5 日 目 沖永良部島から徳之島へ
沖永良部での西郷さん |
この日は、沖永良部を引き続き見たあと、午後に徳之島へ飛行機で移動する。 朝食。前日と似ているが、献立を少し変えている。 |
チェックアウトし、荷物を預けて出発。14時30分に戻り、空港へ送ってもらう。 フロントに、阪神タイガース5番の近本光司選手とお笑い芸人の宮川大輔さんのサインがあった。 |
西郷神社はあとで訪問するとして、神社の前にある手々知名バス停から乗車。 |
和泊町歴史民俗博物館に近いところで下ろしてもらう。 下左 奄美は野生のゆりが見られる。ゆりについての展示があった。 下右 大河ドラマ「西郷どん」の道具として造くられたさとうきびを絞る機械。 |
帰りのバスは、山を越えた城中前から乗るので移動。途中、戦車壕があった。戦車が越えられないように深く掘った溝。 下左 太平洋戦争戦死者の慰霊塔。丘の頂上にあった。 下右 世之主神社。このあと、バスで和泊に戻った。 |
昼食はカレー店「ア久ル」で。 下左 本日のランチセットの「オムライスカレー」。 下右 セットについている飲物はアイスチャイにした。 |
上左 店内。 上右 「西郷どん」で西郷隆盛役の鈴木亮平さんなどのサイン。 左 続いて西郷南洲記念館へ。 |
上左、上右 館内。 左 記念館の庭に置かれていた牢屋のレプリカ。西郷は沖永良部で最初の3か月間は屋外の牢屋に入れられた。 |
すぐそばにある西郷神社。本殿は左端の小さな建物。 下左 西郷隆盛像。 下右 稲盛和夫さんの植樹があった。 このあと空港へ送迎してもらうためホテルへ。 |
徳之島へ移動 |
14時30分にホテルに戻った。那覇行きが欠航になったという。びっくりしたが、すぐに調べてくれて徳之島行きは大丈夫ということで安心。14時45分に空港に向けて出発。 空港までは10qほどある。小さな宿では送迎サービスがないだろうし、路線バスで向かうことになっただろう。到着時には船の入港地の変更で送迎してもらったし、深く考えずに港から近いということで選んだ宿だったが、送迎があったのが最良ポイントだった。 |
15分ほどで空港に到着。与論空港と同じ位の大きさ。 下左 JACだけが運航してしているので、カウンターもこれだけ。 下右 鹿児島2便、那覇1便、徳之島1便。徳之島からは奄美大島行きに接続。 |
待合室で座って待つ。 出発20分くらい前に保安検査が始まり、検査の後はゲートの待合室へ移動。ここはゲートの待合室にはトイレがないとのことで、何度も注意を促すアナウンスをしていた。 |
いよいよ搭乗。JACの離島便はATR
が多い。 下左 機内。 下右 沖永良部空港の愛称は「えらぶゆりの島空港」のようだ。 離陸後はじめての機内アナウンスは、まもなく着陸体制に入るというもの。 |
徳之島空港に着陸。こちらの愛称は、「徳之島子宝空港」。 空港の規模は、与論や沖永良部よりずっと大きく、あとで訪問した奄美大島空港に少し及ばない程度だった。 |
到着ロビーに出たあと、出発ロビーに向かった。自分と同じく徳之島行きに搭乗していた何人かがそのまま保安検査場に入っていった。 搭乗してきた機材がそのまま奄美大島行きになるのだが、別便なのでいったん機外に出て、再び搭乗しなおす必要があるようだ。 |
空港外に出て、ターミナルを見る。 空港発のバスが接続しえとらず、歩いてこの日の宿がある平土野へ向かった。雨が降ったりやんだりしてしていて、傘をときどきさして歩いた。 |
かつて陸軍飛行場があったところにさしかかった。たててあった案内板によって知った。滑走路が平和通りという直線の道路になっている。 |
滑走路跡の道路。 |
2泊するレッドインに到着。入口までやってきて、掲示にびっくり。チェックインは電話をするようにということで、電話番号が書いてある。 電話をすると、少し待ってくださいということで10分ほど待って宿の人がやってきた。フロントには誰も常駐していないようだ。朝食をつくる人と掃除する人はやってくる。 |
部屋に入る。簡素な部屋だが、寝るだけなら支障はない。 翌日の夕方にムシロ瀬に行くので、デマンドバスを予約しておく。予約制のバスだ。 |
宿近くの居酒屋「赤ちょうちん」へ。 |
個室の座敷に入った。生ビールとお通しのポテトサラダ。 |
ゴーヤチャンプル。 |
徳之島にある奄美酒造製の黒糖焼酎「奄美の匠」。 |
ポークソーセージ。 宿に戻り、この日を終えた。 |
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