9 日 目  三池炭鉱のあとはレッサーパンダ 

 

 朝食のでない宿なので、前日に夕食からの帰りに朝食を買っておいた。

 
 大牟田駅前から万田坑行きのバスに乗車。

 前日、三川坑へ行くとき、大牟田駅前バス停の時刻表を見て土日のみ、万田坑へのバスが2本あり、1本は見学に使える時刻だったので利用した。事前に旅程をつくったときには、このバスには気づかず、JR荒尾駅からのバスを利用する経路を計画していた。
 
 上左   20分ほどで万田坑に着いた。

 上右   大牟田駅方面は土日のみ2本ある。

 万田坑はぎりぎり熊本県荒尾市になり、荒尾駅からのほうがバスは多い。(といっても平日6本、土日4本だが)

 左   最初に万田炭鉱館へ。
 炭鉱についての展示室が1つあったが、全体としては観光客向け施設ではなかった。公民館的なもので、荒尾市の設置。図書館やホールなどがあり、どちらかといえば住民サービスに力点が置かれていた。そのため、見学はすぐに終わった。
 バス停に戻り、バス停そばの万田坑ステーションで入場券を購入。

 大牟田市にある三川坑、宮原坑は無料だったが、荒尾市にある万田坑は有料だった。各市の考えなのだろう。

 万田坑の入口。外壁はなく、門だけ残っている。
 
 万田坑の敷地の下を通って、万田坑の門の反対側の大牟田市側に抜ける桜町トンネルがあった。
 
 職場。機械や工具の修理場。
 職場の内部。
 事務所(旧扇風機室)。

 坑内の換気のための巨大扇風機がも設けられていた。1951年に万田坑が閉山し、その後は事務所になった。
 改修工事中の安全灯室・浴室。

 もとは扇風機の動力室だったが、万田坑が閉山後は、安全灯(ヘルメットにつけるランプ)の充電室と浴室になった。

 万田坑閉山後も別の用途で三川坑閉山まで利用されたので、建物が保存されているのだとわかった。
 
 第1竪坑櫓の跡。

 竪坑を昇降するエレベータを支える櫓がここにあった。コンクリートの部分がその跡。
 第2竪坑櫓と巻き上げ機室。
 
 
 上左   ここから第2竪坑櫓の下へ向かう。

 上右   第2竪坑櫓の下のエレベータ乗場だったところ。

 左   第2竪坑の巻き上げ機。
 
 万田坑の見学を終え、宮原坑へ向かう。

 すぐに熊本県荒尾市から福岡県大牟田市に入った。
 
 専用鉄道跡に上れる箇所があったので、上ってみた。
 
 専用鉄道の鉄橋跡。
 
 万田坑から45分ほどで宮原坑に到着。万田坑に比べてずいぶん狭い敷地だ。かつての鉱山の敷地はもっと広かったのだろうが、世界遺産として保存されている敷地が狭いのだろう。
 
 
 上左   竪坑櫓。

 上右   竪坑櫓の下のエレベータに乗るところ。かごも展示されている。

 左   巻き上げ機室。
 
 巻き上げ機。

 三池炭鉱では、三川、万田、宮原の3坑を見学したが、見ごたえがあったのは三川。万田はまあまあ、宮原は期待外れ。世界遺産になったのは万田と宮原で、三川は世界遺産ではない。世界遺産は「明治日本の産業革命遺産」というくくりなので、昭和時代の三川は無関係なのだ。世界遺産見学にこだわらず、三池炭鉱を見たいという場合は三川がいいし、世界遺産めぐりの場合でも三川は訪問するのがよいと思う。
 宮原坑はほかに入場できる建物は1つあっただけで、見学はすぐに終わった。

 このあと、専用鉄道沿いに歩く。掘割になっている区間を渡る橋の上から撮影。線路は単線で敷かれていたが、複線にできる幅がある。
 三川坑で展示されていた電気機関車1号機を模したトイレ。パンタグラフは筑肥線を走って、引退した103系電車のもの。

 下左   道路と同じ高さの専用区間もあった。

 下右   道路脇には「文部科学省」の標柱がいくつもたっていた。世界遺産である専用鉄道の敷地を明示するためだろう。
 
 
 踏切だった箇所でレールが残されているところもあった。
 
 (現地の案内板の写真を拝借)

 専用鉄道では、電気機関車にけん引された通勤用の旅客列車も運転されていた。貨物専用じゃなかったのだ。こんなのが走っていたのが驚きだ。
 
 再び掘割区間になり、やがて大きな道路と交差するところで路線跡も亡くなってしまった。
 
 めがね橋。

 江戸時代につくられた水道橋。上流の池から大牟田市方面への農業用水のためにつくらられた。上に上ることができなかったので、水道橋であることは確認できなかった。(現在は使用されていないので、水は流れていない。)
 
 三池工業高校の外壁。

 かつては三池集治監(刑務所)があり、その外壁。囚人が造った。囚人は炭鉱労働に従事させられたが、この外壁も造った。1931年までは刑務所で、1935年から工業学校になった。

 三池工業は一度だけ甲子園に出場し、そのとき優勝している。かすかに覚えがある。その時の監督の原貢は、巨人監督原辰徳の父。優勝の翌年、東海大相模監督に移籍した。
 
 なかなか昼食処がなく、昼食をとった「外苑」を見つけたのは13時を回っていた。
 
 店内。
 
 ハンバーグステーキ。

 ご飯とコーヒーもあったが写真を省略。
 
 巨人時代の清原選手のサイン。

 日付はないが1997年から2005年までのものとなる。
 
 食後は大牟田市動物園へ。
 
 お目当ては一番奥にいるレッサーパンダ。

 レンくん。
 
 じっとしていないので撮影はなかなか難しい。

 レイくん。

 あと1匹、ソラちゃんがいたんだが、体調が悪くじっとして動いていなかった。
 
 カルタックスおおむた。

 カルタのミュージアムで、なぜ大牟田にカルタのミュージアムがあるのって思いながら入館。

 南蛮文化が伝来した戦国末期、三池は外国のカルタ(昔のトランプ)を模して、カルタの産地として栄えたという。ところが鎖国になり、三池でもカルタはつくられなくなった。

 古い外国のトランプや日本の百人一首や花札などを展示。バスクのビトリアで入ったトランプ博物館に似た感じ。

 撮影禁止で写真はなし。建物は大きいが図書館に併設されていて、そのワンフロアの半分だけがカルタックスだった。
 
 宮浦石炭公園。

 かつて宮浦坑のあった一帯を公園にしている。当時のものは残されておらず、面白くない。
 
 公園の一角から専用鉄道が良く見えた。見える一帯は架線が引かれ、現役で利用されている区間のようだ。線路も複線のようで、ここだけ見ているとJRと変わりない感じだ。

 写真左や右上に見えるのは三井化学の石炭化学コンビナート。煙がでているので稼働しているのだが、石炭は輸入なのか、あるいは石炭以外の原料を使っているのか。
 三池炭山創業碑。

 三池炭鉱の歴史が記されている。

 文明元年・・発見
 江戸時代・・三池、柳川藩による経営
 明治6年・・官営になる
 明治15年・・以後、囚人を使役
 明治22年・・三井の所有になる
 
 翌日の朝食を買って宿に戻った。

 1時間ほど休憩の後、夕食へ。宿のあるエリアの北側のほうで店を探したが、なかなか適当な店がみつからない。

 入店したのは「大番」。

 

 店内。
 
 ちゃんぽん。

 美味しくいただけた。歩き回ったあげくに見つけて入った店だったが、いい店でよかった。

 

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