4 日 目   安 曇 野

 

 

碌山美術館
 朝食。この日は、デザートのみかんがよかった。
 8時27分発、穂高行きに乗車。時刻表では、当駅始発だったが、実際には、塩尻方面からの列車が直通だった。そのためか、大糸線専用ホームじゃなく、篠ノ井線の使うホームからの出発だった。
 大糸線は、最後に乗ったのが30年ほど前、スキーのため関西方面から直通の列車で白馬へ行ったときだ。普通列車に限ると、40年か45年前に、大糸線に乗車するために乗って以来だ。

 当時は、旧型国電とよばれる、昔のごつごつしたタイプの古い電車だった。水色で厚化粧していた。
 
 上   9時5分、穂高に到着。踏切を渡り、駅舎に向かうところから撮影。

 左   穂高駅舎。しめ縄がはってあり、穂高神社最寄であることを想起させる。
 
 まず、JR沿いの道を歩いて、碌山美術館に向かう。
 
 アベリアを植えている民家が多く、気持ちよく歩けた。
 
 駅から15分ほどで碌山美術館に着いた。

 メインの展示館は、教会風のレンガ造りで、葉っぱが入口あたりについていて、いい感じだ。

 1958(昭和33)年の開館だが、登録有形文化財の表示があった。
 この棟には、荻原守衛(碌山)の作品が展示されていて、この美術館のメイン展示室だ。この棟だけが撮影可であった。

 碌山は、名前だけ知っていただけの彫刻家で、展示物を見て、明治時代にこんなに力強い彫刻を作った人がいたんだと思った。年譜を見ると、31歳で亡くなっていて、これもびっくり。
 
 
 
 上左   文覚(もんがく)。1908年。

 上右   女。1910年。重要文化財。

 左   デスペア。1909年。

 2棟目は、碌山の絵画を展示していた。絵画もよかったのだが、撮影禁止。ほかに、高村幸太郎はじめ碌山以外彫刻と絵画を展示する棟が各1棟あったが、撮影禁止。
道祖神めぐり、早春賦の碑
 道祖神や昔のままのなまこ壁の土蔵を見ながら、次の目的地の早春賦の碑に向かう。
 道祖神は日本各地に見られるが、安曇野市は国内で一番多くあると言われている。道端とくに十字路近くなどには多い。

 いろいろな道祖神の中で多いのは、男女の神が並ぶ姿のもの。肩を組み、握手しているものが多い。

 時期的には江戸時代中期(1700年代)のものが多く、五穀豊穣、子孫繁栄、家内安全などを願ったものだとされる。
 
 安曇野市を南北に走るのが千国街道(塩尻と糸魚川を結ぶ)で、大糸線と並行する。

 旧穂高町にある穂高宿の付近。それほど広くない道だが、通行量は多い。
 
 街道沿いにも道祖神がある。
 昔ながらの商家。
 
 早春賦の碑に向かい、東へ。途中、東光寺に立ちより。

 巨大な赤い下駄はどいいう意味なのか、案内がなくよくわからなかった。

 仁王門のガラス扉の中には仁王像があり、元横綱・北の湖をモデルにしたとのこと。ガラスのためうまく写せなかった。
 
 上   東光寺の門前にあった道祖神。文字が書かれているものもある。

 左   田園地帯に入ると、農地の中にも道祖神が見られる。
 えびす様を彫ってある道祖神もある。
 四方八方、農地が広がる中を歩く。

 下   早春賦の碑。

 右の碑が、吉丸一昌の作詩した歌詞、左の碑は、中田章の作曲した楽譜。真中に、メロディーの流れるオルゴールが置かれている。
 オルゴールを鳴らして、早春賦を聞いた。

 吉丸一昌は、この地の農村の情景を歌詞に表したとのこと。この地は典型的な日本の農村なんだろう。

 吉丸一昌を知ったのは、臼杵市でだ。石仏を見た後、市街地を散策している途中、吉丸一昌記念館があった。吉丸一昌って名は知らなかったので、行くかどうするか迷ったすえ、行ってみた。

 残念ながら、平日は休館とのことで入れなかったのだが、館の別名は「早春賦の館」で、吉丸一昌は早春賦の作詞者だと知った。それ以来、早春賦は気になっていたのだ。
 このあと大王わざび農園に行くのだが、歩いていて、穂高川わさび園というのもあると知った。

 標識で、早春賦の碑と穂高川わさび園が同じ距離、方向だったので、すぐそばだろうと思っていた。実際、早春賦の碑は堤防上にあり、堤防を下りたところが、穂高川わさび園だった。

 わさびの栽培は、日光をさえぎる黒い幕の下で行われる。黒い幕の下で栽培するんだって、はじめて知った。
 わさび栽培には、きれいな水が絶え間なく流れていることが必要で、水が流れていた。

 左端の真中の同心円が見えるところのように、地下水が湧き出ているところもあった。
 道祖神のなかでも"水色の時道祖神"が特別扱いされていたので立寄ってみた。
 水色の時道祖神。道祖神公園とよばれるところに置かれている。

 他の道祖神と特に違っていない。

 1975年のNHK朝ドラ「水色の時」のために制作された道祖神だという。

 最近は朝ドラを見るようになったので、どんなドラマだったのか気になる。
大王わさび農場
 大王わさび農園に到着。農園に入場する前に記念館に入る。

 農園の説明を見ると、日本最大のわさび農場で、日本全体のわさび生産の約10%がこの農場の生産ということだ。

 創業者は1915年ごろから開拓をはじめ、順調に栽培ができるようになるまで約20年かかった。
 
 わさびの品種の説明なのだが、わさびも根菜で根の部分を食べるんだと改めて確認。でも、茎や葉も利用価値があるという。
 
 農場本体に入場。入場は無料で、飲食や土産物で収益を得ているようだ。
 
 昼食どきだったので、まずレストラン「大王庵」へ。30分ほど並んで入った。
 
 店内。建物のまわりが全部ガラス張りで明るい店だ。
 
 わさびづくしそば。
 
 薬味のうち、わさびがらみのもの。

 左上から時計回りで、わさび漬け、ほろっこ漬け(わさびの茎を刻んで酢漬けにしたもの)、しいたけわさび、生わさび。
 すりおろした生わさび。

 手がだるくなってくるけど、わさびをおろすのも楽しいものだ。
 
 薬味をそばにのせた状態。

 準備するのに手間がかかったが、美味しくいただけた。
 
 広大なワサビ農園の大部分は日よけの黒い幕で覆われている。
 
 幕の下を見られる箇所があった。

 清水が流れる水路から、水が畝の間を流れ、流れたあとは、別の水路に抜けていく。わさび田の中でも、水が湧いている箇所があるのは、穂高川の場合と同じ。

 規模は全然違うが、さきほど穂高川わさび園で見たのと同じ仕組み。
 
 大王神社。

 坂上田村麻呂に倒された魏石鬼八面大王はあまりの強く、蘇らないように遺体がバラバラにされ、各地に埋葬されたといわれ、この地には胴体が埋められたと伝えられ、それを祀る。

 古くからの祠が洪水で流されたので、農場の創業者が農場内に移設した。わらじは、大男だった大王にちなむ。「大王農場」の名もこの故事からつけられた。
 
 大王窟。大王がたてこもったとされる洞窟。

 実際には、古墳である。埋葬者などは不明。

 隣に、開運洞がある。こちらは、一時的に立入禁止になっていた。
 
 「Daio's cafe」で休憩。

 隣接して名水百選の湧水がでていた。案内図では名水百選が示されているが、この場所には名水百選とは書かれていないので、わかりにくい。

 大王だけじゃなく、安曇野のわさび田の湧水の全体が名水百選になっているようだ。
 
 店内。

 「大王庵」か同じく系列の別のレストランのレシートがあれば2割引だった。
 
 わさび白桃サンデー。

 左下にわさびがついていて、桃につけたが、美味しいものだ。

 650円だが、割引で520円。

 このあと、売店で土産物を買って、退出。
穂高神社、安曇野ちひろ美術館
 碌山美術館や早春賦の碑など、ずいぶん遠回りして、大王農場に行ったのだが、今度は、穂高駅へ一直線。駅そばの穂高神社に立寄る。

 下   途中、道祖神を見かける。ここは、唯一、屋根がついた場所に置かれていた道祖神。
 
 
 穂高神社。

 上高地で穂高神社の奥宮に参拝したが、こちらは本宮。本宮と奥宮の間には山地があり、移動は松本経由になるが、直線距離では十数kmしか離れていない。
 
 参拝。

 下   風鈴がたくさんつるされ、気持ちいい音色であった。
 
 つぎに、安曇野ちひろ美術館に行くので、14時40分発、信濃大町行きに乗車。
 
 14時52分、信濃松川着。
 
 昔はよく見かけた小学校前の横断歩道にある人形。松川小学校の前に健在だった。
 
 北アルプスを見ながら歩く。左奥に見える高い山は、位置とネット検索した山頂の写真から考えて、燕岳(つばくろだけ)のようだ。
 
 安曇野ちひろ美術館。

 1997年開館。1977年に開館のちひろ美術館・東京の開館20周年記念で開館した。

 いわさきちひろは東京出身だが、両親が松川村で農業をしていた時代があり、ちひろも松本へ疎開した関係で、松川に設置されたようだ。
 
 展示室の面積の割には、敷地が広々としている。子供の遊び場なども設けられていた。
 
 第1展示室。展示室内は撮影禁止で、写真はここまで。

 子供の姿が優しく表現する"ちひろ流"の描き方を楽しめた。

 生涯を紹介するコーナーで、水泳やピアノ、書道などが得意であったエピソードがあり、意外感があった。
 
 美術館の周囲は、安曇野ちひろ公園になっている。

 美術館の出入口の裏口があり、そこから外に出た。
 
 公園の一角に「トットちゃん広場」があり、長野電鉄で走った車両が置かれていた。

 "トットちゃん"は黒柳徹子が自身の子供時代をさして使う愛称。

 下左   "デハニ"の"二"は荷物車ということ。この電車は荷物室があるのが特徴。

 下右   荷物室内。
 
 
 車内では、黒柳徹子のナレーションでトモエ学園の話を流していた。

 黒柳徹子は、落ち着きがなく、尋常小学校1年で退学になった。それで、私立のトモエ学園に転校。トモエ学園では、電車を教室に使っていた。写真は、トモエ学園の教室を模した展示。

 トモエ学園の自由な雰囲気の授業の話などを栗柳は続けた。 
 
 松川駅に戻る途中、道祖神を発見。
 
 16時51分、信濃松川初の松本行きに乗車。

 この日、歩いたのは、穂高で7km、松川で5q、計12q。
松本で夕食
 17時31分、松本着。

 翌日、乗車するバスの乗場を確認し、夕食をとtってから宿に戻ることにした。

 入店したのは「松本からあげセンター」。略称は「からセン」だと看板でわかる。
 
 店内。
 
 生ビールと突出しの千切り。
 
 山賊焼とから揚げのセット。

 山賊焼は。この地の名物で、ニンニク醤油に浸した鶏もも肉をから揚げ粉をつけて揚げたもの。

 山賊焼はハーフで、同じ味付けをしたから揚げ3個のセット。
 
 キャベツが少なく、トマトを注文。

 山賊焼とから揚げでかでかなりお腹がふくれたので、これだけにしておいた。
 

 

 

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