7 日 目 島 原 へ
ORCで長崎空港に飛び、島原へ |
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![]() 8時40分発のORC(オリエンタルエアブリッジ)、OC42 に搭乗。ただし、コードシェアしているANAで発券している。 ORCは第3セクターで、長崎空港を拠点にして。離島便などを運航し、全便でANAとコードシェアしている。 |
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![]() 飛行機はボンバルディアのQ200。 |
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![]() 離陸後5分ほどで、長崎県本土の北端部が見えてくる。 |
![]() 下左 諫早行きの長崎県営バスに乗車。 下右 車内。市内バスと同じタイプのバス。空港に乗り入れてはいるものの、空港バスではなく、一般の市内バスと同じように細かく停車するので時間がかる。 |
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![]() 上右 ターミナルの全景。諫早駅前にある。 左 諫早駅は新幹線開通が近づき、新しい駅舎が出来上がっていた。 |
![]() 島原鉄道は40数年前に乗車。当時の終着だった加津佐まで乗車している。その後、雲仙普賢岳噴火による土石流のために、島原港・加津佐間が復旧されないままに廃止された。久しぶりの乗車だ。 |
![]() 下左 島鉄のキャラクターになった鉄道むすめ、神代みさき。2020年10月就任という。車体の前後のサボなどに描かれている。 下右 車内。 |
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![]() 荷物をコインロッカーに入れて街歩き開始。 |
姫松屋で”具雑煮"を食べ、島原城へ |
![]() 駅前の商店がは森岳商店街。外壁が白く、城をイメージしたようなデザインの店が多い。 |
![]() 島原城は1618年に松倉重正によって築城されたもので、江戸時代に入ってからの城だ。しかし明治になり1876年、廃城令で解体されてしまった。いまの天守は1964年に再建されたもの。 |
![]() 島原は40数年前に訪れていて、それ以来。40数年前にも具雑煮を食べているが、料理はわかるが、店がどこだったか覚えていない。 |
![]() 具雑煮の大を注文。 |
![]() 餅が上にあって、具が見えないが、鶏肉、あなご、かまぼこ、れんこん、ごぼう、しいたけ、白菜、春菊、卵焼き、高野豆腐などが煮込まれている。 |
![]() 出汁はかつをぶしを使ったすまし汁。あっさりとした薄い醤油味。 |
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![]() 上右 入口。門は復元されていない。 左 天守は目の前に見ると濠の外から見るよりも大きい。 |
![]() キリシタン展示の中にあった、「踏絵」。思っていたよりも小さなものだった。 |
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![]() 下左 西櫓は彫刻家北村西望(現在の南島原市出身)の記念館になっていた。 下右 西望は長崎平和祈念像を制作したことを知った。モデルが展示されていた。 東櫓は昔の農具などの展示をしていた。天守の向かいには観光復興記念館があったが、どういうわけか閉鎖されていた。 |
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![]() 上右 島原の武家屋敷の特徴は通路が舗装されていないことと、中央に水路があること。島原は湧水が多く、この水路も湧水からのもの。 左 屋敷は3か所が公開されている。そのうちの1つ。 |
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![]() 下左 サンシャイン中央街。アーケードのある島原で一番大きな商店街だが、閉まった店も多かった。 下右 商工会議所前から島鉄バスに乗車。 |
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「がまだすドーム」と「道の駅ふかえ」で火山災害をみる |
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![]() 上右 乗車してきた島鉄バス。 左 海岸方面へ10分ほど歩くと、「がまだすロード」が高架で通っていた。「がまだす」は、島原方言で”がんばる”の意味。 雲仙普賢岳の噴火は1990〜95年にあり、なかでも91年の大火砕流の災害をよく覚えている。この復興のためにつくられた道路が「がまだすロード」。高速道路に準じた自動車道で、歩行者は通れない。無料。 |
![]() 体育館とサッカー場があるが、慰霊塔と火山災害時の展示もあるというので、時間があれば立ち寄りたかったが、「がまだすドーム」の開館時間が気になって横を通っただけになった。 |
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![]() 火砕流の速度の速さを体験する展示もあった。火砕流は岩石や火山灰がガスや水蒸気に混じって、数百度のまま時速100q以上で流れる。ほんの一瞬なので、逃げようのない恐ろしい災害だ。 |
![]() 溶岩や火山灰が豪雨のさいに、水と岩石の混じったものが下流の集落を襲ったのが土石流。土石流は大野木場から、がまだすドームに至る水無川流域を土砂で埋め尽くした。 |
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![]() 左 土石流でがまだすドームの場所まで流されてきた岩石。 土石流と火砕流の違いもあやふやだったが、しっかりわかった。 |
![]() シアターで人形劇があるというので見にいった。撮影は禁止ということだった。江戸時代にも噴火がありそのために「眉山」ができたことと、土砂が海に流れだしたために、対岸の肥後で津波がおこったという内容。 |
![]() 途中、雲仙普賢岳がよく見えた。少しとがっている頂上付近が溶岩ドームだろう。 |
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![]() 土石流災害の時には、ここを土石流が流れ、あふれた土石流が両側に流れ出した。 |
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![]() 簡単な建物で、屋根はテント製の土石流で壊れた家屋が保存されていた。1階部分が土砂に埋まった家屋が数軒、保存されている。これらは、現在は、道の駅の敷地になっているところにあったもので、50mほど移動させて展示しているとのこと。 |
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![]() 土石流被害があったときには、すでに住民は避難していて、人的被害はなかった。 |
![]() 下左 「道の駅ふかえ」バス停へ。 下右 島原駅前行きバスに乗車。 |
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六兵衛で「ろくべい」を食す |
![]() 駅のロッカーから荷物を取り出して、ホテルへ。「花みずき」で2泊する。 |
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![]() 1時間弱、休憩。この日は壱岐から飛行機、バス、鉄道を乗り継いでやってきたあと、6時間ほど観光してかなり疲れた。 |
![]() 「六兵衛」に向かった。郷土料理「ろくべい」で有名な店だ。「ろくべい」を食べたかったからだ。 |
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![]() 江戸時代の雲仙噴火のあと飢饉がおこり、六兵衛さんが考案した、さつまいもを原料にした食べ物が「ろくべい」。同じ食べ物が対馬にあり、そちらもいただいたので、食べ比べだ。 |
![]() ほんの少し違ったのは、対馬のものほどブツブツと細かく切れなかったこと。島原では、つなぎに山芋を使い、対馬ではつなぎを使わないことと関係しているのか。 とはいえ、強調したいのは、少しの違いじゃなく、ほぼ同じものだということのほう。 |
![]() つぎに行ったのは鉄板居酒屋「縁」という店。、 |
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![]() お好み焼きがほかのメニューと同じような値段だったので、小さめかと思っていたら、かなり大きくて満腹になった。 |
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