8 日 目 三池炭鉱内の三井港倶楽部でフレンチ
朝食会場へ。チェックイン時に和食か洋食か聞かれ、和食の券をもらっていた。 会場にきて、和食券を渡したら、パンを自由にって言われてびっくりした。 |
言われるまま、ビュッフェ式になっているパンとコーヒーをいただいた。 どうも配膳に時間がかかるので、和食でもパンをすすめているようだった。 |
パンをいただいていたら、和食膳が運ばれてきた。 |
8時52分発、荒尾行きに乗車。 |
座席は転換クロスシート。 |
9時27分、大牟田着。 長い跨線橋を渡って、西口に出た。西口は裏口のようだ。青い入口を入ったところに西鉄大牟田駅がこじんまりとある。 |
2泊する「こめや」で荷物を預けて、行動開始。 |
大牟田にはかつて路面電車が走っていた。西鉄の大牟田市内線で1952年に運休し、その後廃止された。 2021年、走っていた路面電車を利用したカフェがオープンしたが、訪問時は重点措置で休業していた。 |
跨線橋を渡って、大牟田駅東口へ。こちらが表口にあたる。 下 駅のすぐ北にある大牟田市役所。昭和初めの建築で重厚な感じ。 |
古めかしい大牟田市役所の入口。 下左 「大牟田駅前」バス停。 下右 荒尾行き西鉄バスに乗車。 |
上左 「三川町一丁目」で下車。 上右 2、3分歩くと三池炭鉱の三川坑の正門に到着。 左 三川坑入口の社名板。「三井石炭鉱業株式会社 三池鉱業所」とある。 三川坑は三池炭鉱の中でも昭和時代にはここが主力の採掘現場になった。 |
上左 正門から見学箇所(かつての作業現場)まで長い通路を歩く。 上右 休憩所だが奥に小さなミュージアムがあった。この場所に事務所があったが、取り壊された。 左 1960(昭和35)年にあった三池争議。このころ、エネルギーの石油への転換がすすみ、炭鉱の縮小が始った。解雇に反対するストライキが行われた。 日本で最大のストライキと言われる「三池争議」。知識としては知っていたが、資料を見て具体的なことがわかった。いまいる場所がその現場ということで感慨する。 |
1963(昭和38)年にあった炭塵爆発。TVの現場中継でかすかに記憶が残っている。 当時の救助器具や爆発場所の模型など見て具体的なことがわかった。三川坑は市街地にあるので、周辺住民も恐怖だっただろう。(現地に行くまで郊外の人里離れた所だと思っていた。) |
三池炭鉱の専用鉄道で使われていた電気機関車が数台、保存されていた。これは1号機。 |
専用鉄道の路線図。三池炭鉱といっても、坑口がいくつもあり、それらを結ぶ専用鉄道があって、かなり長かった。跡地の一部は世界遺産になっている。 |
第1斜坑、第2斜坑の入昇降口。坑道に入るにはここを通って入ったようだ。(第1斜坑が炭塵爆発のあった坑道) 第1斜坑は主に石炭の運搬、第2斜坑は人を運ぶために使われた。 |
ここを通ってトロッコの乗場に向かう。 |
第2斜坑へ下りるトロッコの乗降場。坑口は閉鎖されている.。 坑口から先も軌道は2km続き、有明海の海底で採掘を行った。 |
トロッコ.。 これは人車だが、採掘した石炭の引き上げや通気のために斜坑は利用された.。 |
トロッコ乗場から直接に外に出た。操業時にはここを通らず、入昇坑口を必ず通るようになっていた。 |
第2斜坑から20mほど離れて第1斜坑があったが、跡形もない。 |
第1斜坑の上にある炭塵爆発の慰霊碑。 犠牲者800人以上の炭鉱事故は日本最悪。爆発による死者は20人ほどで大部分は一酸化炭素中毒によるもの。ずっと爆発による死者だと思っていたのだが、はじめてそうじゃないことを知った。 |
第2斜坑の坑口が右手にある。線路は左手まで続き、終点に巻き上げ機がある。 建物は入坑する前の点呼などの行われた建物で渡り廊下を歩いて入昇坑口に向かった。 |
第1斜坑の線路は跡形もないが、終点近くに施設があった。石炭をトロッコから専用鉄道の貨車に移し替えていたんだろうか。 |
第1巻き上げ機室。炭塵事故のさい爆風で吹き飛ばされたので、その後に新たに造られた建物。 |
第1巻き上げ機。 |
。 |
浴室のあった建物。 |
窓が開いていて中の浴槽を見ることができた。 三川坑の見学を終え、敷地内にある港倶楽部での昼食の予約時間まで1時間あまりあったので、先に三池港の周辺を見学する。 |
三池港の展望台へ。 閘門が見える。三池港は干満の差が激しいので、満潮時に船を入れて閘門を閉じ、再び満潮になったときに閘門を開けて船を出す。 三池港は世界遺産。 |
道路から見た展望台。数m盛土をしたようだ。 |
旧長崎税関三池支署。 |
内部では展示が行われていた。 |
蒸気機関のクレーン船「大金剛丸」。100年以上使われ今も現役。 |
税関の裏手に専用鉄道の線路が少し残されていいた。 |
旧三川電鉄変電所。 専用鉄道で使う直流電気の変電施設。現在は「信号電材」という信号機をつくる会社が本社として使っている。 |
変電所の海側にはかつての専用鉄道跡を利用した自動車道路があった。 専用鉄道時代には下を通るトンネルがあったようで、その跡が示されていた。 |
三池港方面では予想より散策に時間がかり、三井港倶楽部は13時に予約していたところ10分ほど遅れた。 港倶楽部の正門から入るより、三川鉱の敷地内を通って行く方が近い。再び三川鉱の正門から入って、三井港倶楽部に到着。 |
現在はフレンチレストランになっているが、以前は、三池炭鉱を来訪した有力者や三池港に入港した船の船長などをもてなしていたのだろう。三池炭鉱の迎賓館といってもよい。 |
上左 スパークリングでおすすめを尋ねてだされたのが「シャトー・ド・ロレ ブリュット クレマン・ド・ロワール」。 上右 泡も多く出ているちょっと辛口もの。 左 アミューズ。お通しみたいなものだがこれは無料。初めてのときには、頼んでいないのにと不安になった。ただ、こんなに何種類も出てきたのは初めてだ。 |
ずわい蟹のロワイヤル。 一番上にスープが入っているが、いわば蟹入り卵豆腐。 |
寒鯖のマリネ焼霜と小松菜 旬の味覚プレッセ。 あぶっていることはわかったが、焼霜って何か後日調べたものの、結局よくわからず、あぶりと同じ理解でもいいだろうと思った。プレッセも調べたがいまいちわからず。 |
オニオンスープ。 |
パン。 |
上左 ロゼワイン「玉名」。 上右 醸造所は熊本市の「熊本ワインファーム」。ぶどうの栽培地が玉名市なのかな。 左 さわらのヴァプールヴェルモット酒風味ソース。後日調べると「ヴァプール」は”蒸気で蒸す”、「ヴェルモット酒」は”スパイス風味の混じった白ワイン”ということだ。 |
国産牛ホホ肉の赤ワイン煮込み。 肉はとても柔らかかったのだが、肉の下にレンコンがあって、はじめは骨だと思った(笑)。レンコンだとわかれば、柔らかくて美味しかったのだが。 |
レモンシャーベット。 |
プリンと生クリーム。 |
コーヒー。 |
メニューが全部終わり、そろそろ席をたとうとしていたときにサプライズ。 お菓子のサービスということで、大きなワゴンがやってきた。 菓子の説明の後、1つずつ出してよいかと言われたので、盛ってもらった。 |
お菓子5種。 |
ゼリー。 コーヒーもお代わり入れてもらった。 量・質ともに大満足のフレンチだった。 |
昭和天皇の三池炭鉱行幸のさいに休憩された部屋。 |
昭和天皇が坑道内で利用されたヘッドランプ。 以前、福島県いわき市の湯本炭鉱で昭和天皇が行幸のさいに利用したトロッコを見たことがある。炭鉱へ2ヶ所行幸が行われたということは、当時は石炭が最重要産業だったんだと改めて理解できた。 |
團琢磨の像。 團琢磨は三井財閥の総帥で暗殺されたことは知っていたが、今回、最初は三池炭鉱の技師であったことを知った。 三池炭鉱で技師から事務長になり、三井鉱山の会長、三井財閥の総帥へと上っていったことがわかった。三井の中でも鉱山が商事、銀行とならんで重要な時代だったんだなって思った。 |
港倶楽部を出たのは15時。30分ほど歩いて石炭産業科学館に向かった。 |
体験坑道などがあり、17時の閉館間近まで見学した。 下左 石炭産業科学館のすぐ近くにイオンモールがある。 下右 イオンモールから大牟田駅西口へのバスに乗車。 |
宿に戻り、預けていた荷物を受け取り部屋へ。 かなり狭く、荷物を広げる場所がないし、テーブルもネットをするには小さい。 |
入口側を見る。 左側のドアが開いているところはシャワー。トイレとは別になっているので、その点はよい。 |
1時間ほど休んだあと、夕食に出かけた。 駅の東口に出て、すぐに見つけたラーメン屋「東洋軒」へ。そのときにはわからなかったのだが、大牟田ラーメンのなかで最古の老舗らしい。 |
店内。 |
ラーメンと炒飯のセット。 醤油とんこつ味だ。これが大牟田ラーメンか。 |
炒飯。細かく切ったかまぼこが入っているのが特徴的。 |
大牟田市役所はライトアップされていた。 |
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