2 日 目 外 海(そとめ)
外海の大野集落 |
![]() ビュッフェ方式になっていたが、小皿に盛られたものをとっていく方式で。小皿は1枚1枚、ラップをかけてあった。 |
![]() ミニサイズの皿うどんもある。あんをかけるのは店員がやっていた。 |
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![]() 左 せいろには小皿に取り分けたしゅうまいなど3個が入っていた。 |
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![]() 上右・・・えびチリソース 下左・・・八宝菜 下の真中・・・トルコライス 下右・・・皿うどん 中華メインのビュッフェ朝食だ。 |
![]() 中華風のデザートの仙草ゼリーまででてきたのにはびっくり。 |
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![]() 桜の里ターミナル行きは割と本数があるのだが、外海地区に向かう場合は、外海方面への接続が明記されている便に乗るべき。乗車したときも接続便の少し前に、桜の里ターミナル行きがあったのだが、経由が違っていたので乗らなかった。 |
![]() ここで、さいかい交通のバスに乗り換え。この乗換はスムーズすぎる。さいかい交通のバスが長崎バスがターミナルに入るのを見て、動き出すので、乗り換え時間はわずか。トイレに行くのも気を付けないといけない。 |
![]() 下左 25分ほど乗車して、あとで訪れる出津(しづ)を通過。そして5分で大野に到着した。 下右 坂道の車道を5分ほど上る。 |
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![]() 駐車場からは、池島が見えた。ここは、翌日行く予定の高島や以前訪問した端島(軍艦島)の世界遺産の島と同じく、もとは炭鉱があった島。世界遺産ではないが、別の機会に行きたい。今回は行かなかったのは、大野と出津に行くと、時間的に無理だったため。 |
![]() 長崎県にある世界遺産の教会は、大浦天主堂を除き、事前に訪問を申し込む必要がある。ここは、10時から10時30分で予約した。 大野を先にして、あとで出津に行く予約にした。大野はあまり見るところがないが、出津は教会以外にも見るべきところがあって、時間が読めなかったからだ。 |
![]() 教会内は入れず、開いている窓から中を見る。また、ほかの教会もなのだが、内部の撮影は禁止。 |
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![]() 潜伏キリシタンが、人目を避けて、急崖のある地で生活するためにつくられたようだ。 |
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![]() 大野集落は、集落全体が世界遺産になっていて、教会だけではなく、石積みの段や神社も世界遺産だ。潜伏キリシタンの生活した跡が世界遺産ということで、教会は、潜伏期が終わったあとにできた象徴的なものという扱いだ。 この点は、誤解されていることが多いと思う。自分も最初は教会が世界遺産だと思っていたので。「潜伏キリシタン」関連では12ヶ所が指定されているが、原城跡と大浦天主堂以外は、集落全体が世界遺産になっている。 |
外海の出津集落 |
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![]() 車が写っているが、ここに管理人さんが乗っていて、訪問をチェックしていた。内部の見学もできたが、撮影は禁止。 |
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![]() 上右 鐘楼の上にあるキリスト像。 左 教会の裏手に、この教会の建設や出津地区の振興に尽力したドロ神父の像があった。 |
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![]() ドロ神父が出津で住民に伝えた技術や教会で使ったものなどを展示している。 かつては、出津救助院の一部で鰯網工場として使われていた。 |
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![]() ドロ神父が私財を出して作った女性のための作業場。織物、そうめん、マカロニなどの工場があった。なかでもマカロニは日本初の工場だし、そうめんは今もこの地の名産品になっている。 |
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![]() そこにはハルモニウムというオルガンの一種があった。初心者でも簡単に和音を利用した演奏ができると、シスターが実演してくれた。 |
![]() 出津救助院で時間をかけたので、バスの時刻が迫り、大急ぎで見学した。潜伏キリシタンやドロ神父関係の展示室は詳しく見たのだが、古来からの外海地区の漁業や農業の展示室や縄文遺跡の展示室は足早に通過した。 |
![]() 遠藤周作の「沈黙」は外海が舞台になった。その記念碑。 |
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![]() 上右 「出津文化村」バス停。 左 バスから見えた出津教会。左端に救助院や資料館が見える。 |
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![]() 下左 ビュッフェではサラダと「ドロさまそうめん」もいただく。ドロ神父がそうめんつくりを指導した影響で、この地のそうめんは「ドロさまそうめん」と呼ばれる。 下右 デザート類もビュッフェで。 |
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![]() 下左 バス停まで走って乗った桜の里ターミナル行きのバス。 下右 桜の里ターミナルで長崎新地ターミナル行きに乗り継ぐ。 |
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長崎市内を観光し、吉宗で夕食 |
![]() 浜町界隈では、「吉宗」で夕食をとる予定なので、二度手間になるが、角煮まんで有名な「こじま」に行った。この店は、閉店時間が早く、「吉宗」に行く時では、すでに閉まっているからだ。 |
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![]() 似たものを台湾の屋台で食べたことがあるが、日本でははじめて。 |
![]() すぐ、道路より下ったところに「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産になっている小菅修船場の跡があった。 レールで船を引き上げて修理をしたドッグ。 |
![]() この小屋は現存する日本最古のレンガ造りの建物らしい。 明治元年にできたもので、日本の近代造船所のはじまりといわれる。 |
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![]() 旧香港上海銀行長崎支店記念館だという。香港上海銀行が長崎支店をおいたのは1892年。この支店建物ができたのは1904年。しかし1931年に支店が閉鎖された。その後、1996年に記念館としてオープンし、2014年に孫文・梅屋庄吉ミュージアムを併設した。 |
![]() 昔の銀行のカウンターはほかでも見たが、同じような感じだ。この部分は自由に見られ、2階に上がるために入場料がいった。 |
![]() 梅屋庄吉は映画で財をなした人物で、日活の創始者の1人という。(日活とは、日本活動写真の略だと初めて知った) 梅屋は香港で孫文と知り合い、孫文を援助したという。孫文は宋慶齢と結婚し。披露宴をあげたのは東京の梅屋邸だった。こういったことも初めて知った。 |
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![]() 上右 店の奥に聖コルベ記念室があった。 左 アウシュヴィッツで他者の身代わりになって餓死刑を受けたポーランド人の聖人コルベ神父は、昭和初期の数年間、長崎で布教にあたった。 その際に、最初に使われた建物があった場所に記念室がある。 |
![]() ここは、火災後、土産物店とペンションが設けられたが、経営者が暖炉と煙突は残し、記念館を作ったという。ローマ法王からの表彰状もあった。 この旅行記を制作中、こことは別に聖コルベ記念館が蛍茶屋電停から1kmほど歩いたところにあることを知った。こちらもいずれ行こうと思う。 |
![]() 日本最古の教会で1863年にできた。国宝である唯一の教会。長い階段上にそびえる白い教会は美しい。 潜伏キリシタンは、この教会ができたことで、隠していた信仰を明らかにした。潜伏キリシタンの存在は、この教会ができて明らかになったことや、その後もキリシタン取り締まりが続いたのは、この旅で初めて知った。 この教会は昔、訪問したのだが、写真撮影したように思う。いつからか、長崎の教会はすべて内部の撮影は禁止になったようだ。ここは入場料が必要なのだが、ミサなどの時は、信者以外は入場ができなくなるようだ。 |
![]() 2015年と新しく、このときに浦上にキリシタン資料館ができたことも知った。いづれ訪問して見たいと思う。 |
![]() 天主堂のすぐ隣にあり、この日行ったばかりの出津で名前を知ったドロ神父が設計したという。 内部は旧大司教館とともにキリシタン資料館になっている。 |
![]() 神学校の写真の右下に、ここの2階の一部が写っている。2階を見学したあと、1階に下りるようになっていた。内部は、キリシタン資料館になっている。 設計はドロ神父で、施工したのは鉄川与作。この旅を続ける中、彼は多くの教会建設にあたったことを知った。 |
![]() 夕食は浜町アーケードを少し入り、折れ曲がったところの「吉宗」(よっそう)へ。”よしむね””きっそう”と読みたくなるが、”よっそう”と音訓混じった読みで難しい。kimcafeさんを通じて知った店だ。 下左 店内。奥の方の席に案内された。 下右 飲物は地酒の「六十餘州」。佐世保に近い波佐見町の今里酒造製だ。 |
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![]() ごくわずかだが卓袱料理にもでてくる鉢もあり、特に豚の角煮もついていたのがよかった。 下左 蒸し寿司。 下右 茶碗蒸し。この2つは、美味しいのだが、量が多くて少し飽きがきてしまうのが難。 お腹いっぱいになってホテルに戻った。 |
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