4 日 目 安 曇 野
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碌山美術館 |
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![]() 当時は、旧型国電とよばれる、昔のごつごつしたタイプの古い電車だった。水色で厚化粧していた。 |
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![]() 左 穂高駅舎。しめ縄がはってあり、穂高神社最寄であることを想起させる。 |
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![]() メインの展示館は、教会風のレンガ造りで、葉っぱが入口あたりについていて、いい感じだ。 1958(昭和33)年の開館だが、登録有形文化財の表示があった。 |
![]() 碌山は、名前だけ知っていただけの彫刻家で、展示物を見て、明治時代にこんなに力強い彫刻を作った人がいたんだと思った。年譜を見ると、31歳で亡くなっていて、これもびっくり。 |
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![]() 上右 女。1910年。重要文化財。 左 デスペア。1909年。 2棟目は、碌山の絵画を展示していた。絵画もよかったのだが、撮影禁止。ほかに、高村幸太郎はじめ碌山以外彫刻と絵画を展示する棟が各1棟あったが、撮影禁止。 |
道祖神めぐり、早春賦の碑 |
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![]() いろいろな道祖神の中で多いのは、男女の神が並ぶ姿のもの。肩を組み、握手しているものが多い。 時期的には江戸時代中期(1700年代)のものが多く、五穀豊穣、子孫繁栄、家内安全などを願ったものだとされる。 |
![]() 旧穂高町にある穂高宿の付近。それほど広くない道だが、通行量は多い。 |
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![]() 巨大な赤い下駄はどいいう意味なのか、案内がなくよくわからなかった。 仁王門のガラス扉の中には仁王像があり、元横綱・北の湖をモデルにしたとのこと。ガラスのためうまく写せなかった。 |
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![]() 左 田園地帯に入ると、農地の中にも道祖神が見られる。 |
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![]() 下 早春賦の碑。 右の碑が、吉丸一昌の作詩した歌詞、左の碑は、中田章の作曲した楽譜。真中に、メロディーの流れるオルゴールが置かれている。 |
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![]() 吉丸一昌は、この地の農村の情景を歌詞に表したとのこと。この地は典型的な日本の農村なんだろう。 吉丸一昌を知ったのは、臼杵市でだ。石仏を見た後、市街地を散策している途中、吉丸一昌記念館があった。吉丸一昌って名は知らなかったので、行くかどうするか迷ったすえ、行ってみた。 残念ながら、平日は休館とのことで入れなかったのだが、館の別名は「早春賦の館」で、吉丸一昌は早春賦の作詞者だと知った。それ以来、早春賦は気になっていたのだ。 |
![]() 標識で、早春賦の碑と穂高川わさび園が同じ距離、方向だったので、すぐそばだろうと思っていた。実際、早春賦の碑は堤防上にあり、堤防を下りたところが、穂高川わさび園だった。 わさびの栽培は、日光をさえぎる黒い幕の下で行われる。黒い幕の下で栽培するんだって、はじめて知った。 |
![]() 左端の真中の同心円が見えるところのように、地下水が湧き出ているところもあった。 |
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![]() 他の道祖神と特に違っていない。 1975年のNHK朝ドラ「水色の時」のために制作された道祖神だという。 最近は朝ドラを見るようになったので、どんなドラマだったのか気になる。 |
大王わさび農場 |
![]() 農園の説明を見ると、日本最大のわさび農場で、日本全体のわさび生産の約10%がこの農場の生産ということだ。 創業者は1915年ごろから開拓をはじめ、順調に栽培ができるようになるまで約20年かかった。 |
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![]() 左上から時計回りで、わさび漬け、ほろっこ漬け(わさびの茎を刻んで酢漬けにしたもの)、しいたけわさび、生わさび。 |
![]() 手がだるくなってくるけど、わさびをおろすのも楽しいものだ。 |
![]() 準備するのに手間がかかったが、美味しくいただけた。 |
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![]() 清水が流れる水路から、水が畝の間を流れ、流れたあとは、別の水路に抜けていく。わさび田の中でも、水が湧いている箇所があるのは、穂高川の場合と同じ。 規模は全然違うが、さきほど穂高川わさび園で見たのと同じ仕組み。 |
![]() 坂上田村麻呂に倒された魏石鬼八面大王はあまりの強く、蘇らないように遺体がバラバラにされ、各地に埋葬されたといわれ、この地には胴体が埋められたと伝えられ、それを祀る。 古くからの祠が洪水で流されたので、農場の創業者が農場内に移設した。わらじは、大男だった大王にちなむ。「大王農場」の名もこの故事からつけられた。 |
![]() 実際には、古墳である。埋葬者などは不明。 隣に、開運洞がある。こちらは、一時的に立入禁止になっていた。 |
![]() 隣接して名水百選の湧水がでていた。案内図では名水百選が示されているが、この場所には名水百選とは書かれていないので、わかりにくい。 大王だけじゃなく、安曇野のわさび田の湧水の全体が名水百選になっているようだ。 |
![]() 「大王庵」か同じく系列の別のレストランのレシートがあれば2割引だった。 |
![]() 左下にわさびがついていて、桃につけたが、美味しいものだ。 650円だが、割引で520円。 このあと、売店で土産物を買って、退出。 |
穂高神社、安曇野ちひろ美術館 |
![]() 下 途中、道祖神を見かける。ここは、唯一、屋根がついた場所に置かれていた道祖神。 |
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![]() 上高地で穂高神社の奥宮に参拝したが、こちらは本宮。本宮と奥宮の間には山地があり、移動は松本経由になるが、直線距離では十数kmしか離れていない。 |
![]() 下 風鈴がたくさんつるされ、気持ちいい音色であった。 |
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![]() 1997年開館。1977年に開館のちひろ美術館・東京の開館20周年記念で開館した。 いわさきちひろは東京出身だが、両親が松川村で農業をしていた時代があり、ちひろも松本へ疎開した関係で、松川に設置されたようだ。 |
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![]() 子供の姿が優しく表現する"ちひろ流"の描き方を楽しめた。 生涯を紹介するコーナーで、水泳やピアノ、書道などが得意であったエピソードがあり、意外感があった。 |
![]() 美術館の出入口の裏口があり、そこから外に出た。 |
![]() "トットちゃん"は黒柳徹子が自身の子供時代をさして使う愛称。 下左 "デハニ"の"二"は荷物車ということ。この電車は荷物室があるのが特徴。 下右 荷物室内。 |
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![]() 黒柳徹子は、落ち着きがなく、尋常小学校1年で退学になった。それで、私立のトモエ学園に転校。トモエ学園では、電車を教室に使っていた。写真は、トモエ学園の教室を模した展示。 トモエ学園の自由な雰囲気の授業の話などを栗柳は続けた。 |
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![]() この日、歩いたのは、穂高で7km、松川で5q、計12q。 |
松本で夕食 |
![]() 翌日、乗車するバスの乗場を確認し、夕食をとtってから宿に戻ることにした。 入店したのは「松本からあげセンター」。略称は「からセン」だと看板でわかる。 |
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![]() 山賊焼は。この地の名物で、ニンニク醤油に浸した鶏もも肉をから揚げ粉をつけて揚げたもの。 山賊焼はハーフで、同じ味付けをしたから揚げ3個のセット。 |
![]() 山賊焼とから揚げでかでかなりお腹がふくれたので、これだけにしておいた。 |
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