3 日 目 比 田 勝 の 周 辺
日本海海戦記念碑など |
![]() 7時にレストランへ行って朝食。パック入りのひじきご飯におかずが少し入っている。 下左 コーヒー。 下右 前夜は気づかなかったが、レストランからは海がよく見える。岬がみえるのが、これから行く殿崎。 |
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![]() 少し小型でロバのような感じもする。1頭はとても人なつっこくて、馬から近付いてきてくれ、逃げることもなく、楽しめた。 |
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![]() 上右 東横インの前の道路。東横インの隣にある温泉(写真には写っていない)以外には、有人の建物はない。 左 東横インが建つ丘の下の海岸が三宇田浜海水浴場。日本の渚百選に認定された碑がたっている。 |
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![]() 東横インの下に温泉施設、その下に三宇田浜が見える。 左 2005年に日本海海戦百周年として日露合同慰霊祭が開かれ、その際につくられた「日露友好記念碑」。 レリーフに描かれているのは、負傷したロシア提督ウジェンスキーを見舞う日本連合艦隊提督東郷平八郎。 |
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![]() 上右 「日露慰霊の碑」。2005年、合同慰霊祭の際、ロシア政府によって建てられた。戦没者名が記されている。 左 3つの碑は近くに建っている。 |
![]() 木の枝が一方向になびいているのを多く見かけた。西風が強いようだ。 下左 いつのまにか岬の先端を通り過ぎていた。海岸が見えるところがあり、見ると海辺は岩石海岸になっている。 |
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![]() 住民は、上陸したロシア兵に水を与えて助け、このあと行った西泊に連れて行き、井戸で衣服を洗い、家に泊めたという。記念碑の東郷筆の「恩海義喬」の背景には、この話がある。 左 連理の枝。またの名を、恋人の木。2本の木の枝がつながっている。(たまたま光っている部分のある木) |
![]() それにしても、日本海海戦は日本海のど真ん中で行われていたと思っていたのだが、対馬の近海であったというのは意外だった。 |
![]() 村人は、この井戸の水で、連れ帰ったロシア兵の体や衣服を洗ったりした。 西泊から比田勝の間は漁港や工場が続いている感じ。ちょうど昼食時で比田勝で食べる。 |
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![]() 上右 店内。 左 あなごフライを注文。揚げての熱いのを食べられてよかった。 |
豊砲台と韓国展望台 |
![]() 対馬市バスは、一般的な市バスとは少し違う。対馬交通が経営から撤退したあと、対馬市が路線維持のためにスクールバスを使って運行している。だから、超閑散路線が中心で、コミュニティバス的なものだ。 運行は対馬交通に委託している。また、スクールバスを兼ねる便もあるのだが、乗っていないので様子は不明。また、スクールバスは小中学校の通学範囲が広いために運行されていて、運行は対馬交通に委託されているようだ。 1日券は対馬交通とともに使える。この日は1日券を買っても、わずか数十円の得になるだけだが購入した。 |
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![]() 上右 バス停。対馬交通を消してあるのがわかる。 左 入り組んだ湾を見ながら豊砲台へ向かう。 |
![]() 豊(とよ)砲台の入口に到着。入口の案内板がなければ見落としてしまいそうだ。 |
![]() 入口から20mほど直進すると砲台のおかれた場所がある。 、 |
![]() 後日、観光案内のHPを見ると、入口でスイッチを入れると30分、電灯がつくとのこと。なぁ〜んだって思たけど、スリルを味わえたから、まぁいいか。 |
![]() トンネル内には機械室などが並び、入口だけだが電灯をつけていれば、見ることができる。電灯をつけることができなかったので、見られなかった。 |
![]() すいこまれそうな穴だ。金網で覆われていて、写真を撮りにくかったくらいで、落ちる心配はない。 |
![]() 韓国展望台への道は、倒木があったり、土砂で埋まり斜面になった歩道があった。韓国展望台まで15分で歩けたのでよかったが、おすすめしない。 14時14分のバスに乗りそびれると、前夜にスーパーに行った大浦まで5km歩かねばならないので、多少無理をした。 今後、登山経験がない方でこのルートを歩こうと考える方は、豊砲台からバス停に戻り、車道を歩いて鰐浦から韓国展望台を往復するほうがいい。そして14時14分のバスはあきらめて、大浦まで5q歩くのがいいと思う。 |
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![]() 下左 無料の望遠鏡で見ると釜山の高層ビルがうっすら白く見えた。凸凹があるので、ビルだということはわかる。 下右 展示室は閉鎖されていた。 |
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![]() 訳官使とは朝鮮国がら対馬藩に派遣した使節。朝鮮通信使は有名だが、その準備をはじめ対馬藩との外交をするための使節。対馬藩は一定の外交の裁量権を与えられていたようだ。 1708年、釜山を出た訳官使船が鰐浦沖で遭難。朝鮮側108人と通訳のために乗船していた対馬藩士4人が全員死亡した。その慰霊碑。 |
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![]() 上右 バス停のポール。「バス切符売場」とあるので、事務所で切符を売っていたのだろう。 左 切符を買ってから乗車し、車掌または運転者に示してください。いつのころの掲示だろう。 |
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おかべ食堂であなご料理と「ろくべい」 |
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![]() 上右 左側の茶色い建物は東横イン。簡単に行き来できるような出入口がある。 左 1時間少々滞在したが、その間ずっと客が最低1人いる状態だったので、浴室内の写真は撮れなかった。 露天風呂は閉鎖されていたが、サウナやジェットバスもあり、海を見ながらの入浴は楽しかった。 |
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![]() 「水曜日のネコ」。ヤッホーブルーイング製。前夜のスーパーで見つけて買った。すっきりした味。同じ醸造所の超苦い「インドの青鬼」とはまったく異なる。「インドの青鬼」はインド料理にはあうが、スナック菓子には、この猫缶はあうようだ。 上右 前夜に買ったつまみ。 左 無料のカレーはパスして、18時15分の送迎車で比田勝へ。客は自分以外に2人組。 |
![]() 比田勝は厳原に比べて居酒屋が少ないうえに、GOTOの共通クーポンの使える店となると、店はわずか。その中の「おかべ食堂」に行った。 |
![]() カウンターは年季が入っているようだし、ランプ風の電灯もレトロ感があってよかった。 夫婦で店をやっているようだったが、この日も客が少なく大変そうだった。 |
![]() 比田勝はつい少し前まで、韓国人客の拠点になっていて、釜山航路停止の打撃は甚大。GOTOで増えた日本人客は、ツアー客やレンタカーの個人客は厳原泊にして、韓国展望台などへ日帰りで来るので、比田勝は通過することが多いようだ。 |
![]() あなご料理が得意な店のような感じだったので。あなご料理をいただこうと思った。前日、あなご専門店が閉まっていたことのリベンジでもある。 |
![]() いか煮。ぶりとわかめ煮。たこ煮。 3種もあるのかとびっくりしたけど、どれも美味しくてよかった。 |
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![]() 上右 米麦焼酎「やまねこ」。米と麦のブレンドらしい。醸造元は河内酒造。前々日「つしま」、前日「生酒」とい地酒を飲んだが、同じ醸造元。 左 あなごの刺身。 食べるのは初めてだが、見るのも初めて。手前のほうは皮をあぶっていて、たたき風。 焼いたあなごや煮あなごとは全然違うあっさりした味で甘みも感じる。 |
![]() 大きな皿に乗りきらないあなご。うなぎの白焼きと比べると、脂身がずっと少なく、ずいぶんあっさりしている。 |
![]() メニューにはなかったのだが、張り紙に”鍋のシメにはろくべい”というのがあり、ろくべいの在庫があるだろうと思い、注文してみた。OKということで、作ってもらえた。 ろくべいのみ入ったものだと思っていたら、昆布や山菜が入っていた。 |
![]() ろくべいは、さつまいものでんぷんを固めた麺、で黒っぽい色。すぐに切れてしまうので、細切れの短い麺だ。 長崎では島原でも、ろくべいがあり、名前も製法も同じ。離れた地方で、どうして同じものがあるのだろうか。 |
![]() 途中の公園でクリスマスのイルミネーションをともしていた。 20時30分ちょうどにやってきた送迎車に乗ったのは自分だけだった。 |
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