14 日 目   水  俣

 

 

 この日は九州新幹線で出水に向かい、荷物を預けて水俣に行く予定。

 ます朝食。
 デザートとコーヒー。

 食後はチェックアウトして、鹿児島中央駅へ。
 8時2分、鹿児島中央発「さくら」で出水に向かう。
 
 2本並ぶ新幹線車両。向う側が先発の「みずほ」、手前が乗車する「さくら」。

 下左   列車入口横の表示。

 下右   駅名標。
 新幹線ホームの最南端。観覧車が見える。中央に小さく見える建物は今回泊まった「西鉄ソラリアホテル」。
 ネット予約してある指定席に乗車。

 九州新幹線のさくら、みずほは、指定席だと両側2席、自由席だと2席と3席。また、ネット予約の場合の運賃は自由席の運賃と同額の場合が多いようだ。
 
 8時28分、出水着。わずか26分。
 出水駅西口。屋根が白くて、赤い突起があるのは鶴をイメージしているのだろう。
 
 3分ほどで、3泊する「ウィングインターナショナル出水」に到着。

 荷物を預けて、すぐに駅に戻る。
 肥薩おれんじ鉄道の出水駅。

 この日は県境をこえてすぐの水俣へ向かう。
 
 9時10分発、八代行きは、たまたまくまモン号だった。
 
 側面。
 
 車内。

 下   9時28分、水俣着。

 駅前をまっすぐ100mほど歩くと、チッソ水俣本部の正門がある。チッソは水俣病の補償などをおこなうためにだけ残り、生産部門はJNC水俣工場として操業している。正門は後ほど見に行く。
 
 
 
 上左   「水俣駅前」からバスに乗車。

 上右   2kmほどなので歩けるが、バスがあったので乗車した。

 左   「水俣病資料館下」で下車。「下」とついているが、階段の上に資料館などが見える。
 
 水俣市の「水俣病資料館」のほかに、環境省の「水俣病情報センター」、熊本県の「環境センター」が設置されている。
 
 まず「水俣病資料館」。

 下   水俣病公式発見は1956年。しかしその前から奇病として知られていた。
 
 原因は1968年、政府見解で、チッソ水俣工場のアセトアルデヒド生産の過程で濃縮されたメチル水銀が排出され、魚介類を汚染し、摂取で発症とされた。

 この間、排水は出され続け、1968年、アセトアルデヒド生産は終了。
 
 
 水俣病患者が差別をうけるケースの展示にも力が入れられていた。差別があったことにショックを受けた。水俣病はうつらないことは、科学的に考えれば当たり前なのだが、詳しく説明されていて、深刻な事態があった(今もある)と知った。

 下   水俣湾は海底のヘドロや土を除去、数年間にわたり外海の間に網を設置して魚が行き来できないようにして、その後、埋立が行われた。
 
 
 資料館の見学を終えると、そのまま、内部を歩いて「水俣病情報センター」に入れる。

 資料館に比べて、専門的な展示で、一般人にとっては難しいものが多く、順路をざっと歩いただけだった。

 下   屋上から水俣湾の埋立地が見渡せた。
 
 
 つぎに「環境センター」へ。

 ここは水俣病についての展示ではなく、環境問題全般とくに温暖化についての解説が多かった。時間の関係で、順路にそって歩いただけ。

 下   屋上から天草の島が見えた。
 
 
 
 
 上   埋立地を歩いて海岸に出た。

 途中、水俣湾に仕切りをして、その中にいた魚を埋めたところもあったが、管理は大丈夫なのかなと少し気になった。

 左   水俣病慰霊碑。手をあわせて慰霊をした。
 
 
 上   埋立地の大部分は運動公園になっていて、サッカー場や野球場、陸上トラックなどがつくられていた。

 左   ちょうど昼どきで、道の駅「ミナマータ」の中のレストラン「たけんこ」に入店。
 
 ビュッフェだった。1200円で、食べ放題と麺類1種。
 
 店内。かなり混雑していていた。

 下左   麺類はラーメンにした。

 下右   ビュッフェのほうは、麺類でお腹が膨れて、それほど食べられなかった。
 
 
 食後は、道の駅「ミナマータ」で土産物を買った。「ミナマータ」とはなかなか面白いネーミングだ。
 
 続いて民間(水俣病訴訟の支援団体)が設置しているミュージアムに向かう。

 3kmほどある。路線バスの時刻が合わないので歩いた。現地の近くに行ってから、ちょうどいいコミュニティバスがあったことがわかったのだが、気づかなかった。

 そのかわり、景色のいいところを歩けてよかった。
 
 水俣病歴史考証館に到着。

 かなり丘を上ったところにある。途中、コミュニティバスのバス停があったので、帰りにバスの時刻を調べておいた。
 
 展示は、歴史的な流れにそって行われていた。展示物や写真は先ほど行った資料館と同じものも多く、理解しやすかった。

 資料館との違いは、水俣病の患者訴訟の患者側の立場にたっているという点。
 
 はるか昔のことだが、水俣病訴訟のときに「怨」と黒地に白で書かれたのぼりをかかげ、白袈裟姿で裁判所にやってきた患者や支援者の姿が印象的だった。

 「怨」ののぼりを見て思い出した。これは、先に行った資料館では見られなかったものだ。
 
 
 上左   歴史考証館へ向かう途中に発見した"みなくるバス"の「陣原団地前」バス停。歴史考証館から近く、行きも利用すればよかったが気づかなかった。

 上右   乗車したバス。

 左   先ほど行った埋立地の近くも通過して「百聞町」で下車。
 
 現在の姿からは想像しにくいが、かつてここに百聞排出口があり、メチル水銀が流されていた。
 
 案内板にあったかつての百聞排出口。
 
 水俣駅前まで歩き、チッソの正門を見る。
 
 現在は、チッソは補償のための会社になっていてその水俣本部になっているが、工場敷地の大部分はJNC水俣工場のなっている。

 駅前の一等地に広い敷地を持っていて、かつては企業城下町だったことをうかがわせる。
 
 
 上左   徳富蘇峰の生家へ。明治から昭和戦後の評論家、思想家。自由民権運動で活躍するが、昭和戦前では国権主義的な言論人だった。

 上右   白アリ被害のための改修工事で閉鎖されていて残念。

 左   水俣市役所の前には徳富蘇峰の像がたっていた。
 
 市役所の前には徳富蘇峰記念館もあった。
 
 しかし閉館中だった。
 
 肥薩おれんじ鉄道で、16時42分、水俣発、17時1分、出水着。
 
 出水着後、宿へ。チェックインし部屋へ。
 
 奥から入口側を見る。
 
 夕食は宿のレストランに向かった。

 宿で食べることにしたのは、宿の近辺で旅行支援のクーポンが使える飲食店がなく、宿のレストランでは使えたから。

 なお、クーポンの話は別にしても。宿の近くの飲食店が少なく、利用価値の大きなレストランだ。
 
 
 上左   芋焼酎「さつま木挽」。

 上右   製造元は、出水市の「雲海酒造」(本社は宮崎市)。

 左   お通し。
 
 釜揚げシラスのおろしぽん酢。
 
 
 上左   芋焼酎「千鶴」。

 上右   醸造元は出水市の「神酒造」。

 左   焼ききびなご。
 
 いずみどりのやみつき唐揚げ(ハーフサイズ)。
 
 のり茶漬け。

 

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