7 日 目 島 原 へ
ORCで長崎空港に飛び、島原へ |
7時から朝食。前日に和朝食を選んでいたのだが、前日とは少しだけ(魚の種類など)違うけれども。似ていたので洋朝食にしたほうがよかった。 |
チェックアウトし「郷ノ浦本町」バス停へ。7時45分発の空港行きに乗車。乗ったのは、空港までずっと自分1人だけだった。島民が飛行機を利用するときは自家用車利用なのだろう。それでも、バスを運行してくれてありがたい。 |
8時10分、空港着。とても小さなターミナルビルだ。 |
ターミナルの入口を入ると、すぐにチェックインカウンター。 8時40分発のORC(オリエンタルエアブリッジ)、OC42 に搭乗。ただし、コードシェアしているANAで発券している。 ORCは第3セクターで、長崎空港を拠点にして。離島便などを運航し、全便でANAとコードシェアしている。 |
チェックイン後すぐに、カウンター横の保安検査場へ。保安検査のあとは、待合室で待った。 |
壱岐空港発着便は、ORCの長崎便2往復がすべてだ。かつては福岡便もあったが今はない。福岡は船を利用したほうが、利便性が高いのだろう。 |
出発が近づき、ゲートを通り、ターミナルから飛行機まで歩いて搭乗。 飛行機はボンバルディアのQ200。 |
全長が短い割に、通路の両側に2人席があり、太い感じの機体だ。 |
上昇中に見えた壱岐。遠くの方に芦辺港が見える。手前は、右端ぎりぎでほらほげ地蔵、左端ぎりぎりで小島神社が写っていない。 離陸後5分ほどで、長崎県本土の北端部が見えてくる。 |
25分ほどで、長崎空港に到着。 下左 諫早行きの長崎県営バスに乗車。 下右 車内。市内バスと同じタイプのバス。空港に乗り入れてはいるものの、空港バスではなく、一般の市内バスと同じように細かく停車するので時間がかる。 |
上左 県営バスの諫早ターミナルに到着。 上右 ターミナルの全景。諫早駅前にある。 左 諫早駅は新幹線開通が近づき、新しい駅舎が出来上がっていた。 |
島原鉄道の乗場は同じ駅舎の中でも離れたところにあった。 島原鉄道は40数年前に乗車。当時の終着だった加津佐まで乗車している。その後、雲仙普賢岳噴火による土石流のために、島原港・加津佐間が復旧されないままに廃止された。久しぶりの乗車だ。 |
10時48分発の島原港行きの気動車。 下左 島鉄のキャラクターになった鉄道むすめ、神代みさき。2020年10月就任という。車体の前後のサボなどに描かれている。 下右 車内。 |
12時に島原駅到着。 |
駅舎は城を模している。右端のほうには、駅前のバス停がある。 荷物をコインロッカーに入れて街歩き開始。 |
姫松屋で”具雑煮"を食べ、島原城へ |
島原駅前から緩い坂道を上がって城方面へ。城が見えているので間違う心配はない。 駅前の商店がは森岳商店街。外壁が白く、城をイメージしたようなデザインの店が多い。 |
商店街の突き当りは城の濠。濠に隣接して天守がたっている。天守とは別に櫓がたっているが、つながっているように見える。 島原城は1618年に松倉重正によって築城されたもので、江戸時代に入ってからの城だ。しかし明治になり1876年、廃城令で解体されてしまった。いまの天守は1964年に再建されたもの。 |
南側の濠に沿って歩くと、城の南西の隅のあたりに姫松屋があった。島原名物の具雑煮で有名な店だ。 島原は40数年前に訪れていて、それ以来。40数年前にも具雑煮を食べているが、料理はわかるが、店がどこだったか覚えていない。 |
店内。1つ1つのテーブルがマス席のように区切られていて、隣のテーブル席とは板で仕切られてる。これは昔からそうなっていたのだと思うが、感染症対策で新たに設置したとしてもなかなかセンスがいいと思った。 具雑煮の大を注文。 |
鍋焼きうどん風だが、雑煮なので、うどんではなく丸餅が入っている。 餅が上にあって、具が見えないが、鶏肉、あなご、かまぼこ、れんこん、ごぼう、しいたけ、白菜、春菊、卵焼き、高野豆腐などが煮込まれている。 |
具をとりだしたところ。れんこん、しいたけ、卵焼き、かまぼこなどが写っている。 出汁はかつをぶしを使ったすまし汁。あっさりとした薄い醤油味。 |
上左 姫松屋を出ると目の前に島原城の入口がある。濠の水面から城の高さまで、城壁はかなり高い。 上右 入口。門は復元されていない。 左 天守は目の前に見ると濠の外から見るよりも大きい。 |
内部は博物館になっていて、下の階はキリシタン資料の展示、上の階は江戸時代の藩政に関係する資料展示であった。 キリシタン展示の中にあった、「踏絵」。思っていたよりも小さなものだった。 |
最上階。特に何もなく、外の展望台へアクセスするために通る場所。 |
東側を見る。駅がよく見える。有明海の向こう側にはうっすらと阿蘇が見える。 下左 西櫓は彫刻家北村西望(現在の南島原市出身)の記念館になっていた。 下右 西望は長崎平和祈念像を制作したことを知った。モデルが展示されていた。 東櫓は昔の農具などの展示をしていた。天守の向かいには観光復興記念館があったが、どういうわけか閉鎖されていた。 |
上左 城の北西側にある武家屋敷へ。両側は石垣が続く。 上右 島原の武家屋敷の特徴は通路が舗装されていないことと、中央に水路があること。島原は湧水が多く、この水路も湧水からのもの。 左 屋敷は3か所が公開されている。そのうちの1つ。 |
一部は屋内に入れるようになっていた。 |
中学校の校門も武家屋敷風、外壁は城のような感じに作られていた。 下左 サンシャイン中央街。アーケードのある島原で一番大きな商店街だが、閉まった店も多かった。 下右 商工会議所前から島鉄バスに乗車。 |
「がまだすドーム」と「道の駅ふかえ」で火山災害をみる |
上左 「復興アリーナ入口」で下車。 上右 乗車してきた島鉄バス。 左 海岸方面へ10分ほど歩くと、「がまだすロード」が高架で通っていた。「がまだす」は、島原方言で”がんばる”の意味。 雲仙普賢岳の噴火は1990〜95年にあり、なかでも91年の大火砕流の災害をよく覚えている。この復興のためにつくられた道路が「がまだすロード」。高速道路に準じた自動車道で、歩行者は通れない。無料。 |
「がまだすロード」をすぎてすぐにあるのが島原復興アリーナ。 体育館とサッカー場があるが、慰霊塔と火山災害時の展示もあるというので、時間があれば立ち寄りたかったが、「がまだすドーム」の開館時間が気になって横を通っただけになった。 |
さらに少し歩いて「がまだすドーム」に到着。標準語風でいえば「がんばろうドーム」か。正式名は、雲仙岳災害記念館。 |
メインフロアでは1990〜95年の雲仙普賢岳の災害と復興の記録の展示がされている。 火砕流の速度の速さを体験する展示もあった。火砕流は岩石や火山灰がガスや水蒸気に混じって、数百度のまま時速100q以上で流れる。ほんの一瞬なので、逃げようのない恐ろしい災害だ。 |
溶岩ドームの平成新山からの火砕流が大野木場を襲った。そのさい、報道関係者や消防団員が巻き込まれて亡くなった。 溶岩や火山灰が豪雨のさいに、水と岩石の混じったものが下流の集落を襲ったのが土石流。土石流は大野木場から、がまだすドームに至る水無川流域を土砂で埋め尽くした。 |
上 大火砕流の際にカメラマンが使っていた三脚。 左 土石流でがまだすドームの場所まで流されてきた岩石。 土石流と火砕流の違いもあやふやだったが、しっかりわかった。 |
土石流で流されてきた溶岩。溶岩も、平成の噴火によるものと江戸時代の噴火によるものの違いなどが説明されていた。 シアターで人形劇があるというので見にいった。撮影は禁止ということだった。江戸時代にも噴火がありそのために「眉山」ができたことと、土砂が海に流れだしたために、対岸の肥後で津波がおこったという内容。 |
「がまだすドーム」から「道の駅ふかえ」へ移動する。 途中、雲仙普賢岳がよく見えた。少しとがっている頂上付近が溶岩ドームだろう。 |
「道の駅ふかえ」に向かう途中、水無川にかかる橋を渡った。この橋で、島原市から南島原市になることがわかった。土石流災害でよく耳にした水無川はここだったのかと思った。 |
名前の通り、水は流れていない。ところどころに水たまりがあるだけだ。 土石流災害の時には、ここを土石流が流れ、あふれた土石流が両側に流れ出した。 |
橋を渡ってすぐに、道の駅の標識があったので、左側に渡った。 |
「道の駅ふかえ」。正式名は「道の駅みずなし本陣ふかえ」。営業時間が17時までだったのか、すでに閉鎖されていた。 |
ここの道の駅の特徴は、被災家屋保存公園がそばにあること。 簡単な建物で、屋根はテント製の土石流で壊れた家屋が保存されていた。1階部分が土砂に埋まった家屋が数軒、保存されている。これらは、現在は、道の駅の敷地になっているところにあったもので、50mほど移動させて展示しているとのこと。 |
こちらも建物内に保存されている家屋。これを見ていたら、係がやってきて、入口を閉鎖しようしたので、あわてて外に出た。 |
建物の外に展示されている家屋もある。数軒あって、被災した場所でそのまま保存されている。 土石流被害があったときには、すでに住民は避難していて、人的被害はなかった。 |
こちらも建物外に保存されている家屋。 下左 「道の駅ふかえ」バス停へ。 下右 島原駅前行きバスに乗車。 |
六兵衛で「ろくべい」を食す |
島原駅前に戻る途中、泊まるホテルのすぐ近くにもバス停があることがわかったが、荷物を預けているので駅前まで行った。 駅のロッカーから荷物を取り出して、ホテルへ。「花みずき」で2泊する。 |
部屋は普通のビジネスホテルといった感じだが、長めのテーブルが壁際にあるのが便利そうだ。そのぶん、荷物置きがないのが残念。 |
部屋の奥から入口のほうを見る。 1時間弱、休憩。この日は壱岐から飛行機、バス、鉄道を乗り継いでやってきたあと、6時間ほど観光してかなり疲れた。 |
夕食をとりに外出。ホテルの斜め向かいが島原市役所だと判明。 「六兵衛」に向かった。郷土料理「ろくべい」で有名な店だ。「ろくべい」を食べたかったからだ。 |
店内。カウンター席に着席。すぐに「ろくべい」を注文。 |
「ろくべい」。「六兵衛」で「ろくべい」をいただいたわけだ。 江戸時代の雲仙噴火のあと飢饉がおこり、六兵衛さんが考案した、さつまいもを原料にした食べ物が「ろくべい」。同じ食べ物が対馬にあり、そちらもいただいたので、食べ比べだ。 |
対馬で食べた「ろくべい」と色や食感は同じ。 ほんの少し違ったのは、対馬のものほどブツブツと細かく切れなかったこと。島原では、つなぎに山芋を使い、対馬ではつなぎを使わないことと関係しているのか。 とはいえ、強調したいのは、少しの違いじゃなく、ほぼ同じものだということのほう。 |
このあと、店を移動した。はじめ調べたときには「六兵衛」でGOTO共通クーポンが使えないようだったから。あとで、使えるとわかったのだが、本来なら締めに食べる「ろくべい」を食べてしまったので、予定通り、別の店へ。 つぎに行ったのは鉄板居酒屋「縁」という店。、 |
店内。 |
生ビールとお通し。 |
イカゲソの鉄板焼き。ゲソばかりと思っていたら、イカの本体もたくさん入っていた。イカとたまねぎを混ぜて焼いてあった。 |
麦焼酎「壱岐」。前日に壱岐で、岳ノ辻の登山口で、資料館の見学ができずに外観だけ見た玄海酒造のもの。壱岐では飲めなかったが、島原で飲むことになるとは思わなかった。 |
タコのから揚げ。 |
お好み焼き「縁玉」。餅、チーズ、大葉の入ったお好み焼き。 お好み焼きがほかのメニューと同じような値段だったので、小さめかと思っていたら、かなり大きくて満腹になった。 |
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