4 日 目 福 江 島
ルルドと断崖絶壁を見、きびなごを賞味 |
![]() 現在の五島市の中心は旧福江市。福江島は、以前は福江市のほか4つの町から成り立っていたし、それらの町と別の島が合わさって五島市になった。 |
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![]() 第一ホテルから5分ほどのところに五島自動車の経営によるカンパーナホテルという大きなホテルがあり、そこから乗車。 |
![]() 下左 福江港ターミナル。 下右 ターミナル内の五島自動車の窓口。 ここで予約していた自分も料金を払う。翌日は「キリシタンクルーズ」を利用するのだが、このバス会社が主催している現地発ツアーで、その分も支払った。 |
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![]() 明治初期に五島で、最後のキリシタン弾圧があったのだが、井持浦だけはなかったという。井持浦教会は、1897年に、ペルー神父により、レンガ造りで造られたのだが、1987年の台風で倒壊した。そこで、1988年にレンガ造りの外観を残して、鉄筋コンクリート造りで再建された。 |
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![]() フランスのルルドは、聖母が現れ、病気を治す水が湧き出たということで聖地になっている。自分はルルドは1994年に行ったが、巡礼客が非常に多く、泉によって、1つの街ができていた。 井持浦のルルドは、自然の泉を利用したもので水質も保証されており、飲んでみた。今回の旅では、他の教会でもルルドを設置しているところがあったのだが、水が止められていたり、"飲まないでください"というところばかりだった。 |
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![]() 断崖絶壁の上に灯台がある。大瀬崎灯台だ。 今回は灯台までは行けないが、この展望台から歩いて1時間ほどで往復できるようだ。 |
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![]() 西海といえば、西彼杵半島の北部の西海市のほうが有名だが、西海国立公園は、五島を中心にした国立公園で、大瀬崎はその代表的な景観だ。 |
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![]() 立谷教会跡地とあり、高さ50cmくらいの教会のミニチュアが建っている。井持浦教会と同じく1987年の台風で倒壊したが、こちらは再建されず、1998年にここからさらに少し奥に入ったところに野外教会が作られた。 |
![]() 静かできれいなビーチだ。 |
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![]() 道の駅だが、遣唐使についての展示施設が併設されている。この地は遣唐使の日本での最後の立寄り地で物資を補給して、唐へ向かったといわれる。 |
![]() 1938年建造。設計施工は鉄川与助。白亜の木造の教会だ。 |
![]() カンパーナホテルそばの「石松」に入った。居酒屋と看板にあるが、中に入ると寿司屋といった方がよい感じだった。 |
![]() 下左 きびなごの刺身。 下右 きびなごの天ぷら。 |
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![]() 上右 五島うどん。普通のうどんよりも細い麺。でもコシは普通よりも強い。椿油を塗っているのが他にはない特徴。 左 店内。アルコールは注文しなかったが、ゆっくりといただいたのでバスの待ち時間はほとんどこの店ですごした。 |
堂崎教会や福江城を見、夕食を心誠でとる |
![]() 午後は、福江島の東側の堂崎教会などを回るだけで、14時から16時と短時間。船や飛行機で島を出る客に合わせた時間設定になっている。 まずは、島の北東部にある堂崎教会へ。駐車場から教会まで5分ほど歩くのだが、途中、球体をした珍しい岩石を発見。人為的に丸くされたのじゃなく、波や潮流によって丸くなったらしく、リンゴ石と呼ばれている。 |
![]() ここは1879年にペルー神父により建てられ、以後は五島での布教の中心であったが、今は違うようだ。 週1回のミサも行われているものの、主な働きは資料館。そのためか入場料が必要。この地の出身でブラジルで亡くなった神父など興味深い展示があった。 下左 左は、最初に赴任したマルマン神父、右が、この教会を建てたペルー神父。 下右 秀吉の命により、長崎の西坂で処刑された26聖人の1人に五島出身者、ヨハネ五島がいる。十字架にかけられたヨハネ五島の像もある。 |
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![]() 下左 教会のそばにある店で堂崎ソフトクリームを食べた。この店は、堂崎マドレーヌも売っているのだが、ソフトもマドレーヌ味がするのが売りだ。実際、美味しかった。 下右 つぎは島の東南部へ向かう。途中、マグロの養殖場を見る。マグロが地元では人気がないので、全部、島外への出荷だという。 |
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![]() 鬼岳火山から流れだした溶岩が固まった海岸。 下左 展望台から見た鬼岳。一定の高さから上の部分は木がなく、草原になっている。 |
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![]() 左 展望台からは離島も見えた。いくつかの島の中には有人島もあり、有人島へは船が出てるとのこと。 |
![]() 上部の草地は、そこ底の傾斜があることがわかる。標高315mの山だが、駐車場は200mくらいの高さにあり、歩いて上がるのも標高差100mほど、30分ほどで上れる。 |
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![]() まず、海岸にある常灯鼻へ。海岸と平行に100mほど離れたところに突堤が伸びている。その先端にあるのが常灯鼻。造られた当時は、城付近が海岸だったから、今よりも海岸からの距離は遠かった。 左 突堤を歩いて先端まで行くと写真の常灯鼻があった。近そうに見えて、突堤の付け根まで行くのには遠回りしなければならず、行きにくかった。夜には火がともされ、灯台の役割を果たしたのだろう。 |
![]() 1863年に造られた、日本では最も遅くできた城だ。江戸時代には、城の新設は禁止されていたが、外国船の接近ばあり、防衛目的で新設が認められた。建設当時は、3方向が海に面していた、日本で唯一の海城だった。 |
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![]() 入ると、案内人がついて説明してくれる。 印象的だったのは、部屋の壁の壁紙や障子のデザイン。なんだか現代風で江戸時代のものと思えない。 |
![]() 訪問したほんの2、3日前まで、しばらく水を全部抜いて、池の調査をしていたとのこと。今までわからなかったことがわかったという話も聞いた。 行った日は水が入ってきているが、満水時には島の石垣は水面下になるという。 |
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![]() 本丸で勉強できる生徒も幸せだ。行事には堀の清掃があるそうだ。 ホテルに戻り、1時間ほど休憩。 |
![]() 下左 店内。 下右 生ビールとお通し。 |
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![]() ![]() 左右 「五島芋」の瓶。前日いただいた「五島麦」と同じく五島列島酒造製。 |
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![]() 満腹になってホテルに」戻った。 |
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