12 日 目 加 世 田
この日は加世田に向かう。まずは朝食会場へ。 下 ビュッフェ。サラダとしてさつまいもやさといもが出ていたのは珍しい。ご飯は鶏飯でいただいた。 |
デザートとコーヒー。 桜島小みかんも1個いただいた。 下左 中央駅前から8時8分発、加世田行きのバスに乗車。 下右 加世田着、9時35分の定刻から少し遅れたので、9時40分発、野間池行きに大急ぎで手洗いだけ行って、飛び乗った。 |
9時54分、海浜温泉前着。すぐそばに、万世特攻祈念館があった。 ここは昭和20年3月から7月まで使われた陸軍の万世飛行場跡で特攻の出撃地であった。 加世田はもともと、麓集落や吹上浜を訪問予定だったが、祈念館のことは鹿屋で初めて知り、来館を決めた。 |
昭和20年6月に吹上浜沖に不時着し、平成になって引き上げられたゼロ戦。 館内は撮影禁止なのたが、この飛行機のみ撮影可だった。 |
知覧や鹿屋に比べると少ないのだが、それでも200名が出撃した。遺書や遺品を見ていると、涙が出そうになる。また遺書や手紙は、20歳前後とは思えないしっかりとしたものだと思った。 知覧や鹿屋よりは小規模だったが、ひとつひとつ見ていくと、あっという間に時間がたち、1時間以上滞在した。 写真は館外の慰霊碑。 |
この付近が、かつて滑走路であった。写真の奥の方向へ延びていたようだ。 下 整備された吹上浜海浜公園の中を抜けて、海岸に出ると、吹上浜。開聞岳が見える。 日本3大砂丘のひとつ。他は鳥取砂丘と、御前崎から浜松にいたる砂丘。 |
上 北の方を見るとシラス台地の端が白い崖になっている。 左 万世酒造の焼酎蔵が見学できるということで入ってみた。洋館っぽい蔵が珍しい。 下 ひととおり見学したあと、焼酎「萬世」などの試飲。3種類飲み比べた。 |
万世飛行場の営門。 加世田の市街地まで4kmほどあるが、バスがない時間帯だったので、歩いて市街地に向かう。 |
「慰霊塔前」というバス停があり、少し階段を上った上に慰霊塔があった。 昭和18年に日清戦争以来の万世町の戦没者600名を慰霊するためにつくられたという。 |
小一時間かけて、市街地まで歩いた。 「辻食堂」を探したが、見つからなかった。でも辻電機商会という店があったので、その隣かなと思って近づいてみた。 戸には「しずかに開けてください」と貼り紙があり、看板はなかったが、店だとわかった。 |
ラーメンを食べようと思っていたが、日替わりだけということで、日替わりをいただいた。この日はカレーうどんだった。 |
店内。 |
昼食後は、加世田麓の武家屋敷通りへ。この麓の特徴は濠があり、水が流れていること。 下 武家門の残っている屋敷が多くある。鰺坂家屋敷跡は昔の建物はなく公民館になっているが、立派な武家門がある。 |
旧川崎邸の敷地に建てられた鰺坂正一郎邸。外観だけだが公開されていて、中庭まで入った。 |
外城であった別府城址。門柱は城跡につくられた旧加世田小学校のもの。 下左 六地蔵塔。戦国時代に島津家の紛争で別府城が攻略されたさいの戦死者も供養のために建てられた。 下右 仁王像。18世紀末のもので、寺の門の前にあったのだが、民家の庭に移動していた。 |
もと武家屋敷だったところにたてられた洋風建築の旧鰺坂医院。洋風とはいえ登録有形文化財になっている。 現在はカフェ「ポツリ」として営業しているので入ってみた。 |
店内。病院だったときの雰囲気が残っている。 下左 ケーキセットでブルーベリーチーズケーキ。 下右 飲物はカフェオレ。 |
加世田バスターミナルへ。事務所の建物はかつての鹿児島交通の鉄道駅舎。 鹿児島交通の鉄道線はかつて伊集院と枕崎を結んでいて、40年ほど前に乗車した。枕崎で指宿枕崎線に乗継ぎ、鉄道で薩摩半島を一周した。このときは、加世田では途中下車していなかった。 |
鉄道記念館があり、入館してみた。 下左 鹿児島中央までバスに乗車。宿に一旦戻る。 下右 イタリアン風i居酒屋「さくら」へ。 |
上左 店内。普通の居酒屋よりもいい感じだ。 上右 お通し。 左 瓶ビール。 |
カンパチのカルパッチョ。 下左 芋焼酎「小松帯刀」(こまつたてわき)。若くして薩摩藩家老になり、薩長同盟や大政奉還で活躍したが、維新後間もなく病死。 下右 醸造元は南さつま市加世田の「吹上酒造」。 |
ひなもりポークのジューシー鉄板。 ひなもりポークは霧島熟成豚。ボリュームがありこれで満腹になった。 |
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