3 日 目 知 覧 ・ 枕 崎
知 覧 |
朝食会場は1階にある「驛亭」。昼、夜はホテル客以外を受け入れるため、ホテル外から直接出入りできるようになっている。 |
このホテルの場合も一時は定食方式になっていたようだが、泊まった日にはビュッフェ方式になっていた。 下左 このホテルでも鶏飯(けいはん)が出されていた。 下右 鶏飯の食べ方の説明。 |
できあがった鶏飯。 前日泊ったホテルの鶏飯と少し違っている点がある。錦糸卵が細切りのたくわんになり、鶏ささみ肉を茶碗に置く方法から出しに含まれているものに変わった。 |
ビュッフェでいただいたもの。写真ではわかりにくいが、9マスの右下がさつまあげで鹿児島らしい感じ。 |
カレーもあった。やや小ぶりの皿なのだが、鶏飯とカレーをいただくと満腹になり、前日は昼食抜きにした。この日は、鶏飯もカレーも少し量を少な目にしておいた。 それにしても、鹿児島のホテルでは朝食で、鶏飯とカレーを出すっていうのが一般的なのかな。 |
デザートと飲物。 |
ホテルはJR駅の西口側にあるのだが、東口側のバスターミナルへ。知覧行きが出る乗場に行くと長い列ができていた。でも、ほぼ同時刻に別の行先のバスがほとんどがそちらのバスに乗車。乗ったバスはすいていた。 下左 乗車した知覧行きのバス。 下右 車内。 |
乗車したバスは、特攻観音行きで、この日一番行ってみたい特攻平和会館も特攻観音とほぼ同じ場所にある。 今回は、少し手前の武家屋敷入口で下車。武家屋敷も見学した後、1時間後のバスで特攻平和会館に向かう。武家屋敷は知覧の中心にあり、特攻平和会館は4kmほど先にある。 |
地図の下の赤線はバスの通る道路。上の赤線が武家屋敷の通り。端から端まで700mなので、1時間で往復してみる。 庭園を見学できる箇所は7か所ある。観覧料を払うとパンフレットを渡されるので、パンフレットを見せて入場する。 |
武家屋敷の面する通り。両側に石垣と植え込みが続いている。 薩摩藩は、鹿児島の鶴丸城以外に、藩内に8ヶ所の外城を作ることが認められた。外城のそばには麓とよばれる城下町ができた。そこには武家屋敷通りもあったわけだ。知覧にも麓があり、ここが知覧の中心。(合併で、南九州市になっている。) |
見学した武家屋敷の中で特徴のあるものをあげておく。(1つの武家屋敷ではなく、いくつかの屋敷をとりあげてある。また、見学した順でない。) 佐多美舟氏邸の門。、門を入るとすぐに、中が見えないように石垣がある。沖縄でよく見る入口だ。 |
庭園の中では、植栽や石で”にぎやか”な感じだった佐多直忠氏邸の庭園。またここが一番広い庭園であった。 |
建物内は見られないところが多かったが、開放されていた。武家造りなのだろう。平山亮一氏邸。 |
中はこんな感じで、障子を開けて、部屋を続けるとかなり広い。 下左 石敢當。三叉路の突き当りに建てられていて、魔物が屋敷内に入らないようにするためのまじない的なもの。沖縄でも見かけるものだ。 石の向こうの森は稽古所跡。武士の子弟が学問、武術を学んだ。 |
上右 休憩所で知覧茶と菓子のセットをいただこうかと思ったが時間がなかった。知覧茶のペットボトルを売っていたので買った。 鹿児島県は茶の生産では静岡県に次いで日本2位。主な生産地は知覧から枕崎にかけての南薩台地。 左 バスの通る大通り沿いの水路には錦鯉が泳いでいる一角があった。 |
上左 南九州市役所の前を通過。 まもなく知覧のバス営業所らしきところへ入る。あっ、かつて鹿児島交通の鉄道路線が知覧へ伸びていたことを思い出した。ここが知覧駅だったと思った。 上右 特攻観音着。特攻平和会館へ行く途中に知覧茶のオブジェ。 左 バス停から5分ほど歩いて特攻平和会館に到着。ミュージアム知覧との共通券を買って入場。どちらも南九州市が設置。 |
会館内はロビーとゼロ戦展示室などを除いてほとんど撮影禁止だった。写真はロビーで、写真の中央に展示室の入口がある。 特攻隊員の遺書や手紙、遺影、遺品が展示されている。遺書や手紙をかなり読んだが、胸に迫ってくるものがあり、読むだけでかなり時間を要した。 特攻平和会館の周囲にはほかの見学箇所もあり、2時間で見て回るのは無理だった。機会があれば再訪問も考えている。 |
飛行機の展示は、この引き上げられたゼロ戦以外にもあったが、撮影できたのはゼロ戦だけだった。 特攻が行われた経緯や特攻隊員の生活などの展示など文字によるものが多く、見学に時間がかかった。 |
館内の見学を終え、館外を見て歩く。特攻平和会館の隣にミュージアム知覧があり、知覧の歴史、民俗の展示をしている。せっかく共通券を買ったのだが、ほとんど通過しただけで、先を急ぐ。 写真は三角兵舎。 特攻隊員が最後の夜を過ごした兵舎。森の中にあり、半地下になっていて、屋根だけが見える。空襲のさいにわかりにくくするための偽装。もともとは飛行場にあったが、会館のそばに復元したもの。 |
三角兵舎の内部。 隊員が出撃の前夜、ここで遺書を書いたりしたということで、胸がつまった。 下左 知覧護国神社。 下右 知覧特攻平和観音。 |
上左 特攻勇士の像。像の横には航空自衛隊の練習機が置かれていたが、特攻とは無関係なので、どうしてかなと思う。 上右 特攻勇士の像に向かい合うように建っている母の像。 左 赤線は会館の近辺の戦争遺跡を巡るルート。まったく時間がなく、行けてない。ここを回るだけでも再度訪問してみたい。 |
グランドの端(地図の現在地の付近)から反対側の端を見ると、弾薬庫は見えた。住宅地の中に戦争遺跡が残されているようだ。ほかに給水塔も上部だけ見えたが、住宅があるので、よくは見えなかった。 |
特攻の母として、隊員から慕われていた鳥濱トメさん。トメさんの食堂は知覧の中心部で資料館になっている。機会があれば行ってみたい。 一方、トメさんの食堂を引き継いだのが、会館近くにある知覧茶屋。ここで昼食をとりたかったのだが、枕崎行きバスの時刻がせまり、ここで食べることはできなかった。 特攻平和会館では、館内見学に時間がかかり、館外の見学箇所が多く、時間不足で、2時間では十分回り切れなかった。台風14号接近のため、旅行日程を変え、飛行機や宿の予約を変更するのに忙しく、下調べができなかったのが原因。 |
枕 崎 |
上左 特攻観音入口のバス停。特攻平和会館の最寄バス停。 上右 枕崎行きのバス。便数が少ないので、見学時間不足でもこのバスに乗らざるを得ない。 左 2、3分で消防署のあたりを通過。この付近に滑走路があり、特攻機が飛んでいった。この付近の道路沿いには石灯籠が並んでたっていた。供養の目的だろう。 |
上左 枕崎に到着。バス停の前に、灯台風の塔があり「日本最南端の始発・終着駅枕崎」と書いてある。 上右 バス停から100mほど離れたところに枕崎駅があった。 かつて枕崎駅はバス停の位置にあった。当時は鹿児島交通も乗り入れており、駅舎は鹿児島交通のものだった。その後、鹿児島交通線が廃止された後も駅舎は残ったが、やがて取り壊された。そして後日、駅が現在の位置に移転し、駅舎もいったんなくなったが、その後、現在の駅舎がつくられた。 左 駅舎の正面。 |
駅舎の内部。一室だけで待合室として利用されている。 |
ホーム。 |
線路の先端。以前はこの先100mほど線路が伸びていた。 |
途切れている線路の先には広場があった。この付近にかつての駅があったはずだ。 バスが停車しているのが、バス停。その左に灯台風の塔が見える。 |
駅を見たあと、街歩きに出発。歩いている人はなく、車もあまり通らない街だ。 |
少し歩くと、1階部分が奥まり、2階がの下に展示スペースが設けられ、かつて走っていた鹿児島鉄道南薩線のパネルが設置されていた。 1983(昭和58)年に豪雨のため不通になり、翌年廃止された。自分は、その5年ほど前に乗車していた。国鉄鹿児島本線の伊集院から鹿児島交通で枕崎にいたり、そのまま国鉄指宿枕崎線で西鹿児島(現・鹿児島中央)に向かった。 |
自分が乗車したときもこの気動車だった。前面が弧を描いた顔でオレンジ色の塗色に青線。乗ったときのことを思い出した。 結構充実した内容でああった。 |
海の方向に歩き、漁港に到着。 下左 魚の水揚げ場所。朝はにぎわっているのだろうけど、行ったときには何もないような状態。 下左 朝市直売所もこの時間は閉鎖されていた。 |
上左 枕崎お魚センター。1階は水産物などの売場。 上右 2階のレストランへ。遅い昼食をとる。 左 刺身定食。刺身は思っていたほどの量はなかったが、右上の器のぶりのあら煮の存在感が大きい。骨をとる必要もあり、食べるのにも時間を要した。 |
海岸からは、火之神公園と少し沖合にある立神岩がよく見えた。海岸から300m離れているのだが、そこまではよくわからない。 下左 焼酎「さつま白波」の醸造元である「薩摩酒造」の明治蔵へ。塔があるのが特徴。 |
上右 見学コースは充実していて、予想以上に時間がかかり、鹿児島行きのバスに間に合うか心配になったほどだ。 見学コースの最後には試飲コーナーもあるとのことだったが、試飲は中止だった。 左 塔の上まで上った。手前は明治蔵で、川の向こう側が枕崎市街。 |
かつおぶし工場もあちこちにあった。停車中の軽トラックにはかつおが大量に積まれていた。 下左 枕崎では主要道路に沿って、いろいろな彫刻が展示されている。 |
上右 バスに間にあい、さらにその直前に出発する列車も見送ることができた。 駅名標の絵は立神岩。 左 鹿児島中央行きの列車。この列車の出発直後にバスが出るのだが、バスの方が1時間ほど早くつくし、運賃も安いのでバスを利用する。それで、列車が出発するのを見送った。 |
車内。国鉄時代から使われているキハ47系。JR九州ではキハ47系は、白に青線というのがほとんどのようだ。車内も国鉄時代のままの標準的な近郊車両という感じ。 出発を見送っあとすぐにバス停に向かった。 |
バス停から鹿児島行きのバスに乗車。 下左 客は数人。枕崎から乗った客はほとんど自分が下りた谷山か、それ以遠へ行った。枕崎から鹿児島へは鉄道よりバスだということを確認。 下右 しばらくは「枕崎かつを街道」という愛称の標識があった。 |
上左 バスを谷山で下車、路面電車の乗場へ。ここは駅舎がある。 上右 駅舎の中から出発。ここからの系統は1系統で中央駅には行かない。天文館まで乗車。 左 「吾愛人」という居酒屋へ。 |
上左 店内。最近、移転してきたようで新しい店だ。 上右 生ビールとお通し。 左 めひかりの刺身。 |
串焼き。きびなご、豚バラ、ねぎま。 |
左左、左右 芋焼酎「あらわざ桜島」。本坊酒造製。本社は鹿児島市だが、蔵は各地にあり、山梨県にワイナリーもある。ワインをつくっているせいか、この焼酎もラベルにはARAWAZAとも書かれている。 |
おでん。たまご、黒豚三枚身、牛すじ。牛すじもとても柔らかい。 この日は昼食を食べる時間が遅く、あまり腹が減っていなかったので、これで切り上げて、路面電車でホテルに戻った。 |
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