12 日 目  呼子と唐津を歩き、イカ活き造りを食す 

 

 朝食会場へ。
 野菜を多くいただいた。
 
 佐賀駅から唐津線西唐津行きに乗車。
 
 西唐津行きの気動車。国鉄時代から残るキハ40系。
 
 懐かしい座席。この座席は、かつて国鉄時代には電車も気動車も標準だたったが、2022年現在、絶滅寸前。
 唐津駅。40年前、筑肥線電化の前と後に2回きたが、駅にきただけで、観光も泊まりもしていない。実質は初めての街だ。
 
 1泊する「唐津第一ホテル」へ向かい、荷物を預ける。

 駅から500mほどだが、バスターミナルは100mほど。このあと向かう呼子へのバスや翌日利用する福岡へのバスの利用を考え、バスターミナル近くの宿を選んだのだ。
 
 唐津バスターミナル。

 市が活性化のため作ったビルのようで、1階がバスターミナル。2階はテナント。3階はホール。4階は貸オフィス。5、6階は市役所別館になっている。市役所本庁舎は、宿とこの建物の間にある。
 バスターミナル待合室。

 下左   10時10分発の呼子行きに乗車。

 下右   唐津周辺のバスは昭和バスが中心。
 10時40分、呼子バスターミナル着。乗換時間が20分のため、この建物の前を少し歩いただけ。

 下左  11時発の国民宿舎行きに乗車。行先を言って、先に料金を払う。波戸(はど)岬といって乗車。高齢者の短距離乗車が少しある。

 下右  11時15分、下車した地点。ここは波戸岬に一番近いので下ろしてくれたようだ。乗るときは、少し上の国民宿舎(ここからも見えていた)のバス停から乗るように言われた。屋台風の店が並び、あとでここで昼食をいただこう。
 
 
 トルハルバンがあった。

 トルハルバンは済州島で守り神としてたてられているもので、10年余り前に済州島にいった時に見たことがあり、懐かしい。

 済州島の西帰浦市が唐津市と姉妹都市になっている関係で寄贈されたとのこと。
 
 日本で唯一の海中展望塔。100mほどの通路を歩いて展望塔に入る。塔は海底に固定されている。

 下左   塔の下まで行くと、展望室がある。

 下右   窓の外を見る。
 
 
 ハート型のオブジェ。

 ”恋人の聖地プロジェクト”という地域活性化事業で”恋人の聖地”として認定されている場所だ。
 波戸岬神社。赤い屋根の建物が本殿。

 下左   海岸にも鳥居があり、岩にしめ縄が巻いてあり、ご神体なのかな。

 下右   急坂を上ってみると、波戸岬灯台があった。
 
 
 
 上   バスを下りたところの屋台風の食堂に戻ってきた。この中に5店舗ほどの店が入っていた。

 左   店内。
 
 まず、さざえつぼ焼きを注文。

 下左   焼きあがったさざえつぼ焼き。

 下右   缶ビール。
 
 
 焼きがき。

 下左   いか焼き。

 下右   バスに乗るため「国民宿舎」バス停へ向かった。

 
 
 
 発車まで余裕があったので、周辺を歩くと「北条氏盛陣跡」があった。まったく何の特徴もない場所だった。

 びっくりしたのは、北条氏は小田原攻めで滅亡したはずなのになぜって思った。帰宅後調べると、血縁者が北条氏の存続を許され、狭山藩の小大名として生き残り、朝鮮出兵にも参加していたのだった。その後、江戸時代も生き続け、廃藩置県まで存続したことをしった。
 
 
 上左   「名護屋城博物館入口」で下車。

 上右   名護屋城博物館。

 左   館内。
 
 中心にある大きい印が名護屋城。その周囲の細かいものが、出兵に参加する大名の陣地。

 わずかな期間だが、日本の多数の大名が狭い範囲に集結していたわけで、そんなのはほかにはないだろう。
 
 名護屋城に上る。大手門の付近。

 石垣が残るが、秀吉の築いた城で石垣が残るのは名護屋城だけ。

 下左   本丸跡。当時のものは何もない。

 下右   左の写真で真中に小さく写る塔がある。その上部。揮毫は東郷平八郎。
 
 
 天守台。

 本丸の端にあり、崖上にあって遠くから良く見える位置にある。本丸は下からかなりあがってこなければなれないけれども、本丸の中で天守台は1mほど高い程度。
 
 (案内板に描かれた絵図を拝借)

 屏風に描かれた名護屋城。
 
 天守台からの眺め。呼子大橋が見える。

 下左   名護屋城博物館入口発14時38分、呼子着14時47分。

 下右   呼子発14時55分、唐津バスターミナル着15時25分。
 
 
 15時30分から唐津街歩きスタート。

 まず旧唐津銀行本店へ。

 1912(明治45)年の竣功で辰野金吾が監督し、弟子が設計した。辰野金吾といえば東京駅の設計者だが、彼は唐津出身でこの銀行にもかかわったようだ。
 
 1階の内部。銀行の窓口が並ぶ。
 
 階段。吹き抜けで1階が見える。
 
 曳山展示場。

 本来の専用の展示場が工事中で、臨時の展示場に行った。駅近くの「ふるさと会館 アルピノ」が臨時展示場。

 秋祭りである唐津くんちのときに街を練り歩く14台(うち2台は修理中)の曳山が展示されている。そばまでは行けず、遠く、しかもガラス越しでの見学だった。
 
 旧高取邸。

 杵島炭鉱で財をなした高取伊好(これよし)の邸宅。昭和初期の建築。

 邸宅内の一部屋が能舞台になっていて、びっくりした。城へ急ぐ必要があったので、駆け足での見学になった。

 内部の撮影禁止。
 
 
 上左   旧高取邸を出たのが16時30分。唐津城は17時で閉場だが、入場は16時40分までとなっている。最初は間に合うかと思ったのだが、すぐあきらめた。丘の上に城があるからだ。急いでいたので、ゆっくり見る余裕はなかったが、この道は石垣に面した風情ある道だった。

 上右   唐津城は海のそばにあるので、丘の上だとは思わなかったのだ。階段の下に着いたのは15時40分。まだ可能性があるなら有料エレベータを使ったかもしれないが、無理と判断して、歩いて上った。

 左   天守に着いたのは、16時45分。当然だが、入場口は固く閉ざされていた。
 
 天守の下の広場から東を見る。

 市街地の向こうに見える緑が”虹の松原”。
 
 昔の港の灯籠と橋を復元した公園。
 
 公園の橋から見た城。
 
 宿に戻り、朝、預けた荷物を受け取り部屋へ。

 下左   窓側から入口側へ。

 下右   窓からは街の西側が見えた。
 
 
 30分ほど休憩後、夕食に出かける。

 向かったのは宿から10分ほどの「玄洋」。

 ここはネット仲間のタヌキ猫さんが利用された店だ。いい店だと判断してほかの店は考えず、ここに決め、予約した。
 
 店内に入ると、イカが泳ぐいけすが目に入る。

 いけすを取り囲むように座敷席が並び、そのひとつに上った。
 
 飲物は生ビール。

 イカ活き造り御膳で、本来のイカは200gのところ300gに増量してもらうことにした。

 客は自分1人で、急な休業にならないようにするため、予約しておいてよかった。3200円と増量分1100円に税。
 
 イカ活き造り。3〜12月はヤリイカ、11〜4月はアオリイカだそうで、このときは2月でアオリイカだ。

 驚いたことは、イカが透明なのだ。黒っぽく見えるのはイカの下にひかれた笹の葉。

 イカは細く切ってある。また、切れ目と直角に切り込みが入れてある。
 
 イカには甘みがある。かむとさらに甘みがます。

 下   御膳。上列は、いかしゅうまい、冷しぜんざい、みそ汁。中列はイカと酢味噌、小うどん、茶碗蒸し。下列は、ご飯、香の物、造り用の醤油。

 
 
 
 造りで食べ残ったイカの足の部分は天ぷらか塩焼きにするということで、天ぷらにしてもらった。

 イカの活け造りに大満足して宿に戻った。

 

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