8 日 目 平 戸
平戸にある鄭成功ゆかりの地 |
5時30分に朝食。前々日に買ったカップラーメンとパンを食べる。 この日は平戸へ移動するが、直接向かえないので、佐世保まで船、佐世保からバスに乗車する。 佐世保行きのジェットフォイルは7時25分発で、前日の野崎島と同じ時刻だが、予約している切符を受け取らねばならない。 「おぢかアイランドツーリズム」の人が6時40分に迎えにくるので、それまでに、出かける準備をして待った。迎えが来て、鍵を渡し、一緒に港に向かった。 |
港ターミナルで切符を手に入れて、待合室で待機する。 |
待合室のベンチに座り、ターミナル内を撮影。左が「おぢかアイランドツーリズム」の事務所。右が、前々日に小値賀に到着後すぐに買物をして土産物屋。島内では”地域共通クーポン”があまり使えない中、使える貴重な店だった。 |
上 背後に薄い灰色で写っている島が、前日行った野崎島。右の方にも、手間の島の向こうに薄い島が見えるが、中通島の最北端部。 左 佐世保行きのジェットフォイルに乗船。 |
船内。下船時に撮影したので、人は写っていない。 |
佐世保港到着後、港の中を10分ほど歩くと、港の敷地の横に佐世保駅があった。 駅のコンコースを通り抜けて、反対側の広場に出ると、駅前のバス停。 |
20分ほど時間待ちをして、駅の周りをぶらぶらしたのち、平戸桟橋行きのバスに乗車。平戸までは1時間半ほどの乗車。運賃も1500円程度かかるが、ICードが使える。 |
平戸大橋を渡り、平戸島に入る。平戸も島なのだが、この橋のおかげで、離島感はなく、九州本土の一部のようだ。 下左 終着の平戸桟橋まで行くと、遅れた場合に乗りつげるか心配だった。遅れはなかったが、手前の「平戸新町」で下車。 下右 「平戸高校」行きのバスに乗り換え。 |
20分ほど乗車し「鄭成功記念館前」で下車。 平戸で訪問する場所を調べていたら、鄭成功にまつわる史跡があったので、びっくりした。 鄭成功は、17世紀に、明の滅亡後、征服王朝である清が中国統一をはかろうとしたのに抵抗した。華南で抵抗運動を続けるも、うまくいかず、台湾へ移る。当時の台湾は、オランダ東インド会社の統治下にあったが、鄭成功はオランダ勢力を駆逐し、漢民族の政権をたてた。台南には、鄭成功の廟がある。また明延平郡王祠に祀られている。そんなわけで台湾では英雄扱いされている。 そういったことは、台湾旅行のさいに知っていたのだが、今回、新たに、鄭成功は、父、鄭芝龍と日本人である母マツの間に平戸の川内で生まれたということを知った。それで、記念館にやったきたのだ。 |
バス停のすぐそばに中華風の鄭成功門があった。 下左 門から記念館まで、100mほどの石畳の道があり、「成功への道」と称していた。英語名では"road to success"としていた。 下右 石畳の道の終点には、白い中国風の建築物があった。これを見ると、この建物が記念館だと思うのが普通だろう。でも、これは何とトイレだったのだ。単なるトイレではなく、少しだが展示もある休憩室があったので、一時は、これが記念館?って思ったのだ。よく見ると、階段があって、その上に記念館らしき建物が見えた。 |
鄭成功と母マツの像があり、その後ろの建物が記念館。 下左 鄭成功が子供のときに植えたとされる「なぎの木」。 下右 記念館の内部。展示物の量はさほど多くなかった。 |
川内地区の名産は、かまぼこのようで、かまぼこの生産・販売店があちこちにある。ざっと20軒ほどある。 平戸のホテルの朝食でもでてきたのだが、ストローを束ねたような”すだれ”で巻いているのが特徴。 |
昼食を食べられる店がないか探した。とれたての魚を食べさせるような店を期待しのだが、飲食店が全く見つからない。 やむを得ず、1軒だけあったコンビニでパンを買って、バス停に座って食べた。ス―パーもなかったので、かまぼこの昼食にしようかと思ったくらいだ。 |
川内漁港は小さい港などだが、かつては、平戸港は手狭だったため、川内港も副港として利用され、外国船が入港した。 |
平戸のオランダ商館は平戸港の近くにあったのだが、川内にも倉庫があった。その倉庫跡。 下左 外国船が入港するので、丸山という歓楽街ができたようだ。長崎の丸山は、ここの地名が移ったもの。 下右 坂道を上がった上に、鄭成功の廟があった。 |
鄭成功児誕石。 母マツはこの石のそばで産気づいて出産したと伝えられている。 |
鄭成功記念公園があり、その中に鄭成功の像が建つ。 像の背後に写っているのは、「湯快リゾート 平戸千里ヶ浜温泉」。ここに泊ることも考えたが、翌日の観光の開始の際に、まず平戸の中心まで移動しなければならないので、そのときの時間ロスなどを考えてやめたのだった。 下左 鄭成功記念公園は、像などを除いて、特に何もないきれいなビーチの公園。 下右 「千里ヶ浜」バス停。ここから平戸の中心部に戻った。 |
平 戸 |
バスを平戸新町で下りて、平戸城(亀岡城)へ向かう。 改修工事中なので中にはいれないことはわかっていたのだが、天守を直近から見ることができれば、それでいいと思っていた。でも、実際には、天守がある周辺にも立ち入ることができず、離れたところから見ただけ。 |
城とは港を隔てた対岸を見ると、オランダ商館とその向こうに泊る予定の「平戸海上ホテル」が見える。 下左 続いて、英国商館跡へ。 下右 今は、十八親和銀行になっている。 |
英国商館跡のすぐそばには「ウィリアム・アダムス 三浦按針 終焉の地」の石碑があった。 1600年に過酷な航海の末、豊後に漂着。家康は外交顧問にするが、平戸の松浦氏は彼を保護。平戸が彼の拠点になり、英国商館、オランダ商館の開設につながった。 |
さらに数軒おいて、「按針の館」があった。 文字通りあとるなら、ここが三浦按針の住居で、死去したのは「終焉の地」だったのかと思うが、近接していてよくわからない。 |
このあと、坂道を上がり丘の中腹を見学する。 ここは、王直の屋敷跡で天門寺跡でもある。 王直は、明から貿易を求めて福江にやってきて、福江では屋敷跡などを見た。その後、16世紀に松浦氏の保護を受けて拠点を平戸に移した。 16世紀に松浦氏はカトリック教会の建設を認め、この地に天門寺という名の教会ができた。 王直の屋敷と天門寺は同時期にこの地にあったようだ。 |
次に瑞雲寺へ。ここは松浦氏の氏寺であった。 この寺で、知られているのが「コルネリアの塔」。中庭にあった。オランダ商館長と日本人妻の間の娘、コルネリアが、父の供養のために献灯を依頼したものだという。その後、鎖国によって、コルネリアはバタヴィア(現在のジャカルタ)に追放された。 |
瑞雲寺の建物の向こうに平戸ザビエル記念教会が見える。 この風景は「寺院と教会の見える風景」といわれている。 |
上左 平戸ザビエル記念教会。1931年創建。 上右 1971年に設置されたザビエル像。設置後、現在の教会名になった。フランシスコ・ザビエルは鹿児島に上陸するが、そののち平戸に移って布教をすすめた。 左 平戸殉教者顕彰慰霊の碑。秀吉の禁教令以後の平戸で殉教した人々を慰霊する碑。 |
上左 入口は閉ざされていたが、案内板の写真を拝借。 上右 大ソテツ。枝が4つに分かれている。江戸初期、貿易商が繁栄したころに植えたもの。 左 六角井戸。福江で見たものと同じく、明の様式であるらしい。明の貿易関係者の居留地だったのかは不明。 |
松浦史料博物館。 平戸藩主であった松浦氏の史料を公開。建物は1893年に松浦家の私邸として建てられたもの。 原城の攻略の絵図や秀吉の禁教令などもあった。 |
内部のひとこま。 下左 「ポルトガル船入港の地」の碑。1550年に初めて入港したが、喧嘩がおこり、ポルトガル人に死傷者がでた。(宮の前事件) 下右 足湯もあり、入ってみたかったが、時間がなく入れなかった。 |
上左 鄭成功像。港近くの公園内にあり、2017年に台南市から贈られたものだった。 上右 じゃがたら娘像。1639年、平戸、長崎の外国人に関係する婦女子32名が平戸からじゃがたら(バタヴィア、現ジャカルタ)へ追放された。先ほど見てきたばかりの塔のコルネリアもそうだったのかとわかった。 左 オランダ壁。オランダ商館の壁。 |
オランダ商館。 1609年に建造されたが1640年幕府の命令で取り壊された。1639年建造の倉庫に1639というキリスト紀元の年号が書かれていたため。1641年、商館は出島に移転。移転後は町人の地になっていた。2011年に復元された。 |
閉館まで20分だったが、入館でき、大急ぎで見て回った。 当時のオランダの世界進出の様子とか、平戸が日本や世界のほかの街とどうつながっていたかといった展示が中心。商館そのものや復元についての展示はあまりなかったような気がした。 平戸にはまだ見られていない観光地があるのだが、時間切れで、翌日回しにした。 |
商館から5分ほどで、2泊する「平戸海上ホテル」へ。 館内は複雑で、本館1階を長く歩いたあと、階段を上がり別館の2階に出る。そこに大浴場があり、また自室へは、そこからエレベータで上がる。温泉旅館に多いタイプで、館内で歩かされるのが長いのが難。 |
部屋は和洋室で、洋室部にあるベッドで寝る。和室部にあるテーブルを利用して、パソコンを使った。 予約の際、団体ツアー向けの宿のように思い、2食付きの場合は、つくり置きの夕食かもと、朝食だけつけた。 |
泊っているホテルから平戸桟橋あたりまではほとんど家屋なし、さらに英国商館跡あたりまでは、市街地だけど飲食店はなし。15分ほど歩いて、飲食店の集まるエリアにやってきた。 ネットで調べて、共通クーポンが使えて、人気のある店ということで、やってきたのは「大徳利」。 |
上左 カウンターに着席。 有名人の家族が来店していて、個室で食事をしていた。支払いの時に、カウンター横にきて店主と話をしたので、わかった。あとで、店主に確認するとその通りだった。よく来店するという。有名人本人も帰省時には一緒に来るとのこと。 上右 生ビール。 左 お通し。 |
ひらめの刺身。 一切れの大きさが普通の倍くらいあって、しかも肉厚気味。でも、飽きることなく最後まで美味しくいただけた。おすすめメニュの一番に書いてあったので選んだのだが、正解だった。 |
上左 新あご。とびうおの一種。あごは、出汁を出すのによく利用されるが、そのまま食べる琴は少ない。自家製の一夜干し。 真ん中で折って食べるのがよいとのことで、そうしてみた。頭も骨も完全にいただいた。 上右 「飛鸞」(ひらん)。醸造元は、平戸市の森酒造場。 左 前津吉のアジフライ。前津吉は平戸島の南部の漁港。ここでとれたアジはうまいのだということで試してみた。揚げたてのを食べられて幸せだった。 |
さつまいもバター。最後はこれを食べてお腹いっぱいになった。 予想以上に美味しくいただけて、ホテルを2食付きにしなくてよかった。15分ほどかけてホテルまで暗い道を歩いた。 |
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