2 日 目   与 論 島 の 一 日

与論城(グスク)や鍾乳洞、民俗村など
 7時からの朝食をとりに管理棟にある朝食会場へ。
 
 おかずだけが弁当箱に入れてあるスタイル。品数は少ないが、1品の量は多めだ。ご飯とみそ汁はセルフ。
 この日は、主に歩いて与論を見て回るつもりだが、最初の1区間だけバスを利用する。あとは時間がうまく合わないので歩くつもり。

 宿に直近のバス停は10分ほど歩いたところにある。「観光ホテル」というバス停だ。このホテルは2003年に廃業したが、建物は廃墟として残されている。この前からバスに乗る。
 
 玄関。廃墟であることがよくわかる。

 ここは大型ホテルだったが、この日、与論の各地で昔は民宿だったが、廃業してから20年、30年とたっているような建物をいくつも発見した。

 与論は沖縄返還前には日本最南端のビーチリゾートとしてにぎわったが、沖縄返還後は、沖縄が観光地化していったのに対して、与論は観光客が減り、今や普通の離島に近い状態だ。観光地化して変貌した島は多いが、観光地であった島が観光客の少ない普通の離島になったというケースは珍しいと思う。
 
 バス停の看板。バス会社は「南バス」、バスは島を時計回で回るバスと反時計回りで回るバスがあるが、各4本づつ。

 乗ったのは南回り(反時計回り)の8時34分発のバス。

 下左   乗車したバス(バン)。

 下右   車内。自分以外に1人乗車していて、自分より先に下車した。

 1乗車200円で、1日券が500円であるのだが、このバスのほかには乗りにくそうだったので、1日券は使わず。
 
 
 
 
 上左   途中、与論徳洲会病院を通った。奄美の主な島にはどこも徳洲会病院がある。島の規模に比べると立派な病院だ。徳洲会は徳之島出身の徳田虎雄さんがつくった日本最大の病院グループ。

 上右   与論町役場も通った。もとは海岸そばに役場があったのだが、前日に夕食に出かけた際に、解体工事をしていたのを見た。津波対策で島の中心に移転したのだろう。

 左   石仁でバスを下車。このあとは1日中、徒歩で島を回った。
 
 「地主神社」と書かれた額がかかる鳥居を抜けると、サザンクロスセンターと与論城跡がある。
 
 サザンクロスセンター。着いたのが9時で開館とと同時だった。

 サザンクロスセンターは、名前から天体関係の展示が中心の施設かと思っていたのだが、与論島の歴史、民俗についての郷土資料館だった。
 最上部にある展望台から南側を見た。丘の上に神社がある。

 この丘が与論城(グスク)の中心で、サザンクロスセンターのある付近も城跡の中だ。
 
 これから向かう島の南東部を望む。緑の部分はさとうきび畑か草地。
 
 明治時代に与論の島民の5分の1が島原半島の口之津に移住したとのこと。そして三池炭鉱で働いたという。口之津は当時は三池の石炭の輸出港であった。
 
 奄美諸島は1953(昭和28)年に本土復帰だったのだが、その過程の展示もあった。南2島(与論、沖永良部)だけは切り離して、奄美大島などとの同時復帰しない方向性もあったことを知った。
 
 与論城の跡はあまり残っていないが、城壁の一部が残されている。

 城壁の石は珊瑚礁からできたもので、穴が多く開いていて、ごつごつとしている。
 
 丘の上部の鳥居とそうの向こうにある土俵。

 下左   さらに上ると地主神社がある。

 下右   10mほど離れたところの琴平神社。
 
 
 
 与論城跡の展望台。

 下左   屋川(ヤゴー)と呼ばれる湧水。いった時には水が見られなかった。

 下右   ヤゴ―の案内板。与論世之主が城を気づいたときから、城近くの集落の生活用水として使われてきたとのこと。
 
 
 民家の中には、入口を入ったところに目隠しに壁が設けられていて、玄関へは壁の左右へ曲がって向かうようになっている家があった。沖縄の古い民家と同じ構造だ。ない壁は珊瑚礁からできた石を積み上げている。
 
 
 上左   按司根津栄神社。新しく、社殿らしくない建物だと思ったのだが、古い社殿の建て替え中で、これは仮社殿らしい。

 上右   新しい社殿の模型。これが仮社殿の横の広場に建てられる。

 左   赤崎鍾乳洞。入り組んだところにあってわかりにくかったっが到着できた。付近の飲食店がすべて休業していたので、ここも休業中かもしれないと心配していたが、営業中。

 入場料を払い、ヘルメットをかぶって入洞。
 
 洞窟内は、蛍光灯がついている以外は自然そのもの。余計な手がくわえられていないので、野趣あふれる洞窟だった。

 そのかわり、穴をくぐるときには頭を何度も打った(ヘルメットしているので、痛くはないが)。足元に水が流れていて、とび石伝いいあるいたり、泥だらけのところもあった。観光用の洞窟はもっと整備されているのが普通なので、かえって面白かった。
 
 与論民俗村へ。入場料を払うと、ガイドつきで説明してくれた。

 与論の古民家は茅葺だという。台風のときは瓦葺より安全とのこと。
 
 古民家の土台は正方形が多いという。台風のときはどの方向から風が吹いてきても、正方形にしておくのが持ちこたえやすいからだという。
 
 芭蕉布。この葉からとた繊維でつくった布も芭蕉布。薄くて肌触りがよく、奄美や沖縄の高級衣類に使われたが、与論では今では織られなくなり、民俗村だけで織られている。

 バナナとそっくりな葉や実であるのだが、食用ではないという。種があり、苦くて食べられないらしい。
 
 最後にパパイヤの漬物とさんぴん茶のサービスがあった。漬物は醤油漬け、みそ漬け、ウコン漬けなどがあった。歯ごたえも味も申し分ない。売店で売っていたが、旅が始まったばかりで荷物になるので買わなかった。
 
 漬物をいただいた休憩所。有名人の色紙もたくさん掲げられていたが、パッ見て知っている人のはなかった。
 
 百合が浜へのボートはその近くの海岸から出るものとばかり思っていた。実際、百合が浜だけを見学した人は、近くの海岸での乗り降りだった。でも、今回は海中公園も見学で、乗り降りは赤崎漁港からだった。

 13時に赤崎漁港を出発と予約時に聞いていたので、赤崎漁港へ。着いたのは12時15分ごろで、しばらく待った。昼食は、付近で昼食を食べられる店が1軒もなく、念のために持参した菓子ですませた。
「百合ヶ浜」に渡る
 今回の奄美旅行で一番楽しみにしていたのが与論の百合ヶ浜だ。

 沖合1.5kmあたりに、春から秋にかけての大潮、中潮の時期の干潮の数時間だけ現れる白い砂浜なのだ。

 実は百合ヶ浜のことは知らなくて、旅行先の島のことを調べているうちに知ったのだ。いつ行っても見られるわけじゃないことがわかり、いったん組んでいた旅程を大幅に変えた。

 旅行時期や回り方を変更して、百合ヶ浜が出現するはずの日に与論の2泊目の日があたるようにした。それでも、天気だけはどうしようもなく、雨が降らないことを願っていた。

 ボートは前日に海中公園にも行くコースを予約。13時に赤崎漁港にということだった。業者が現れ、グラスボートに案内された。
 
 船内。真中の青い容器のような部分は海中が見られるように底がガラスなっている。

 乗客は自分以外に3人。うち1人が海中公園でスノーケリングをした。また、百合ヶ浜に到着したあと、ボートは近くの浜に引き返し、百合ヶ浜だけを見る客を2人つれてきた。
 
 最初に赤埼灯台の沖のほうの海中公園へ。岬の先端に灯台があるのだが、この写真では見にくい。

 海の色が薄い青緑色になっているが、浅い海だからこういう色になるのだということだ。
 
 海中にサンゴがたくさんみられるところへ。

 サンゴがたくさん見えるが、ボートの底がぎりぎりサンゴに触れない程度の深さだという。

 ここでスノーケリングをする人は30分ほど海中へ。その間。ボートは場所を変えながらサンゴのあるところを移動。
 
 ボートの底から見えたサンゴ。

 サンゴの一番上の部分に丸いプツプツがついているのだが、海ブドウだという。
 
 ボートのそばまでウミガメがやってきた。これはアオウミガメだという。甲羅の色の違いでアカウミガメとアオウミガメが区別できるらしい。これは甲羅が青っぽいのでアオウミガメだという。
 
 スノーケリングしていた人をひき上げ、百合ヶ浜に向かう。別のボートも見える。

 海の色がグラデュエーションになっている。白く見える部分は、とても浅くなっているところ。
 
 百合ヶ浜に到着。ほかのボートが客を下ろしていたので、自分たちのボートもここで下りるのかと思っていたら、この浜には停まらず、別の浜に向かった。
 
 ほかのボートが停まっていない浜に到着。ボートごとに行先の浜を決めているようだ。

 乗ってきた客を下ろしてすぐに、ボートは別の客をつれてくるために、すぐに浜を離れた。
 
 百合ヶ浜といっても巨大な島のような状態じゃなく、大小さまざまな島ができるのだとわかった。これは時期にもよるのだろうけど。

 降り立った島は直径50mくらいの島だった。砂浜から海のほうへは遠浅の海岸が延々と続いている感じ。膝のあたりの深さになるまで少し歩いてみた。
 
 ヨロン島と書いた看板はボートに載せられていたもの。

 砂浜は波がやってくるたびに少しづつなくなっている。島にやってきたころが干潮時刻で、その後は次第に満潮に向かってから。
 
 百合ヶ浜だけ見学の客を載せてボートが戻ってきた。このときには砂浜はすでに直径25mほどに小さくなっていた。
 ますます砂浜は小さくなり、直径10mくらいの砂浜になったころにボートが出発。あと、10分ほどしたら砂浜は消えてなくなってしまうだろう。

 百合ヶ浜近くの海岸で百合ヶ浜だけの客を下ろして、他の客は赤崎漁港まで行った。自分は5000円だったが、百合ヶ浜だけの客は3300円、スノーケリングした客は9900円だった。
 
 ボートの所要時間は思っていたよりも長かった。宿に戻るのに、待てばバスが利用できたが、歩いても同じくらいの時間になるので、歩いて島を縦断して戻ることにした。

 島の中央にある高千穂神社。
 
 舵引き丘(ハジビキパンタ)。島の中央にある丘で、各方向ともよく見える展望台。
 
 東のほうを展望。白いのが沖合の珊瑚礁で波がくだけているところ。百合ヶ浜はすでに消えていることがわかる。

 
 
 丘の少し下に与論高校がある。高校の前を歩いて中心の集落に向かった。
 
 旧役場は解体工事中。すでに半分ほどなくなっていた。
 
 ちょうど夕食時間になり、居酒屋「かよい亭」へ。

 下左  焼酎「島有泉」とお通し。

 下右  島らっきょうの天ぷら。
 
 
 もずくの天ぷら。

 下左   シークワーサーハイ。

 下右   島豚のコロッケ。
 
 
 油そうめん。

 沖縄のソーメンチャンプルと見た目は同じだが、油でそうめんを炒めるのではなく、ゆであがったそうめんと油と出汁を混ぜたものでからめるのが違う。ソーメンチャンプルよりはあっさりしている。
 
 店内。

 この日も、宿に帰るときには、街灯がないので真っ暗な中を歩いて戻った。

 

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