5 日 目 キリシタンクルーズ
福江散策 |
朝食は前日とほぼ同じだが、2日間なら大丈夫。3日間続くと、心配だけれども。 朝食後、9時にチェックアウト。この日は、13時にキリシタンクルーズのために港へ行かねばならないので、それまでは福江の街を散策する。前日に、常灯鼻と福江城は行ったので、それ以外のところを回る。 |
六角井戸。 16世紀、明の王直が通商を求めて福江に来航。領主から居住地を与えられた。中国人は井戸を掘ったが、それがこの六角井戸。 |
明人堂。 王直が航海の安全を祈って建てた建物。 |
明人堂の中にあった絵図。 明人堂に隣接して王直の館があり、川を隔てて江川城が描かれている。江川城は焼失し、幕末になって福江城がつくられた。 |
明からの交易の船が着いたのかなと想像してみた。碑はないし、川の流れも変わっているだろうし、はっきりした船着き場はわからないのだけれども。 |
左左 「王直ゆかりの地」の碑だが、王直の館があったのだろう。 左右 福江では街路樹に椿が植えられているところが多い。 |
坂部貞兵衛の墓がある寺。伊能忠敬の測量を助けた人物だが、この地で亡くなったようだ。墓が多く、探すのはやめた。 |
福江の中心部。歩道に屋根がついている。屋根付きの歩道は、南北の通りと東西の通りの両方がある。 |
福江観光歴史資料館。 福江城の北の丸にあるが、櫓を模したものになっている。 館内はキリシタン以前の歴史やキリシタンの歴史などを展示。 |
武家屋敷通り。 石垣が保存されているが、門の内側に建っているのは、ほとんどが現在風の家屋。福江大火で焼けてしまったのかな。 |
武家屋敷 松園邸。 珍しく武家屋敷がきちんと残っているところがあった。ここは建物が「山本二三美術館」として利用されている。 山本二三は、アニメーション美術監督で、五島市の出身。2018年に武家屋敷を利用して開館した。 |
松薗邸の建物外観と庭園。 下左 武家屋敷通りふるさと館。 武家屋敷の跡に造られ、庭園や武家屋敷を模した展示場がある。 下右 ふるさと館のカフェの店内。 |
かんころ餅。 かんころは、さつまいもを薄く切って干したもの。かんころ餅は、餅にかんころを混ぜたもの。 かんころ餅セットをいただいた。 |
福江教会。1962年に建てられた白い教会。行った時には閉鎖されていた。 |
1962年、福江の中心部で大火があり、街が焼きつくされた。その時の写真が掲示されていたが、建てられたばかりの福江教会は奇跡的に焼けずに残ったのがわかる。 |
上左 港の近くの「うま亭」で昼食をとる。 上右 店内。 左 ちゃんぽん定食にした。ちゃんぽんのほかあじのみりん干しがついてきた。 |
キリシタンクルーズ |
午後は「キリシタンクルーズ」という現地発ツアーを利用する。主催は、五島自動車。前日に観光バスと一緒にお金は払っているので、やってきたことだけを伝える。 現地発ツアーには何種類かのコースがあるのだが、これを選んだのは。中通島の有川まで行けるからだ。おかげで、普通なら久賀島と奈留島で1日をかけないといけないところ、半日で回れる。ただ、問題もあって、1つは、「牢屋の窄殉教記念聖堂」には行かないこと、もう1つは、土日のみの運行ということだ。 旅行全体で宿泊地の泊まる曜日を調整して、土曜日に乗船できるように工夫した。(日曜日ではほかに支障が出るので土曜日に限られた。)また、「牢屋の・・・」はまたの機会に独自に訪問することにしたい。 ガイドとともに乗船。十数人のグループであった。船にはGOTO(五島)と書かれているが、GOTOキャンペーンの船かと思ってしまう。 |
出発後10分くらいで久賀島のそばまでまでやってきた。久賀島は福江島のすぐ北東にある島だ。 島の南西部にある田ノ浦地区かな。福江から久賀島に船はここに着く。 |
久賀島の南西部にある浜脇教会が見えた。 これから向かう、世界遺産の旧五輪教会はもとは、浜脇教会のところにあったのだ。 浜脇教会は1881年の建造で、1931年に現在の教会に改築された。そのときに、解体されて船で運ばれて、再度組み立てられて旧五輪教会になった。五輪地区から浜脇教会に行くのが大変だったためだ。 そして、老朽化のため1981年に新しい五輪教会が建てられた。旧教会は解体されそうになったが、保存の声がでて、保存されることになった。それにしても旧教会は100年間使われ、その後、保存されて30年になるということに驚いた。 |
久賀島の南岸に沿って東へ。久賀島の南側は断崖が続く。断崖の向こう側に久賀島の中心部があり、そこに「牢屋の窄殉教記念聖堂」があるはずだ。 |
久賀島の東側の旧五輪教会に近い港に到着。ここから5分ほど歩く。 世界遺産「潜伏キリシタンの関連遺産」のひとつ「久賀島の集落」になっている一帯だ。 |
椛島(かばしま)が見える。右手の山が削られているが、ここの土砂は沖縄の辺野古の埋め立てに使われているとのこと。 |
旧五輪教会の正面。 「恋人よ」が代表的な曲である歌手の五輪(いつわ)真弓さんは、お父さんが、五輪(ごりん)の出身だ。お父さんは漁師だったが、旧教会ではオルガンを弾いていたのことだ。五輪(いつわ)は旧姓の本名だが、五輪(ごりん)の地名と読みが違う。 |
旧五輪教会の裏側と側面。 木造であり、かわらぶきでることがわかる。裏側などは和風建築の外観だ。 |
旧五輪教会の内部。 長崎県では教会の内部は撮影禁止なのだが、ここだけは撮影が自由だった。新しい五輪教会ができて、祈りの場はそちらに移ったからだろうか。 下左 入口付近から前方を撮影。 下右 窓からは海がきれいに見える。 |
現在の五輪教会。 |
港から見た、左の旧五輪教会と右の現在の五輪教会。 |
上左 奈留島の江上に到着。世界遺産の「奈留島の集落」だ。 上右 バス停はハート形。 左 江上教会。クリーム色の木造で、窓は水色で美しい。 建造は1918年で、設計施工は鉄川与助。 日本人大リーガーのはしりである野茂英雄さんのお父さんは奈留島の出身で、島で漁師をしていた当時は、奈留教会がなく、山を越えてこの教会へきていたという。 |
中には入れなかったが、横に回ったりした。 下左 案内板に教会内部の写真があったので、借りた。なかなか凝った内装だ。 下右 教会のすぐ右手の木には、ハート形の穴がある。自然とできたとのこと。 |
教会そばにあった石垣。この上には集落があったが、今は森に戻っている。 下左 小学校の跡地。平成10年に閉校。 下右 主のいなくなった廃屋も何軒か残っている。 港でガイドと別れる。他のグループの案内をしたあと、福江に戻るようだ。 |
上左 キリシタン洞窟。入口に十字架とキリスト像は4mある。その奥が洞窟。若松島の南端付近にあるが、陸路では行けない場所にあり、近くに船を一時止め見学。 明治元年の弾圧の際、ここに隠れていたが、捕まった人たちをしのんで1967年に像が造られた。 上右 自然にできた穴の開いた岩。 左 若松港に到着。 |
ここから中通島の有川ではバンで向かう。青方に行く人たちは別のバンに乗車。行先が有川か青方か選べる。 乗車後すぐに若松大橋を渡って中通島へ入った。 |
車窓から教会を見る。若松大浦教会で、もとは民家だったのを買い取って教会にしたという。 |
車窓から見た中ノ浦教会。クリーム色の美しい教会。 |
上五島国家石油備蓄基地。 中通島の沖にある2つの離島の間にフロートを浮かべ、そこに備蓄。日本で必要な石油の1週間分が貯えられているという。海上の石油備蓄基地は世界初だという。 |
車を止めて石油備蓄基地を撮影していたら、何と目の前にも教会があった。跡次教会だという。 まもなく青方の街を通過し、有川の「うどんの里」に到着。キリシタンクルーズも終了。 |
中通島(上五島といわれることの方が多い)の有川では1泊するだけだ。 キリシタンクルーズが土日だけのうえ、有川から小値賀への車と船を組み合わせたコースも土日だけのためだ。 10分ほど歩き、この日泊まる「し喜」へ。居酒屋に入って宿のチェックインをする。居酒屋が宿を経営しているようだ。 |
居酒屋の2階以上が宿の本館になっているが、この日泊まるのは、居酒屋から30mほど離れた別館。こちらの2階に案内された。 |
部屋。古いビジネスホテルという感じ。バストイレがついているし、翌日はチェックアウトなのでこれで十分だ。 |
この日は2食付きで予約しているのだが、夕食も朝食も居酒屋でとる。 入口で靴を脱いで入る和風の食堂という感じ。 下左 酒類を飲むかご飯を最初から持ってくるか聞かれ、飲むことを伝えた。 お通しとして、煮込み料理2つ。 下右 生ビール。 |
刺身盛り合わせ。 |
左左 芋焼酎「五島灘(黒麹)」水割り。 左右 「五島灘」は数種あるようだ。右が黒麹。醸造元は五島灘酒造。新上五島町有川の蔵。 |
鶏のから揚げ。 |
五島うどんとご飯。 この宿は、朝食付きは5500円、2食付きは6900円(GOTOはないものとして)だったが、差額の1400円でこの夕食は食べられないと思うので、2食付きが正解だろう。しかも、GOTOだと、朝食付きと2食付きとで900円しか違わなかった。 ただ、この宿はGOTOの割引は参加していたが、居酒屋は参加しておらず、酒代には地域共通クーポンは使えなかったのが残念だった。 |
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