7 日 目  野 崎 島  

野崎島を散策し、夜は古民家での部屋食
 朝食は6時にとった。前日に買ったカップラーメンとパンを食べる。

 この日は野崎島を散策するのだが、船が7時25分発と早いのだ。7時に古民家を出発。

 野崎島は島全体が「野崎島の集落跡」として世界遺産「潜伏キリシタンの関連遺産」になっている。
 船は小値賀町営の「はまゆう」。春から秋にかけての土日などは昼の便があるのだが、それ以外は、2往復。1便目の小値賀発は7時25分、野崎着8時。2便目の野崎発は15時10分、小値賀着は15時30分。野崎に向かう際に六島に立ちよるので野崎に向かうほうが時間がかかる。

 だから、この日の行程は小値賀発7時25分、野崎発15時10分。これで決まりだ。
 乗客は6人だったが、観光客は自分を含めて2人で、あとはビジターセンターの職員と工事関係者だった。こうした人たちは毎日、自分と同じ時間で移動しているのだろう。
 
 出発してから20分後あたりに、沖の神嶋神社が高い所に見えた。白い棒のように見えるものだ。

 小値賀島の東海岸に地の神嶋神社があり、向かいあっている。どちらも遣唐使船の安全を祈願して創建されたという。

 野崎島の散策時間には、安全性のうえでも、時間的にも行くことは無理なので、船から見えてよかった。
 
 ズームを最大限にして撮影すると、石の塔が見えるが、これが「王位石」(おえいし)。高さ20mくらいあるという。その下に神社があるのだが、木々に隠れて見えない。

 このあと六島に立ち寄り、北回りで野崎島へ。
 野崎島に到着。港のすぐ前にビジターセンターがあった。

 船の乗客でもあったビジターセンターの職員がセンターに入ってくれるようにいい、戸を開けられると同時に中に入る。

 注意事項やイノシシにあったときは後ろ向きにゆっくり離れるなどの話を聞く。
 
 ビジターセンターの展示を見ていたら、職員が沖の神嶋神社の神官の家を開けるので、見に来ないかと言われ、見に行った。

 ビジターセンターから5分ほど坂を上がったところにある。武家屋敷のような造りになっている。
 家の中を見た回った。この部屋の向こう側に階段が見えるが、沖の神嶋神社の遥拝殿だ。沖の神嶋神社へは2時間30分ほどかかるので、祭礼などの際を除き、神官は遥拝殿で神事を行った。

 島を出る住民が絶えない中、神官は最後まで島に残ったが、平成13年に神官も島を去り、島は無人となった。神官が去ったのちも、関係者はこの遥拝殿で神事を行っている。
 
 島では鹿が繁殖し、あちらこちらで鹿と出会った。
 
 港や神官の家がある野崎地区から野首教会がある野首地区へは、途中で峠を越える。

 峠の付近から港を見下ろす。
 
 峠をすぎ、向かう方向には砂浜海岸もあった。
 
 野首教会が先に見えた。野首地区は1971年に無人になったという。
 
 かつて野首小中学校だった校舎が、「野崎村自然学塾村」として宿泊や自然体験の拠点として利用されている。行った日は、予約がなかったからだろうか管理人さんもおらず、閉ざされていた。教会へは再び坂道を上がる。
 
 学塾村の近くの案内掲示に、沖の神嶋神社の写真があったので、拝借した。「王位石」の下の部分に神社があることがわかる。
 
 また舟森集落跡の写真もあった。ここは野首集落とともに潜伏キリシタンが生活した場であった。1966年に廃村になった。

 野崎から2時間30分(この掲示があたっところからだと2時間)かかる。安全面でも、時間的にも行けない。
 
 野首教会に到着。潜伏キリシタンは、17世紀に外海地区から逃れてきた。その後、自由に信仰できるようになった1873年のあと、1882年に強化ができたが、レンガ造りのこの教会が建てられたのが1908年。鉄川与助の設計施工だ。

 1971年に野首集落は無人になったが、教会は1985年に改修された。
 
 
 上左   正面から見た教会。

 上右   金属製の鐘楼だろうか。

 左   屋根は瓦ぶきだったが、訪問する少し前の台風9号で瓦が飛んだ部分がある。飛んだ瓦は地面の1か所に固めてあった。
 
 野首教会から100mほど離れた場所に、潜伏キリシタンの指導者の屋敷跡があり、初代の野首教会もここに建てられた。
 
 野首教会をすぎてさらに西に向かう。坂を下っていくと野崎ダムがあった。

 野崎ダムは川をせきとめたものではない。野崎島には川がないのだ。「承水路」と呼ばれる水路で島の各地の雨水を集めたダムだ。
 
 野崎ダムにたまった水は川で流されるのではない。小値賀島へ続く海底パイプラインに流され、小値賀島で農業用水などに使われるのだ。

 小値賀島も川がなく、雨が少ないので、野崎島の雨水を使おうということだ。
 
 ダムの下部の港。ダム工事のときに使われたのかな。
 
 港のすぐ近くにあったキリシタン墓地。はっきリ十字架が見えたのは、これ1つだけ。
 
 ダムの近くにて。これが「承水路」かな。
 
 ダムの近くに休憩所があったので、昼食のパンを食べた。
 
 教会を経て、港まで戻り、神官に家の横を通って、野崎火口跡を見に行った。

 白っぽい断崖が見えるところが火口跡らしい。風景はなかなか美しい。
 
 廃屋もたくさんある。もとの野崎集落だ。

 港に戻ると、帰りの船までまだ2時間ある。ビジタ―センターの展示を見たりしたが、すぐに追わってしまった。退屈だったが船を待った。
 
 帰りの船。行きの船と同じ乗客が乗って小値賀島へ。
 
 野崎島の南端近くで舟森集落の跡が見えた。

 白い十字架がはっきり見える。急な斜面だが、石組の段が作られていて、家や畑は段の上に並んでいたのだろう。
 
 小値賀港に戻った。古民家に戻る前に、買物をしておく。

 前日は休業日であったがこの日は開いている「エイダン」。この店は、この島では貴重な存在である”地域共通クーポン”の使える店なのだ。しかも品ぞろえは、前日に買物をした、漁協のスーパーよりもよい。
 
 スーパーで買った品々。
 古民家に戻ると、先に風呂に入り、洗濯もしてから、2階でくつろぎながら夕食をいただく。

 いわしの揚げ天。
 
 ビール。
 
 茶碗蒸し。
 
 甘いアルコール飲料。
 
 トマト。
 
 カレー。
 
 ビール。
 
 コーヒー。

 この日も、18時ごろから24時ごろまでソファでくつろぐことができた。

 

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