3 日 目 与論島から沖永良部島へ
沖永良部への船は突然、行先の港が変更 |
![]() チェックアウトタイムが10時で、ぎりぎりまで滞在。この日は12時10分発の船で沖永良部へ向かう。11時過ぎに港の切符売場に着くように、ゆっくりと歩くことにしよう。 10時前にチェックアウトし、港に向かった。 下左 九州電力の新与論発電所。島では、発電は島独自にする必要があるんだと実感。 下右 島の北西の端あたり。小雨が降っていて、海もあまり美しく感じられない。 |
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![]() 上右 地図にホワイトロードと記載の道路があった。舗装道路が未舗装になり、白っぽい地面が出ていてホワイトロードと呼ばれているようだ。写真の下の方は舗装されている。 左 空港ターミナルを越えて港のほうに進むとニシムタというホームセンターがあった。船の中で昼食をとろうと食べ物を探した。 |
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![]() 上右 与論産の焼酎「島有泉」とお茶。 船での昼食にあてた。 左 港の待合所。ここで切符を買って、船が入る直前まで待った。 切符購入時に、和泊は条件付き運航だと告げられた。沖永良部で入港先が変わったり、入港しないことがあるとのこと。でも、ほとんど心配せず聞き流していた。 |
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![]() 左 沖縄からやってきた鹿児島行きの船。予想以上に大きな船だった。 |
![]() 下左 2等船室は行先別になっていて、和泊の部屋へ。 下右 雑魚寝するようになっていた船室。間隔をあけて使うようになっているが、この区画にいたのは他に1人。別の区画を入れても和泊への客は数人。 |
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![]() 沖永良部で到着する港は、和泊ではなく伊延(いのべ)に変更になったということだ。 すぐに泊まる予約をしている宿に電話した。港が伊延に変わったので、送迎してほしいと。 与論も徳之島も喜界も小さな宿なのだが、沖永良部はやや大きなホテルにしていてよかった。和泊にあって、港から歩いてすぐだったから選んだのだが、そのときは宿の規模は考えていなかったので、ラッキーだった。送迎のない小さな宿だと大変困ったと思う。 連絡後、昼食にし、やがて伊延に到着。愛称は、西郷南洲伊延港。西郷隆盛はこの港に上陸したから名付けられた。 |
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![]() 上右 階段を下りる途中から送迎の車がわかった。乗車してすぐ出発。 左 和泊港そばのホテル「シ―ワールド」へは10分ほどで到着。 |
![]() 下左 窓の側から入口側に向かって撮影。 下右 窓からは和泊港が見える。 |
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沖永良部でジャングル探検気分 |
![]() 和泊のバス停へ。左の入口が運転手の休憩所で、右が待合所。乗車券売場や案内所はない。 |
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![]() 上右 車内。写真ではわからないが、自分以外に2人乗車していた。 左 後蘭バス停。2往復であることがわかる時刻表が倒れかかっていた。左側には木製のベンチが置かれている。 下 バス停の近くに「後蘭孫八の城跡」の案内板があった。その背後にある森の一帯に城跡があったようだ。 |
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![]() 後蘭孫八は、15世紀の島主である世之主に仕えた人物。ここに城(グスク)を築いた。 |
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![]() 下左 近くの道路わきに置かれていた後蘭孫八の像を保管するところ。でもどんな像か、開いていないので不明。 下右 城跡の森の全体。このあと、この道を歩いて、世之主の墓に向かった。 |
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![]() 15世紀の島主。琉球王朝出身でこの地を支配したので、琉球式の墓になっている。 珊瑚礁からできた岩石をくりぬいて旗室が設けられている。手間の門の向こうは中庭で、その奥に墓室がある。 |
![]() ここは世之主の墓の前にある案内板に書かれていたので訪問した。世之主の墓のすぐ近くだが、わかりにくい場所で見つけるのに時間がかかった。ほかに謎の3号墓もあるのだが、見つけられなかった。、 |
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![]() 下左 生ビール。 下右 お通し。イカを煮たものだった。 |
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![]() 下左 沖永良部酒造製の焼酎「はなとり」。 下右 夜光貝のバター焼。真珠貝のように貝殻の内側に光が当たると輝く。夜光貝自体が発光するわけではない。 こりこりしていて、あわびのような食感だった。 |
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![]() 気持ちよく食事をして、宿に戻る。宿は町の中心から外れた港近くなので暗い道を歩いた。 |
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