10 日 目 柳川で”せいろうなぎ”を食べる
前日に買っておいたパンを朝食にした。 |
西鉄大牟田駅。福岡(天神)行き特急で柳川に向かう。 |
車内。 西鉄特急はクロスシートの専用車もあるが、朝ラッシュが終わった直後とあって、乗車したのは一般車両だった。 大牟田から柳川は近く16q。特急は大牟田の次の駅、新栄町だけ停車で12分。 |
上左 柳川着。 上右 柳川駅も新しい駅舎ができていた。前回訪問したのは30年ほど前なので当然だが。 左 駅に近い「ホテルニューガイア」に1泊する。宿に荷物を預けて、すぐに観光開始。 下左 すぐに駅前に戻り、佐賀行きの西鉄バスに乗車。 下右 「大川橋」で下車。筑後川昇開橋を歩いて渡るためだ。 |
昇開橋が近付いてきた。よく見ると、中央部分が上っている。これでは歩いて渡れない。 それでも、中央部分の手前までは行けるかもと思い、橋に向かった。 |
この日は、月曜。昇開橋は月曜は通れなかったのだ。この付近では、古賀政男記念館や海軍所の見学施設が月曜休館ということは調べていて、火曜に行く予定だったが、橋はいつでも通れるって考え、休館日を調べなかったのだ。 ここも翌日に行くことにした。その代わり、翌日行く予定の2ヶ所で、本日も開館しているところを訪問することにした。 |
上左 一挙に佐賀に向かった。翌日入館するつもりだった大隈重信生家・記念館と佐賀城に行くことにした。 「大隈重信記念館」バス停で下車。 上右 記念館は工事用覆いで包囲。 左 記念館内。オレンジ色のカーテンのためにオレンジ色ががっている。 |
大隈の生家。かなり大きな武家屋敷だ。 |
広々とした座敷。 まったく意図していなかったのだが、1つの旅で、大隈重信と福沢諭吉の生家・記念館を共に訪問できた。 |
10分ほど歩いて佐賀城へ。時間が限られているが、本丸歴史館だけは行きたい。 佐賀城は1700年代初めの火災で天守が焼失し、その後は本丸御殿が中心になっていた。本丸御殿を復元し、そこを歴史館にした。 |
上左 入口は障子を開けて入るということにびっくり。 上右 延々とした畳の廊下を歩くのにもびっくり。 左 広大な座敷を広々と使って展示がなされていた。 |
上左 大隈記念館バス停から柳川行きバスに乗車。すでに13時前。 上右 柳川市内の「中町」バス停で下車。 左 うなぎ料理店「菊水」へ。13時40分でかなりお腹もすいてきているので、早く食べたく、この店に急いだ。 |
案内された部屋。 特上うなぎ御膳を注文。残念だったのは、重点措置のため酒類は出していないこと。昼なのでお茶でがまん。 うなぎは、せいろかかば焼きか選ぶ。自分にとっては、”うなぎ=かば焼き”なのだが、柳川や筑後地方の郷土料理はせいろなので、せいろにしてもらった。 |
御膳なので、全部まとめて配膳されてきたが、1品づつ撮影。 うなぎせいろ。4切れ入っている。 説明によると、かば焼きをタレをかけたご飯ごとせいろで蒸すのだという。 |
最初の1きれ。見た目は、かば焼きと同じなのだが、蒸しているので皮が柔らかくなっている。 また、タレをかけたご飯を蒸しているので、タレがなじんで、やや炊き込みご飯に近い感じ。 下左 うざく。うなぎときゅうりの酢の物。 下右 うまき。うなぎを巻いただしまき。 |
上左 茶碗蒸し。うなぎが入っている。 上右 すまし汁。うな肝が入っている。 ゆっくりいただいて、店を出たのは14時30分。 左 柳川は水郷の街。運河沿いに北原白秋の生家まで行こうと思う。 |
運河では”しらさぎ”を何度も見た。 |
運河には船着き場があちこちにあった。ここは観光用の船が通らない運河なので、一般の船を止めやすいようにしているのかな。 |
観光船の通る広い運河に出た。観光船は30年前の訪問時に乗船した。今回は地上から運河を見たいと思い乗船しなかった。 |
運河沿いの売店に観光船が船を寄せているところ。 下左 柳川城跡。中学の敷地内にあり5mほどの高さがある。 下右 柳川城跡の平地。 |
柳川藩主立花邸「御花」。 この洋館以外に、和風建築や庭園があるのだが、閉館が16時で入場はその20分前までということで入れなかった。 |
北原白秋の生家・記念館。生家は造り酒屋だった。 |
酒蔵の中が展示室になっている。 |
酒蔵の中に生活の場もあった。 |
運河沿いを歩き宿に戻る。 |
左側は「御花」。右側の道を歩いた。 昼食のうなぎの量が多いうえ、食べた時間が遅かったので、まだお腹に残っていた。夕食は食べ物を買って宿に行き、部屋食にすることにした。 |
宿に着き、預けていた荷物を受け取り、部屋へ。 |
窓側から入口を見る。 |
上左 ビール。サッポロ制だが初めて見かけたもの。 下右 オニオンサラダ。 左 カップラーメン。 |
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