3 日 目 別所温泉・上 田
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別所温泉 |
![]() 前日にはいただかなかったおかずを多く選んだ。牛鍋は牛丼風にしていただいた。 |
![]() 下 食後すぐに駅へ向かう。「あさま610」に乗車。 「あさま」は各駅停車。 |
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![]() 結果的には、最初に上田までのきっぷを買っておけば安上がりだったのだが、長野までの切符を買った時点では、上田に行くかどうかはっきりしていなかったので仕方ないし、特定特急券は、特定の日だけ有効になるので無理だった。 |
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![]() 下 上田駅ビルには、真田氏の家紋「六文銭」が大きくつけてある。 |
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![]() この路線は1980年に往復乗車している。でも、折返しの電車で帰っただけなので、別所温泉は知らない。今回は、公共浴場の入浴などもする予定。 下 上田駅に入る別所線電車。 |
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![]() 下 駅舎。 |
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![]() 入口左に、木曽義仲ゆかりの"葵の湯"という碑があり、飲用温泉がでていた。少し飲んだが、硫黄の臭いが気になって、ほとんど飲めなかった。 |
![]() 別所温泉の湯は無色透明という説明もあったが、湯が緑色をしている。浴槽内の色の影響なのか、成分の影響で湯の色が変化しているのか。 |
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![]() 工事中だった。2025年は開創1200年で10〜11月に64年ぶりに前立観音御開帳とのことで、その準備なのだろう。 |
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![]() 写真左端には、「真田幸村公 隠し湯」と書かれた碑があり、飲用温泉が出ていた。飲んでみたが、硫黄分も含まれていて美味しくなかった。 |
![]() 地下に浴場があった。岩風呂。こちらはずいぶんと混雑していて、撮影できなかった。 |
![]() 山道を上り、安楽寺へ。 |
![]() 八角の塔は珍しい。ほかではすぐに思い浮かばない。見た目は四重塔なのだが、一番下の張り出している部分はひさしで、全体としては三重塔らしい。見た目ではよくわからない。 |
![]() 北向観音の本坊である。本堂は茅葺なのも珍しい。 |
![]() このあと、駅へ急いで戻り、上田に向かった。 |
上 田 |
![]() 観光案内所に同居している「千本桜」で昼食。上田城址は、桜の名所で、4月上旬には「千本桜まつり」がある。 |
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![]() 巨大なかきあげはサクサクしてうた。上にちくわでつくった六文銭が置いてある。 |
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![]() 下 「千本桜」から道路を隔てた向かい側には、上田城の入口がある。写真左のほうに堀を渡る橋がある。 |
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![]() 上田城は真田氏が長らく居城にしていて、家康から2回攻められたが、持ちこたえた城。関ヶ原のさい、父と弟が西軍、兄が東軍についた結果、兄の家系が生き延び、上田藩の統治を行った。しかし、松代へ転封になり、真田氏が明治維新まで松代を統治。 真田というと、豊臣方のイメージが強かったが、今回の旅で、幕末には老中になったり、佐久間象山を輩出して明治維新に影響したなど。知らなかったことを知れてよかった。 |
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![]() 真田氏が松代に転封のあと、上田は仙谷氏が藩主になった。さらに、松平氏に変わった。真田神社という名がついているが、真田、仙谷、松平の全城主を祭神にしているという。 |
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![]() 撮影可のものもあったが、興味関心がなくてほとんど撮影しなかった。 |
![]() もともとは、山本鼎という地元在住の画家の記念館だったのだが、別の場所に、上田市立美術館が開設され、そちらに移転。空いた部分に、本館から真田氏関連のものを移転させ展示している。 |
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![]() 父と弟が西軍についたが、兄は東軍につき、真田家を守り、上田藩、松代藩の初代藩主になる。 下 大坂冬の陣で、真田信繁(幸村)が、家康を追い詰めたという場面を描いたもの。 |
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![]() かつては藩主だけが通れた門が校門になっているという情報があったが、少し離れた場所で、面倒になり行かなかった。 |
![]() 北国街道は、軽井沢の追分で中山道から別れ、高田に至るが、佐渡金山の関係で、のちに出雲崎まで延長された。 ここは、蔵が多く残っていた。柳の木があり、柳町というようだ。 |
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![]() 7月12日は信州上田祇園祭、7月26日には上田わっしょい、と夏祭りが2つあるようだ。 |
![]() 真田氏が上田城に入城する以前には、真田氏は現在の市街の郊外に居館を持っていた。その真田氏居館は、御屋敷公園となっていて、つつじの名所らしい。そのつつじも描かれている。 |
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![]() 現在の建物は1924年竣工だという。とてもきれいなので、耐震工事を兼ねてきれいにしたのだろう。 |
![]() 飴とついているが、甘さ控えめのゼリ―だ。 |
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ニューハカタスタイル |
![]() 「炭火の串や ニューハカタスタイル」。博多風の串焼きの店のようだ。長野でわざわざ博多系の店なんてという気もするが、どんなものなんだろうっていう好奇心から入店。 |
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![]() 宿で夜鳴きそばを食べようと思っていたので、これだけにしておいた。宿に戻り、温泉と夜鳴きそばを楽しんだ。 |
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