9 日 目 三池炭鉱のあとはレッサーパンダ
![]() |
![]() 前日、三川坑へ行くとき、大牟田駅前バス停の時刻表を見て土日のみ、万田坑へのバスが2本あり、1本は見学に使える時刻だったので利用した。事前に旅程をつくったときには、このバスには気づかず、JR荒尾駅からのバスを利用する経路を計画していた。 |
![]() ![]() |
![]() 上右 大牟田駅方面は土日のみ2本ある。 万田坑はぎりぎり熊本県荒尾市になり、荒尾駅からのほうがバスは多い。(といっても平日6本、土日4本だが) 左 最初に万田炭鉱館へ。 |
![]() |
![]() 大牟田市にある三川坑、宮原坑は無料だったが、荒尾市にある万田坑は有料だった。各市の考えなのだろう。 万田坑の入口。外壁はなく、門だけ残っている。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() 坑内の換気のための巨大扇風機がも設けられていた。1951年に万田坑が閉山し、その後は事務所になった。 |
![]() もとは扇風機の動力室だったが、万田坑が閉山後は、安全灯(ヘルメットにつけるランプ)の充電室と浴室になった。 万田坑閉山後も別の用途で三川坑閉山まで利用されたので、建物が保存されているのだとわかった。 |
![]() 竪坑を昇降するエレベータを支える櫓がここにあった。コンクリートの部分がその跡。 |
![]() |
![]() ![]() |
![]() 上右 第2竪坑櫓の下のエレベータ乗場だったところ。 左 第2竪坑の巻き上げ機。 |
![]() すぐに熊本県荒尾市から福岡県大牟田市に入った。 |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() ![]() |
![]() 上右 竪坑櫓の下のエレベータに乗るところ。かごも展示されている。 左 巻き上げ機室。 |
![]() 三池炭鉱では、三川、万田、宮原の3坑を見学したが、見ごたえがあったのは三川。万田はまあまあ、宮原は期待外れ。世界遺産になったのは万田と宮原で、三川は世界遺産ではない。世界遺産は「明治日本の産業革命遺産」というくくりなので、昭和時代の三川は無関係なのだ。世界遺産見学にこだわらず、三池炭鉱を見たいという場合は三川がいいし、世界遺産めぐりの場合でも三川は訪問するのがよいと思う。 |
![]() このあと、専用鉄道沿いに歩く。掘割になっている区間を渡る橋の上から撮影。線路は単線で敷かれていたが、複線にできる幅がある。 |
![]() 下左 道路と同じ高さの専用区間もあった。 下右 道路脇には「文部科学省」の標柱がいくつもたっていた。世界遺産である専用鉄道の敷地を明示するためだろう。 |
![]() ![]() |
![]() |
![]() 専用鉄道では、電気機関車にけん引された通勤用の旅客列車も運転されていた。貨物専用じゃなかったのだ。こんなのが走っていたのが驚きだ。 |
![]() |
![]() 江戸時代につくられた水道橋。上流の池から大牟田市方面への農業用水のためにつくらられた。上に上ることができなかったので、水道橋であることは確認できなかった。(現在は使用されていないので、水は流れていない。) |
![]() かつては三池集治監(刑務所)があり、その外壁。囚人が造った。囚人は炭鉱労働に従事させられたが、この外壁も造った。1931年までは刑務所で、1935年から工業学校になった。 三池工業は一度だけ甲子園に出場し、そのとき優勝している。かすかに覚えがある。その時の監督の原貢は、巨人監督原辰徳の父。優勝の翌年、東海大相模監督に移籍した。 |
![]() |
![]() |
![]() ご飯とコーヒーもあったが写真を省略。 |
![]() 日付はないが1997年から2005年までのものとなる。 |
![]() |
![]() レンくん。 |
![]() レイくん。 あと1匹、ソラちゃんがいたんだが、体調が悪くじっとして動いていなかった。 |
![]() カルタのミュージアムで、なぜ大牟田にカルタのミュージアムがあるのって思いながら入館。 南蛮文化が伝来した戦国末期、三池は外国のカルタ(昔のトランプ)を模して、カルタの産地として栄えたという。ところが鎖国になり、三池でもカルタはつくられなくなった。 古い外国のトランプや日本の百人一首や花札などを展示。バスクのビトリアで入ったトランプ博物館に似た感じ。 撮影禁止で写真はなし。建物は大きいが図書館に併設されていて、そのワンフロアの半分だけがカルタックスだった。 |
![]() かつて宮浦坑のあった一帯を公園にしている。当時のものは残されておらず、面白くない。 |
![]() 写真左や右上に見えるのは三井化学の石炭化学コンビナート。煙がでているので稼働しているのだが、石炭は輸入なのか、あるいは石炭以外の原料を使っているのか。 |
![]() 三池炭鉱の歴史が記されている。 文明元年・・発見 江戸時代・・三池、柳川藩による経営 明治6年・・官営になる 明治15年・・以後、囚人を使役 明治22年・・三井の所有になる |
![]() 1時間ほど休憩の後、夕食へ。宿のあるエリアの北側のほうで店を探したが、なかなか適当な店がみつからない。 入店したのは「大番」。 |
|
![]() |
![]() 美味しくいただけた。歩き回ったあげくに見つけて入った店だったが、いい店でよかった。 |
|