7 日 目 徳之島から奄美大島へ
1時間半遅れの船で奄美大島へ |
朝食。 この日は昼過ぎの船で奄美大島の古仁屋に向かう。それで、午前中は平土野の集落の近辺を歩いて見て回るつもりだった。 でも、雨が降っていたので、チェックアウトタイムぎりぎりまで部屋で過ごして、港へ行って、1時間ほどは待合室で待つことにした。 |
9時をすぎて外を見ると、雨は傘なしですませることができるくらいになっていた。急きょ、チェックアウトし、平土野近辺を歩くことにした。でも、回れるのは、当初考えていた半分ほどかな。 まず向かったのは、平土野闘牛場。なるほど、徳之島で盛んな闘牛はこのようなところで開催されるのかと納得。次回の徳之島訪問時には闘牛も見たいものだ。 |
続いて、西郷隆盛上陸地へ向かった。上陸地の手前にあった橋は「西郷橋」と名づけてあった。 下左 西郷上陸碑。沖永良部への流刑の前に徳之島に立寄り、3ヶ月ほど滞在した。 下右 西郷の滞在地も行きたかったが、雨で行動開始が遅れて行けなかった。(船が遅れていることを、この時点で知っていたら、行けたのだが。) |
”陸の中の海”の「ウンブキ」。海岸からは300mほど離れているのだが、地下洞窟で繋がっていて、池の水は海水だ。 |
平土野へ戻る。「実業団陸上部練習コース」の看板が1kmごとにたっていた。 かつて高橋尚子さんも練習し、少し離れたところに「尚子ロード記念碑」があり、見に行こうかと思っていたが、雨のため行けなくなった。 |
天城町役場。屋根を見てびっくり。まるでモスクのようなドームがある。 下左 役場の右手に「ハブの館」がある。ハブは日光に弱いので、見学するときはシャッターを上げてください、ということで、上げてみた。 下右 お休み中のハブ。 |
平土野港へ行き、予約していた切符を購入。 古仁屋まで乗船する船は12時50分発なので、12時にやってきた。ところが何と、港に入るのが13時50分になったという。出発じゃなく、入港が13時50分なので、14時20分ごろの出発だろう。早くにわかっていたら、平土野をもう少し歩いたのだが。 |
Aコープ天城で弁当を買い、その向かいに図書館があり、そのベンチで食べた。 |
タコライス。無料のみそ汁がついていたのでいただいた。 |
出発まで間があるので図書館の隣にある「ユイの館」に入った。 「ユイ」とは、共同、共助といった意味で徳之島で使われる言葉。歴史民俗博物館的な施設だった。撮影は声をかけてくださいという事で、面倒なので撮影しなかった。 |
港に戻り、待合所でしばらく待った。 下 古仁屋行きの切符。乗船の際に、一番右側が切り取られ、残りは下船の際に回収される。 |
言われた通り13時50分に入港してきた。 この船は、沖永良部から鹿児島を結ぶ船で、先日、与論・沖永良部間で利用した船より少し小さめだった。どちらもマルエーフェリーなのだが。 |
上左 3階相当の高さまで階段で上った。この船は3階が客席のエリアだった。 上右 古仁屋行きが指定されていた部屋。ここに入ったのは、自分以外に1人だった。 左 到着が近付き、レストランあたりで待機。レストランの営業はされていなかった。 |
16時40分、古仁屋に到着。1時間30分遅れ。この日は古仁屋到着後、特に予定はなかったので問題なし。 港ではクロマグロが出迎えてくれた。古仁屋や加計呂麻島がある瀬戸内町はクロマグロの養殖が日本一とのこと。 |
ハブ酒に初挑戦 |
上左 港から数分のホテルに向かう。このあたりのはずだと探していたら「奄美戦史模型資料館」という看板があり、あとでやってこようと思っていた。で、よく見ると、そこがホテルだった。資料館はホテルに併設されていたのだった。 上右 2泊した「ライベストイン奄美」。 左 思っていたよりも広くて明るい部屋だ。 |
窓側から入口側を見る。 下左 資料館は17時30分までだったので急いで見学した。 下右 既成のプラモデルを制作した船が多かったが、完全自作のものもあった。これは戦艦大和。完全自作のようだ。 |
部屋で1時間ほど休憩したあと、夕食をとりに出かけた。 「甸」という居酒屋。 |
カウンターに案内された。 下左、下右 龍郷町の町田酒造製の黒糖焼酎「里の曙」。 |
お通し。 |
刺身盛合せ。 |
上左 瓶詰めされたハブ酒。 上右 ハブを持ち上げて、ハブ酒をくみだしている。 左 ハブ酒。生臭さはまったくないが、生臭くないようにするためか、度数がとても高いようで、水と一緒にちびちびと飲んだ。 |
豚足焼き。 |
ヒキ唐揚げ。 はじめて食べる魚。奄美独特のものらしい。腹びれが硬いので、それをとれば全部食べられる。 |
ミニ鶏飯。 お茶漬けかわりにいただいた。 ホテルに戻り、この日を終えた。 |
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