。、門を入るとすぐに、中が見えないように石垣がある。沖縄でよく見る入口だ。 |
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![]() 下左 石敢當。三叉路の突き当りに建てられていて、魔物が屋敷内に入らないようにするためのまじない的なもの。沖縄でも見かけるものだ。 石の向こうの森は稽古所跡。武士の子弟が学問、武術を学んだ。 |
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![]() 鹿児島県は茶の生産では静岡県に次いで日本2位。主な生産地は知覧から枕崎にかけての南薩台地。 左 バスの通る大通り沿いの水路には錦鯉が泳いでいる一角があった。 |
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![]() まもなく知覧のバス営業所らしきところへ入る。あっ、かつて鹿児島交通の鉄道路線が知覧へ伸びていたことを思い出した。ここが知覧駅だったと思った。 上右 特攻観音着。特攻平和会館へ行く途中に知覧茶のオブジェ。 左 バス停から5分ほど歩いて特攻平和会館に到着。ミュージアム知覧との共通券を買って入場。どちらも南九州市が設置。 |
![]() 特攻隊員の遺書や手紙、遺影、遺品が展示されている。遺書や手紙をかなり読んだが、胸に迫ってくるものがあり、読むだけでかなり時間を要した。 特攻平和会館の周囲にはほかの見学箇所もあり、2時間で見て回るのは無理だった。機会があれば再訪問も考えている。 |
![]() 特攻が行われた経緯や特攻隊員の生活などの展示など文字によるものが多く、見学に時間がかかった。 |
![]() 写真は三角兵舎。 特攻隊員が最後の夜を過ごした兵舎。森の中にあり、半地下になっていて、屋根だけが見える。空襲のさいにわかりにくくするための偽装。もともとは飛行場にあったが、会館のそばに復元したもの。 |
![]() 隊員が出撃の前夜、ここで遺書を書いたりしたということで、胸がつまった。 下左 知覧護国神社。 下右 知覧特攻平和観音。 |
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![]() 上右 特攻勇士の像に向かい合うように建っている母の像。 左 赤線は会館の近辺の戦争遺跡を巡るルート。まったく時間がなく、行けてない。ここを回るだけでも再度訪問してみたい。 |
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![]() 一方、トメさんの食堂を引き継いだのが、会館近くにある知覧茶屋。ここで昼食をとりたかったのだが、枕崎行きバスの時刻がせまり、ここで食べることはできなかった。 特攻平和会館では、館内見学に時間がかかり、館外の見学箇所が多く、時間不足で、2時間では十分回り切れなかった。台風14号接近のため、旅行日程を変え、飛行機や宿の予約を変更するのに忙しく、下調べができなかったのが原因。 |
枕 崎 |
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![]() 上右 枕崎行きのバス。便数が少ないので、見学時間不足でもこのバスに乗らざるを得ない。 左 2、3分で消防署のあたりを通過。この付近に滑走路があり、特攻機が飛んでいった。この付近の道路沿いには石灯籠が並んでたっていた。供養の目的だろう。 |
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![]() 上右 バス停から100mほど離れたところに枕崎駅があった。 かつて枕崎駅はバス停の位置にあった。当時は鹿児島交通も乗り入れており、駅舎は鹿児島交通のものだった。その後、鹿児島交通線が廃止された後も駅舎は残ったが、やがて取り壊された。そして後日、駅が現在の位置に移転し、駅舎もいったんなくなったが、その後、現在の駅舎がつくられた。 左 駅舎の正面。 |
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![]() バスが停車しているのが、バス停。その左に灯台風の塔が見える。 |
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![]() 1983(昭和58)年に豪雨のため不通になり、翌年廃止された。自分は、その5年ほど前に乗車していた。国鉄鹿児島本線の伊集院から鹿児島交通で枕崎にいたり、そのまま国鉄指宿枕崎線で西鹿児島(現・鹿児島中央)に向かった。 |
![]() 結構充実した内容でああった。 |
![]() 下左 魚の水揚げ場所。朝はにぎわっているのだろうけど、行ったときには何もないような状態。 下左 朝市直売所もこの時間は閉鎖されていた。 |
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![]() 上右 2階のレストランへ。遅い昼食をとる。 左 刺身定食。刺身は思っていたほどの量はなかったが、右上の器のぶりのあら煮の存在感が大きい。骨をとる必要もあり、食べるのにも時間を要した。 |
![]() 下左 焼酎「さつま白波」の醸造元である「薩摩酒造」の明治蔵へ。塔があるのが特徴。 |
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![]() 見学コースの最後には試飲コーナーもあるとのことだったが、試飲は中止だった。 左 塔の上まで上った。手前は明治蔵で、川の向こう側が枕崎市街。 |
![]() 下左 枕崎では主要道路に沿って、いろいろな彫刻が展示されている。 |
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![]() 駅名標の絵は立神岩。 左 鹿児島中央行きの列車。この列車の出発直後にバスが出るのだが、バスの方が1時間ほど早くつくし、運賃も安いのでバスを利用する。それで、列車が出発するのを見送った。 |
![]() 出発を見送っあとすぐにバス停に向かった。 |
![]() 下左 客は数人。枕崎から乗った客はほとんど自分が下りた谷山か、それ以遠へ行った。枕崎から鹿児島へは鉄道よりバスだということを確認。 下右 しばらくは「枕崎かつを街道」という愛称の標識があった。 |
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![]() 上右 駅舎の中から出発。ここからの系統は1系統で中央駅には行かない。天文館まで乗車。 左 「吾愛人」という居酒屋へ。 |
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![]() 上右 生ビールとお通し。 左 めひかりの刺身。 |
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![]() この日は昼食を食べる時間が遅く、あまり腹が減っていなかったので、これで切り上げて、路面電車でホテルに戻った。 |
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