4 日 目 沖永良部島の一日
沖永良部を見て回る |
朝食会場へ。定食がカウンターに置かれ、セルフで入れるご飯とともにテーブルへ持っていく。 |
ありふれた朝食だが、しっかりいただいた。 |
和泊バス停まで行き、知名町の北のほうを回る知名行きに乗車。 ドライバーにどこに行くのかと聞かれ、田皆で下りて岬へ行き、田皆に戻ってから、つぎのバスで昇竜洞に向かうとこたえた。すると、昇竜洞は閉鎖されているかもしれないと言って、わざわざ問い合わせてくれた。やはり閉鎖中だった。 |
田皆で下車。ここから田皆岬へは4km弱。見学時間を入れて2時間ほどだろうから、2時間30分後の次のバスには余裕で乗れると計算していた。(実際、そうだった。) |
さとうきび畑の中を歩き続け、ようやく灯台が見えてきてホッとした。写真の右上のほうに小さく灯台が写っている。 |
灯台到着。 |
灯台からさらに坂道を下って岬へ。崖下で波が砕かれている荒々しい海が見えた。 |
地鎮祭らしき式が行われていた。遊歩道の工事か何か行われるのだろうか。 |
バス停に戻り、30分ほど待って、次のバスに乗車。沖永良部のバス停はベンチが置いてあることが多く助かった。 本来はこのバスで昇龍洞の最寄バス停まで行き、洞窟のほか集落内に残る古い井戸を見て、つぎのバスで知名に行くつもりだった。でも、昇龍洞には入れないので、知名に直行し、浮いた時間は和泊町方面で、予定していた以外のところへ訪問することにした。 下左 沖永良部徳洲会病院。10人弱の客はほとんど下車。 下右 知名に到着。知名のバス停。 |
上左 知名町役場。 上右 乗継時間のうちに昼食をとろうとしたが、飲食店は閉店ばかり。弁当店があったので弁当を買うことにした。 左 豚バラチャーハンを買い、たまたま店のすぐ近くにテーブルのある広場があったので、急いで食べた。 |
上左 昇龍洞に行かないために時間が浮いたので、和泊町の空港近くの見どころへ。 上右 空港行きのバスの表示。 左 終点の空港の前のバス停の国頭(くにがみ)へ。ドライバーに国頭のどこに行くのか聞かれたので、ガシュマルとこたえる。ガジュマルがある国頭小学校の前でおろしてもらった。 |
ガジュマルは小学校の校庭にあるので、校庭に面してあった職員室へ一声かけると、どうぞと言われた。 葉が広がっている範囲は直径20mくらいありそうだ。 |
中心を見ると、地上に近い部分でいくつかに枝わかれしている。 下左 見学を終わり国道に出ると「日本一のガジュマル」だとのこと。 下右 海岸に向かって、フーチャを目指して歩く。 |
フーチャに到着。でも、フーチャってどんなの?って感じだ。 |
穴になったところへ海水が入り、一部が岩にあたって波しぶきが舞い上がる。 かってはこのようなのが4つあったのだが、舞い上がる波しぶきが農地に降りかかり、農業い悪影響を与えていたので、昭和30年代に、1つを除いて破壊されたという。残った1つが観光地になた。 |
フーチャの付近の海岸も波があたったときの波しぶきがとても大きい。 下左 フーチャのあとは国頭バス停へ。空港から地名へのバスに乗車。 下右 和泊まで乗ると乗り継げないので、手々知名で下り、伊延方面へのバスに乗った。手々知名のバス停は、西郷神社の真ん前だったが、翌日回しにした。写真の左上に西郷像が写っているのがわかるだろうか。、 |
伊延で下車し、バスの進行方向へさらに少し歩くとソテツトンネルへの道があり、すぐにゲートがあった。 |
1kmほどの間に、ところどころでソテツが群生しているところがあった。 下左 裏口から出た後は、一般の道を歩いてバス停に戻った。これも1kmほど。 下右 バス停を散りすぎて、港へ。「西郷南洲上陸之地」の碑があった。 |
前日に船で到着し、宿の送迎車に乗った伊延港。 |
伊延のバス停。 下左 すでに夕食時間。宿で居酒屋の案内地図をもらっているので、行ってみると、半分ほどは閉店している。 残りは、あまり入る気にならないところや、このように島にきて2週間以内の客お断りといった掲示の店がある。 下右 前日行った店はよかったが、同じ店にまた行くにはならず、コンビニで惣菜を買って、宿で食べることにした。 |
上左 生野菜。 上右 おくらのお浸し。 左 缶ビール。このほかに、前日の昼に船の中であけた「島有泉」がまだ残っているので飲んだ。 下左 甘辛い鶏からとポテトサラダコロッケ。 下右 ポーク玉子おにぎり。 |
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