3 日 目 高島のあと福江へ
高 島 |
この日は午前に高島を往復し、昼食をとったあと福江に向かう。 まず朝食。会場の中華レストランへ。 |
前日とメニューを替える工夫をしている。えびチリソースにかえ、えびのオレンジマヨネーズソース、八宝菜にかえ、チンゲンサイ炒めだ。 |
ミニ皿うどんに替えて、ミニちゃんぽん。 また、せいろに入った点心3個も中身が違う。ミニトルコライスは、前日はご飯がチャーハンだったが、この日はトマトケチャップご飯だし、前日はトンカツを添えていたが、この日はハムカツ。 |
上の真中・・・点心3個 上右・・・チンゲンサイ炒め 下左・・・えびのオレンジマヨネーズソース 下の真中・・・トルコライス 下右・・・ちゃんぽん |
コーヒー、フルーツ、仙草ゼリー。 朝食後、チェックアウト。港に向かったが、港に行く途中に出島の横を通った。以前は、出島跡であったところに、建物が復元されてテーマパークのようになっている。ここも昼食のあと、行ってみるつもりだ。 |
長崎港ターミナルに到着。ここは、11年前に、まだ世界遺産になる前の軍艦島に行くために立ち寄って以来だ。 |
上左 高島への船の乗船券売場。 上右 往復券を購入した。 左 高島行きの船。 |
上左 船内。 上右 長崎港の入口で両側を結ぶ橋の下を通過。 左 高島に到着し、ターミナルで地図をもらったりして、島内散策に出発。船は折り返し出発。 |
上左 岩崎弥太郎の像。三菱財閥の創始者。グラバー商会が倒産後、高島炭鉱を買い取り発展させた。 上右 高島石炭資料館。もと高島炭鉱労働組合の建物を利用。1986年に閉山した高島炭鉱の歴史について展示。 左 坑道入口の上にあった三菱のマーク。 |
上左 仲山新坑の坑口跡。1935年に開坑した斜坑だが、1945年の空襲で排水ができなくなり水没し、廃坑になった。 上右 南洋井坑の排気口跡。1871年から1892年まで採炭。レンガで閉じられた排気口跡が残る。 左 この付近は百間崎というが、この地名は、百間(約180m)ある防波堤がつくられたことに由来する。 |
炭鉱労働者向けの住宅。廃屋になっている建物。 |
飛島の磯釣り公園へは橋がかかっている。 下左 三角溝。溝の底に平面がなく、2枚の石板が組み合わせてある溝。オランダ式側溝とよばれ、オランダと交易のあったところで見られる。 |
上左 北渓井坑跡。日本で最初に蒸気機関を利用して採掘を行った竪坑。1868年に開削されたが、海水が入り1872年に廃坑になった。ここは「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産になっている。 左 写真の左端真中付近の茶色の突起が竪坑跡。この広場全体に建物があった。茶色い線がブロックで描かれているが、これはトロッコの跡。 |
昭和49年写真では、この広場には建物が密集しているが、竪坑跡も写っている。 下左 グラバー別邸跡。今は陸続きだが、明治初期は島だった。 下右 丘を上がったところに建物があった。右端にグラバーの像がある。 |
グラバー別邸があるのは島の最北端。これから向かう軍艦島の見える丘は島の最南端。3qほど歩く。 少し引き返したところからグラバー別邸があったところが見えた。写真の左の真ん中の建物は養殖漁業の施設。 |
先ほど歩いたところを逆行し、港の近くも通りすぎて、島の南部へ。きれいな住宅が何棟か並んでいた。昔の炭鉱労働者向け住宅を改装したようで、突起の部分にエレベータが設置されているのがわかる。 |
昭和45年ごろの写真。左側に労働者向け住宅が写っている。その向こうに竪坑の巻き上げ機の塔が見える。 |
二子竪坑の跡。フェンスで囲まれているが、すきまから撮影。ここが長らく高島炭鉱のメインの坑口だったようだ。1986年まで採炭していたのもここ。しかし、案内板はないし、付近の整備も行われていない。 下左 二子竪坑の周辺。今は何もない。 下右 一部では太陽光発電のパネルが設置されていた。 |
上左 さらに南にすすむと軍艦島の見える丘があった。 上右 丘に上る道を歩いていくと、丘に上らなくても軍艦島が見えたので、丘には上がらなかった。 左 港に戻り、長崎に向かった。 |
ツル茶んのトルコライス、福江・松雪のちゃん麺 |
長崎港に戻ったあと、路面電車の大波止(おおはと)電停に急ぎ、思案橋まで乗車。近くにある喫茶「ツル茶ん」へと急いだ。電停からは1分。 長崎はトルコライス発祥の地とされるが、長崎で早くからトルコライスを出したのが「ツル茶ん」なのだ。(発祥とは店もいってない。)一方、長崎で最古の喫茶店とされる。 |
1階は満員であったので、2階へ案内された。2階はすいていて、窓際の席に着席。 さまざまなバリエーションのトルコライスがあるが、オリジナルのトルコライスを注文。 |
有名人のサインやこの店が紹介された新聞記事、昔の店の写真などで階段横の壁が埋まっていた。 |
運ばれてきたトルコライス。 デミグラスソースをかけたトンカツ、ピラフ、ナポリタンスパゲティ、生野菜をワンプレートにのせた洋食。どれも量が多く、美味しいのだが、食べるのに時間がかかるうえ、最後には飽きてくる。 なぜトルコライスという料理名なのかはよくわからない。そもそも豚肉料理であるトンカツは、イスラム教国トルコでは食べてはいけない食べ物だ。 この店は、ミルクセーキでも有名なのだが、このあと出島も見学して、福江行きの船に乗らねばならないので、ミルクセーキは別の機会に回すことにした。 |
ごく短区間だったが、思案橋から新地中華街まで路面電車に乗車。出島の見学時間をとるためだった。ここは2017年と、近年造られたところで、以前、長崎にきたときには単に出島跡の碑があっただけだ。 出島の東側の入口へ。ここから入場。入口のところの建物は、明治時代にできた出島神学校。鎖国期の出島にはなかったが、復元された。内部は資料館。 |
出島神学校の裏手にミニ出島があった。15分の1の大きさの模型だ。模型だと、海に張り出た島であることがわかるが、出島のミュージアムの範囲が、周囲全体が陸地になったためわからなくなっている。 |
左は、十四番蔵。蔵ごとに保管するものは違い、ここには砂糖などが保管されていた。 右は、乙名詰所。乙名は、出島の管理を行った役人。表門の正面にあり、行きかう人々を見張っていた。 |
カピタン部屋。オランダ商館長の屋敷。私邸であるとともに迎賓館としての役割もあった。 2階に玄関があり、玄関への階段が2方向からついているのが面白い。 階段以外は和風の建築だが、窓枠は薄い青緑色。カピタン部屋以外の建物でも窓枠は薄い青緑色の場合が多い。 |
内部は畳敷きの部屋と洋室がある。ここは畳敷きの広間だが、ふすまにあたる扉は洋風の扉で青緑色。 |
ダイニングルーム。畳敷きの部屋に洋風のテーブルと椅子を置いている。壁に張ってある紙のデザインは洋風。 |
メインストリート。 復元建物は、現在16の建物が作られているが、今も建設中のものもあり、増えていくようだ。 船は15時25分発。出島を出たのは15時5分。切符売場へ15時15分に着きたいので、少し走りながら長崎港ターミナルに向かった。 |
上左 なんとか10分前に切符売場に到着。予約しているので、名前をいうだけでよい。 五島のアルファベット表記のGOTOが見えるが、GOTOキャンペーンのことかと思えてしまった。五島内でGOTOの文字を見たときも同じ。 上右 切符。 左 乗船したジェットフォイル。 |
上左 船内。 上右 途中、中通島の奈良尾にまず到着する。そのあと福江に向かう。 左 福江に到着。 |
上左 港から15分ほど歩いて、この日から2泊する「五島第一ホテル」へ。 上右 玄関部分。 左 部屋。入室するとすぐに、古いビジネスホテルだなという感じがした。1時間ほど休憩。 |
夕食は居酒屋「友誠」のつもりだったが、入店すると満員。この日はあきらめ、翌日の18時30分に予約を入れた。 この日は、ホテルから1軒置いて、その隣にあった「松雪」に行った。 下左 店内。 下右 ビールとお通し。 |
ハコフグのみそ焼き。 五島の名物料理で必ず食べようと思っていたが、五島最初の夕食でいただいた。 ハコフグのお腹を切って、内臓を捨てる。身を取り出して、みそ、薬味と合わせて混ぜて、それをハコフグのお腹に戻し、アルミホイルで包んで焼いたもの。とても美味しかった。また食べたい。 |
左左 麦焼酎「五島麦」を水割りで。 左右 「五島麦」は青い瓶に入っている。五島市三井楽町(福江島の北側)の五島列島酒造製。 |
大根の唐揚げ。 大根の唐揚げって聞いたことも見たこともなかったので注文してみた。 醤油につけて下味がつけてあることもあって、柔らかくて美味しい。フライド大根って感じのものを想像していたが、ちょっと違った。 |
ちゃん麺。 ちゃんぽんのことかなと思い尋ねたら、ちゃんぽんとは違うといわれ注文した。 ちゃんぽんは、鶏ガラと豚骨のスープで白濁している。これは、醤油味の透明なスープ。 ちゃんぽんの太麺ではなく、ラーメンと同じ太さ。ちゃんぽんは麺を煮込むが、これは麺をゆでて後でスープをかけるラーメンと同じ作り方。 ちゃんぽんの具は、数種の具を混ぜて煮るが、これは、具を個別にゆでて(煮るのじゃなく)あり、ラーメンに似ている。 ちゃんぽんとは全く違い、ラーメン、しかも和風ラーメンの感じだ。 |
間寛平のサイン色紙があった。場所からして、間寛平も五島第一ホテルに泊まったのだろうか。 |
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