14 日 目 水 俣
![]() ます朝食。 |
![]() 食後はチェックアウトして、鹿児島中央駅へ。 |
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![]() 下左 列車入口横の表示。 下右 駅名標。 |
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![]() 九州新幹線のさくら、みずほは、指定席だと両側2席、自由席だと2席と3席。また、ネット予約の場合の運賃は自由席の運賃と同額の場合が多いようだ。 |
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![]() 荷物を預けて、すぐに駅に戻る。 |
![]() この日は県境をこえてすぐの水俣へ向かう。 |
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![]() 下 9時28分、水俣着。 駅前をまっすぐ100mほど歩くと、チッソ水俣本部の正門がある。チッソは水俣病の補償などをおこなうためにだけ残り、生産部門はJNC水俣工場として操業している。正門は後ほど見に行く。 |
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![]() 上右 2kmほどなので歩けるが、バスがあったので乗車した。 左 「水俣病資料館下」で下車。「下」とついているが、階段の上に資料館などが見える。 |
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![]() 下 水俣病公式発見は1956年。しかしその前から奇病として知られていた。 原因は1968年、政府見解で、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド生産の過程で濃縮されたメチル水銀が排出され、魚介類を汚染し、摂取で発症とされた。 この間、排水は出され続け、1968年、アセトアルデヒド生産は終了。 |
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![]() 下 水俣湾は海底のヘドロや土を除去、数年間にわたり外海の間に網を設置して魚が行き来できないようにして、その後、埋立が行われた。 |
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![]() 資料館に比べて、専門的な展示で、一般人にとっては難しいものが多く、順路をざっと歩いただけだった。 下 屋上から水俣湾の埋立地が見渡せた。 |
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![]() ここは水俣病についての展示ではなく、環境問題全般とくに温暖化についての解説が多かった。時間の関係で、順路にそって歩いただけ。 下 屋上から天草の島が見えた。 |
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![]() 途中、水俣湾に仕切りをして、その中にいた魚を埋めたところもあったが、管理は大丈夫なのかなと少し気になった。 左 水俣病慰霊碑。手をあわせて慰霊をした。 |
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![]() 左 ちょうど昼どきで、道の駅「ミナマータ」の中のレストラン「たけんこ」に入店。 |
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![]() 下左 麺類はラーメンにした。 下右 ビュッフェのほうは、麺類でお腹が膨れて、それほど食べられなかった。 |
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![]() 3kmほどある。路線バスの時刻が合わないので歩いた。現地の近くに行ってから、ちょうどいいコミュニティバスがあったことがわかったのだが、気づかなかった。 そのかわり、景色のいいところを歩けてよかった。 |
![]() かなり丘を上ったところにある。途中、コミュニティバスのバス停があったので、帰りにバスの時刻を調べておいた。 |
![]() 資料館との違いは、水俣病の患者訴訟の患者側の立場にたっているという点。 |
![]() 「怨」ののぼりを見て思い出した。これは、先に行った資料館では見られなかったものだ。 |
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![]() 上右 乗車したバス。 左 先ほど行った埋立地の近くも通過して「百聞町」で下車。 |
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![]() 駅前の一等地に広い敷地を持っていて、かつては企業城下町だったことをうかがわせる。 |
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![]() 上右 白アリ被害のための改修工事で閉鎖されていて残念。 左 水俣市役所の前には徳富蘇峰の像がたっていた。 |
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![]() 宿で食べることにしたのは、宿の近辺で旅行支援のクーポンが使える飲食店がなく、宿のレストランでは使えたから。 なお、クーポンの話は別にしても。宿の近くの飲食店が少なく、利用価値の大きなレストランだ。 |
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![]() 上右 製造元は、出水市の「雲海酒造」(本社は宮崎市)。 左 お通し。 |
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![]() 上右 醸造元は出水市の「神酒造」。 左 焼ききびなご。 |
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