8 日 目   加 計 呂 麻 島

加計呂麻島に渡る船が欠航、運航、欠航と二転三転
 この日は、古仁屋から日帰りで加計呂麻島に行く予定だ。古仁屋から加計呂麻行きの船に乗るが、行先が2つあり、島の東の生間(いけんま)と中央部の瀬相だ。それで、行きは朝の便で生間に渡り、島の東部を見て回ったあと、瀬相に移動し最終の船で戻る予定。

 まずは朝食。

 下左   朝食会場。

 下右   港に行く前に、コンビニで昼食を確保しておいた。加計呂麻島では食堂や店がないかあっても休業中と予想してだ。この旅で、各島のコンビニは各島独自のコンビニを利用したが、ここで初めて大手コンビニを利用することになった。この点でも奄美大島はほかの島よりも都会の感じがする。
 
 
 上左   切符売場は「せとうち海の駅」の中にある。実質、道の駅なのだが、港にあるので海の駅を名のっている。でも切符売場以外は休業中のようだ。

 上右   切符売場へ行って驚いた。2便(生間行きの最初の便)は欠航だという。この時点で、この日は加計呂麻島は難しいかと思った。

 左   港にあった「男はつらいよ」のロケ地記念碑。

 このそばに海上タクシーの乗場がある。海上タクシーらしき船に人が荷物を積み込んでいたので、尋ねた。生間に行けるかと。この船は、貸切なので乗れないと。生間は待っていたら、出るんじゃないかと言われた。でも、町営船が欠航なので、こちらも船長の判断で出ないかもしれないし、行っても帰れないかもしれないとも言われた
 
 
  上左   町営船が欠航で、海上タクシーも島に行けても帰れない可能性があるといわれて、この日は、翌日行く予定のマングローブパ―クに行くことにした。すぐにはバスがないので、しばらく古仁屋の街歩きをしてからだ。

 昔ながらのポストを発見。現役で使用中だ。

 上右   奄美大島要塞司令部跡へ。

 左   司令部跡は、いまは古仁屋高校になっている。
 続いて高千穂神社へ。参拝していると、拡声器から何やら聞こえてくる。

 町民放送のようだ。「欠航になっているフェリーかけろまは第3便から運航を再開します」とのこと。

 船の運行情報を町民放送で流すのにはびっくりした。3便は瀬相行きなので、瀬相に渡り、バスで生間に移動し、生間発の最終便で戻ることにしようと決め、港に向かった。加計呂麻島に渡れそうで、ヤレヤレと思った。
 
 フェリーかけろま。

 通常のダイヤは、
1便  古仁屋→瀬相→古仁屋
2便  古仁屋→生間→古仁屋
以下、3便、5便、7便が瀬相往復、4便、6便が生間往復だ。

 この日は2便が欠航で慌てたが、3便から運航で助かった。
 
 
 上左  乗船券。

 上右  乗船は左側の黄色のラインの中を歩いて入る。船室に上る階段があり、上る。

 左  船室。
 瀬相までは20分。奄美大島と加計呂麻島の間は海峡のよう感じになっていて、2つの島は向き合っている。
 
 車が下船してから、乗船客の下船が案内される。車が下船しているところ。駐車場の向こう側に建っているのは徳洲会加計呂麻診療所。他の島の総合病院よりは小さいが、それでも加計呂麻島にも結構大きな診療所があってあらためて、奄美での徳洲会の地域医療にびっくりした。
 
 港の駐車場の一角には多方向に向かう加計呂麻バスが勢ぞろいしていた。船が到着すると一斉に各方面に出発し、船の出発に合わせて各方面からバスがやってくるダイヤになっている。

 南回りの生間行きに乗車した。島の東部へ行けるので乗車したが、当初の計画のように島の東部で時間をかけて観光することはできない。
 
 10分ほど乗車して。於斉(おさい)でいったん下車。バスは別の集落まで行って、ここへ引き返してくる。それで、ここで10分ほど滞在できるのだ。

 於斉は大ガシュマルで有名。ガシュマルを撮影したが、沖永良部の大ガシュマルほどのことはない。
 
 於斉海岸。きれいな海岸だ。

 このとき、町民放送があってびっくりした。で、内容は「フェリーかけろまは第4便から欠航です」とのこと。困った。4便は生間行きなので、生間便は6便も欠航かもしれないと思った。でも、、5便の瀬相便は運航されるかもしれないと思った。そうでないと古仁屋に戻れない。
 
 どうすべきか考えていると、いったん下りていた生間行きのバスが、戻ってきた。本来なら、乗車して生間方面に向かうべきなのだが、この日はやめた方がようさそうだ。

 それで、ここで下車するので、ここまでの運賃を払うと言った。運賃は160円。ここから歩いて瀬相に戻る。
 
 ここから瀬相に戻っても5便までにはかなり時間がある。そこで、特攻艇「震洋」の格納庫を見に行くことにした。そうすればちょうどいい時間に瀬相に戻れる。もっとも、5便が運航されなければ古仁屋に帰れないのだが。

 於斉は島の南側の海岸にあるのだが、「震洋」格納庫は北側の海岸にあり、峠を越えて北側に抜ける。
再び船が運航され、島を脱出できホッとした
 「震洋」格納庫も近い吞ノ浦までやってきた。静かできれいな海だ。ちょうど正面あたりに何か見えるが(写真では白い点)、そのあたりが、格納庫や隣接している島尾敏雄の公園かな。
 
 海側とは逆の側も沼地のようになっていて、その周囲にはマングローブ画見られる。翌日は、マングローブパークに行くのだが、展望台から遠景を見るだけなので、すぐそばで見られてよかった。
 
 生間方面にはトンネルを抜けていくのだが、左折してしばらく行くと「震洋」格納庫と島尾敏雄の碑がある。
 
 海沿いの遊歩道を歩いて、「震洋」の格納庫に到着した。ボートはレプリカ。格納庫はもっとあったが、埋もれてしまっているようだった。

 「震洋」は特攻艇で、先端部に火薬を搭載して、敵艦に体当たりするもの。
 
 
 上左、上右   昼食。

 左   島尾敏雄文学碑。

 なぜ、ここに碑が建てられたのか。島尾敏雄はこの地の「震洋」部隊の部隊長だったのだ。隊員を送り出し、戦後は作家になった。そのため、この地に碑が建てられた。
 
 瀬相港に戻る。歩いて1時間弱。

 途中、呑ノ浦でまたまた拡声機から町民放送が聞こえてきた。「フェリーかけろまは第5便から運航を再開します」とのこと。これで、古仁屋に戻れることが確定して安心できた。
 
 出港時刻が近づいてくると。加計呂麻バスが各地から集まってきた。

 加計呂麻島では船の時刻に合わせて各方面へのバスが運行されていることがよくわかった。
 
 瀬相港にあった「男はつらいよ」のロケ地の標識。地面に埋め込まれていた。
 
 フェリー第5便がやってきた。折り返し便に乗船。

 下左   コーラル橋を歩いて古仁屋の東部へ。真珠をイメージした橋らしいがよくわからなかった。

 下右   漁港。

 ここでまた拡声器から町民放送が聞こえた。「フェリーかけろまは第6便から欠航になりました」と。この日、生間便は全部欠航。一方、瀬相便は7便が不明なのだが、それ以外は運航された。生間は地形の関係で風がつよくなるのかなぁ。

 旅から帰宅後、フェリーかけろまの欠航情報をよせあうページを発見した。これによると、生間は瀬相よりも風が強く欠航が多いことがわかる。でも、瀬相も欠航することもあり、この日は古仁屋に戻れただけラッキーだった。なお、この日の情報は4月18日と記載されている
もの。
分かる範囲でフェリーかけろま 速報 - 投稿 | Facebook

 
 
 
 上左   瀬戸内町役場。瀬戸内町は、奄美大島の南部の加計呂麻島に面した地域と加計呂麻島などの離島からなる。

 その関係で、町の事業として船の運航があり、フェリーかけろまと便数はとても少ないが他の離島への便を運航している。

 上右   さらに15分ほど歩いて図書館へ。ここには島尾敏雄のコーナーがあるということ、それに歴史、民俗の資料館が併設されているということ向ったのだが、閉鎖中だった。

 左   図書館の裏手にあったのが、”トトロのバス停”。
 
 加計呂麻島から逃げ帰ったような感じだったので宿で2時間ほど休んだ。

 夕食は「神鷹」へ。

 店に入ってから、メニューの中に書いてあってわかったのだが、大将は多大相撲の力士だったという。昭和48年から54年までの力士生活で最高位は幕下。引退後、故郷で居酒屋を開いたという。元力士らしく、メニューの中にはちゃんこ鍋もあった。
 
 上左   島豚コロッケ。

 上右   生ビール。

 左   島トマト。
 
 左左、左右   奄美大島の黒糖焼酎「里の曙」だが、この店独自のラベル「神鷹」をはったもの。
 
 
 ティラダ。

 奄美独特の巻貝。
 
 魚の揚げだし。
 
 出汁茶漬け。

 

 7日目 奄美のトップ 全体のトップ 9日目