3 日 目   比 田 勝 の 周 辺 

日本海海戦記念碑など
 この日は、9時30分ごろから比田勝の周辺を徒歩と数少ないローカルバスで回り、15時30分ごろホテルに戻るつもり。

 7時にレストランへ行って朝食。パック入りのひじきご飯におかずが少し入っている。

 下左   コーヒー。

 下右   前夜は気づかなかったが、レストランからは海がよく見える。岬がみえるのが、これから行く殿崎。
 
 ホテルの山側では、対州馬が飼育されている。対州馬は対馬固有の馬だが、今は40数頭しかいないという。うち3頭をホテルが対馬市から借りて飼育しているとのこと。

 少し小型でロバのような感じもする。1頭はとても人なつっこくて、馬から近付いてきてくれ、逃げることもなく、楽しめた。
 
 
 上左   東横インの広い敷地の入口。

 上右   東横インの前の道路。東横インの隣にある温泉(写真には写っていない)以外には、有人の建物はない。

 左   東横インが建つ丘の下の海岸が三宇田浜海水浴場。日本の渚百選に認定された碑がたっている。
 
 
 上   三宇田浜から海岸の崖上沿いに歩く。15分ほど歩いたところからの眺望が美しい。

 東横インの下に温泉施設、その下に三宇田浜が見える。

 左  2005年に日本海海戦百周年として日露合同慰霊祭が開かれ、その際につくられた「日露友好記念碑」。

 レリーフに描かれているのは、負傷したロシア提督ウジェンスキーを見舞う日本連合艦隊提督東郷平八郎。
 
 上左   「日本海海戦記念碑」。1911年、地区住民によって建てられた。「恩海義喬」と東郷平八郎により書かれている。

 上右   「日露慰霊の碑」。2005年、合同慰霊祭の際、ロシア政府によって建てられた。戦没者名が記されている。

 左   3つの碑は近くに建っている。
 
 3つの碑は、殿崎という岬の付け根にある。殿崎一周する散策コースがあるので一回りする。

 木の枝が一方向になびいているのを多く見かけた。西風が強いようだ。

 下左    いつのまにか岬の先端を通り過ぎていた。海岸が見えるところがあり、見ると海辺は岩石海岸になっている。
 
 
 上右   1905年の日本海海戦のさい、破壊されたロシア軍艦から逃れたロシア兵の一部が上陸した地点。

 住民は、上陸したロシア兵に水を与えて助け、このあと行った西泊に連れて行き、井戸で衣服を洗い、家に泊めたという。記念碑の東郷筆の「恩海義喬」の背景には、この話がある。

 左   連理の枝。またの名を、恋人の木。2本の木の枝がつながっている。(たまたま光っている部分のある木)
 
 殿崎の散策を終え、西泊に向かう。海岸は複雑で、小島も多い。

 それにしても、日本海海戦は日本海のど真ん中で行われていたと思っていたのだが、対馬の近海であったというのは意外だった。
 
 峠を下り、西泊に到着。

 村人は、この井戸の水で、連れ帰ったロシア兵の体や衣服を洗ったりした。

 西泊から比田勝の間は漁港や工場が続いている感じ。ちょうど昼食時で比田勝で食べる。
 
 
 
 
 上左   入店した「北斗」。

 上右   店内。

 左   あなごフライを注文。揚げての熱いのを食べられてよかった。
豊砲台と韓国展望台
 国際ターミナルから12時34分発、鰐浦比田勝循環線の対馬市バスに乗車。

 対馬市バスは、一般的な市バスとは少し違う。対馬交通が経営から撤退したあと、対馬市が路線維持のためにスクールバスを使って運行している。だから、超閑散路線が中心で、コミュニティバス的なものだ。

 運行は対馬交通に委託している。また、スクールバスを兼ねる便もあるのだが、乗っていないので様子は不明。また、スクールバスは小中学校の通学範囲が広いために運行されていて、運行は対馬交通に委託されているようだ。

 1日券は対馬交通とともに使える。この日は1日券を買っても、わずか数十円の得になるだけだが購入した。
 
 
 上左   12時57分、落土着。徒歩で豊砲台と韓国展望台を見て、鰐浦を14時14分発の逆回りのバスに乗車の予定。全く知らない地でうまく回れるか心配。

 上右   バス停。対馬交通を消してあるのがわかる。

 左   入り組んだ湾を見ながら豊砲台へ向かう。
 海岸沿いの道から坂道に入り、標識に従って歩く。バスを下りてから15分歩いた。

 豊(とよ)砲台の入口に到着。入口の案内板がなければ見落としてしまいそうだ。
 
 
 豊砲台は、ワシントン海軍軍縮条約により廃棄されることになった軍艦「赤城」の砲塔を移設して1934年につくられた。当時、世界最大の砲台であった。対馬には30をこえる砲台があるがもちろんここが最大。一度も使われなかった。

 入口から20mほど直進すると砲台のおかれた場所がある。




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 入口を入ると真っ暗。少し入ったところから入口を撮影。さらに歩くと、砲台のあった穴のところから光が見えてきて、そちらに歩いた。足元が見えないので怖かったけど。

 後日、観光案内のHPを見ると、入口でスイッチを入れると30分、電灯がつくとのこと。なぁ〜んだって思たけど、スリルを味わえたから、まぁいいか。
 
 砲座のあったところは深さ10mほどの穴。

 トンネル内には機械室などが並び、入口だけだが電灯をつけていれば、見ることができる。電灯をつけることができなかったので、見られなかった。
 
 入口から右手に回ると砲座の穴の上部にでることができる。

 すいこまれそうな穴だ。金網で覆われていて、写真を撮りにくかったくらいで、落ちる心配はない。
 写真右下に「遊歩道」とあり、韓国展望台へと続いている。

 韓国展望台への道は、倒木があったり、土砂で埋まり斜面になった歩道があった。韓国展望台まで15分で歩けたのでよかったが、おすすめしない。

 14時14分のバスに乗りそびれると、前夜にスーパーに行った大浦まで5km歩かねばならないので、多少無理をした。

  今後、登山経験がない方でこのルートを歩こうと考える方は、豊砲台からバス停に戻り、車道を歩いて鰐浦から韓国展望台を往復するほうがいい。そして14時14分のバスはあきらめて、大浦まで5q歩くのがいいと思う。
 
 韓国展望台。韓国の伝統建築風の建物になっている。さっそく上がってみた。1997年につくられた。
 
 目の前にあるのが、航空自衛隊の海栗島(うにしま)分屯基地。白い球のレーダーがある。朝鮮半島、日本海を監視しているのだが、なんだか展望台から基地のほうを監視しているような感覚になる。
 
 ここから釜山までは約50q。肉眼では、水平線近くに、何かうっすらと気持ち見えるみないな感じだ。

 下左   無料の望遠鏡で見ると釜山の高層ビルがうっすら白く見えた。凸凹があるので、ビルだということはわかる。

 下右   展示室は閉鎖されていた。
 
 
 朝鮮国訳官使殉難之碑。

 訳官使とは朝鮮国がら対馬藩に派遣した使節。朝鮮通信使は有名だが、その準備をはじめ対馬藩との外交をするための使節。対馬藩は一定の外交の裁量権を与えられていたようだ。

 1708年、釜山を出た訳官使船が鰐浦沖で遭難。朝鮮側108人と通訳のために乗船していた対馬藩士4人が全員死亡した。その慰霊碑。

 
 
 展望台への入場門。通常は、ここから入って、ここから出るが、自分の場合は、別のところから入ったので、出ただけ。
 
 
 上左   鰐浦のバス停に到着。以前はタクシー会社の車庫で、事務所もあったような雰囲気。雨除けのために建物が残されている。

 上右   バス停のポール。「バス切符売場」とあるので、事務所で切符を売っていたのだろう。

 左   切符を買ってから乗車し、車掌または運転者に示してください。いつのころの掲示だろう。
 
 14時14分発のバスに乗車。鰐浦比田勝循環線だが、先ほどとは逆回り。無事に乗れてよかった。
おかべ食堂であなご料理と「ろくべい」
 
 上左  14時29分「渚の湯」着。

 上右  左側の茶色い建物は東横イン。簡単に行き来できるような出入口がある。

 左   1時間少々滞在したが、その間ずっと客が最低1人いる状態だったので、浴室内の写真は撮れなかった。

 露天風呂は閉鎖されていたが、サウナやジェットバスもあり、海を見ながらの入浴は楽しかった。
 
 上左   東横インに戻り2時間30分ほど、ネットをしながら休憩。

 「水曜日のネコ」。ヤッホーブルーイング製。前夜のスーパーで見つけて買った。すっきりした味。同じ醸造所の超苦い「インドの青鬼」とはまったく異なる。「インドの青鬼」はインド料理にはあうが、スナック菓子には、この猫缶はあうようだ。

 上右   前夜に買ったつまみ。

 左   無料のカレーはパスして、18時15分の送迎車で比田勝へ。客は自分以外に2人組。
 
 送迎は本来は国際ターミナルまでなのだが、さらに500mほど先の飲食店が割と多いエリアまで行ってくれた。戻りは国際ターミナルからということで、場所を確認。

 比田勝は厳原に比べて居酒屋が少ないうえに、GOTOの共通クーポンの使える店となると、店はわずか。その中の「おかべ食堂」に行った。
 
 先客が誰もいなかったので、一瞬どうしようかと思ったが、カウンターに着席。

 カウンターは年季が入っているようだし、ランプ風の電灯もレトロ感があってよかった。

 夫婦で店をやっているようだったが、この日も客が少なく大変そうだった。
 
 座敷席にいろいろな張り紙がしてあって、見ているだけで楽しかった。

 比田勝はつい少し前まで、韓国人客の拠点になっていて、釜山航路停止の打撃は甚大。GOTOで増えた日本人客は、ツアー客やレンタカーの個人客は厳原泊にして、韓国展望台などへ日帰りで来るので、比田勝は通過することが多いようだ。
 
 カウンターの前にもいろいろ張り紙があり、こちらも楽しかった。

 あなご料理が得意な店のような感じだったので。あなご料理をいただこうと思った。前日、あなご専門店が閉まっていたことのリベンジでもある。
 
 お通し3種。

 いか煮。ぶりとわかめ煮。たこ煮。

 3種もあるのかとびっくりしたけど、どれも美味しくてよかった。
 
 
 
 上左   生ビール。

 上右   米麦焼酎「やまねこ」。米と麦のブレンドらしい。醸造元は河内酒造。前々日「つしま」、前日「生酒」とい地酒を飲んだが、同じ醸造元。

 左   あなごの刺身。

 食べるのは初めてだが、見るのも初めて。手前のほうは皮をあぶっていて、たたき風。

 焼いたあなごや煮あなごとは全然違うあっさりした味で甘みも感じる。
 
 あなごの白焼き。

 大きな皿に乗りきらないあなご。うなぎの白焼きと比べると、脂身がずっと少なく、ずいぶんあっさりしている。
 
 ろくべい。

 メニューにはなかったのだが、張り紙に”鍋のシメにはろくべい”というのがあり、ろくべいの在庫があるだろうと思い、注文してみた。OKということで、作ってもらえた。

 ろくべいのみ入ったものだと思っていたら、昆布や山菜が入っていた。
 
 ろくべいの麺。

 ろくべいは、さつまいものでんぷんを固めた麺、で黒っぽい色。すぐに切れてしまうので、細切れの短い麺だ。

 長崎では島原でも、ろくべいがあり、名前も製法も同じ。離れた地方で、どうして同じものがあるのだろうか。
 
 食後は、20時30分の送迎車に乗るので、20時15分に店を出て、国際ターミナルに向かった。

 途中の公園でクリスマスのイルミネーションをともしていた。

 20時30分ちょうどにやってきた送迎車に乗ったのは自分だけだった。

 

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