22 日 目   長  崎 

 

 この日は、3ヶ月ほど前(2022年9月)に開業したばかりの西九州新幹線に乗って長崎日帰り。

 朝食。右下は郷土料理である、鶏団子と白菜をたいたもの。
 デザートとコーヒー。

 食後はいったん部屋に戻り、すぐに博多駅へ。
 
 8時10分発の特急「リレーかもめ」長崎行きに乗車。この表示は少しおかしい。「リレーかもめ」は武雄温泉どまりで、武雄温泉から長崎までは新幹線「かもめ」に乗るからだ。 
 
 「リレーかもめ」。

 車両は787系、通称"黒いつばめ"。"かもめ"なのに"つばめ"というのは、入り口横に"つばめ"のマークがあるから。

 入口横の行先表示。

 武雄温泉で乗り換える新幹線の行先である長崎になっている。確かに武雄温泉とするよりはわかりやすいかな。
ネット予約して前々日に発券した切符。"おためし! かもめネット早割7"で3200円。

 通常のネット予約4200円、当日に駅で購入する自由席券が5520円、指定席券が安かった。JR九州のネット予約は、お得とはいえ、当日購入の自由席なみのことが多いので、特に安くしているようだ。

 注意点は、ネット予約後、通常は変更自由なのだが、早割7は変更不可で、払い戻しの際のキャンセル料も高くなっている。(そもそも早割7は設定されている区間は少ない。)

 切符は3枚発行され、博多〜長崎の乗車券・特急券と、博多〜武雄温泉、武雄温泉〜長崎の指定券。

 武雄温泉近くにて。山も田も雪が積もっている。
 武雄温泉着。同一ホームで、左の"リレーかもめ"から右の西九州新幹線"かもめ"に乗り換え。

 
 武雄温泉には9時16分について9時19分発。同一ホームとはいえ、かななか忙しい。
 
 入口横には大きく"かもめ"と書かれている。
 かもめマークが描かれているところもあった。
 
 車内。背もたれの裏側やひじ置き、そして床と、木がふんだんに使われていて暖かみがある。
 
 9時50分、長崎着。

 所要1時間40分。在来線だけの時に比べ、20分の短縮ではあるけど、新幹線にするほどのものだったかは微妙なところ。
 
 "かもめ"の顔は他の新幹線とは少し違っていて、左右に比べて真中が大きく盛り上っている。
 
 駅舎から出てみる。ずっと工事中だったので、新駅舎は初めての利用。
 
 かつて櫛型のホームがあった場所は更地になっている。一時期は新駅から、旧ホーム横を大きく迂回して歩いたことを思い出す。
 
 工事が各所で行われていて、駅前はどんどん変わっている。
 
 駅前の路面電車乗場は以前と変わらず。

 長崎では、南山手や中華街は13年前、2年前とやってきているが、浦上は約40年前にきたきりなので、この日は浦上エリアを歩くことにした。
 
 15分ほど乗って、「平和公園」で下車。

 下   平和公園は高台にあり、エスカレータで上るのだが、その前に写真の右手にある防空壕跡を見る。
 
 
 ここは爆心地から180mほど。高台の麓の崖には防空壕があり、原爆投下時にたまたま避難していた人はわずかだったが、奥にいた人は助かり、入口近くにいた人は火傷をおいながらも、命はおとさなかった。近隣の建物は全壊だが、防空壕は崩壊しなかったのが意外だ。
 高台に上る。ここは刑務所跡。扇形の舎房だったようだ。ここも雪が少し積もっている。
 
 北村西望作の。平和祈念像。
 
 平和公園の一番奥から浦上天主堂が正面に見えた。山には雪が積もっていた。
 如己堂。

 放射線医療を重ねた影響で、被爆前から白血病になり、寝たきりになった永井隆博士のために浦上の人たちが建てた2畳ほどの寝室。
 永井隆記念館。

 40年前の訪問時には小さな館だったが、大きな館になっていて、時間をかけて見学した。

 永井博士は島根県の三刀屋の出身で、三刀屋にも記念館があるということで訪問してみたい。
 
 古関祐而が永井博士に贈った色紙。「長崎の鐘」の楽譜入り。

 古関祐而を描いた朝ドラ「エール」で、永井博士と古関が会っているのだが、これは事実ではない。古関が作曲し、藤山一郎が歌ってヒットし、永井博士が礼状を書いて交流が始まったが、一度もあうことはなかった。
 浦上天主堂。高台の上にある。

 被爆後、一部残った建物も1958年に解体され、新たな天主堂が再建された。

 崩れた鐘楼の一部分が写真で左下のあたりに落下した状態で保存されている。
 
 崩れ落ちた鐘楼の最上部。
 
 天主堂の正面と側面。入堂できたが、撮影は禁止。
 
 昼食は「山東省」へ。
 店内。食事をしたのは右にあるカウンターで。
 
 ちゃんぽんをいただいた。
 
 爆心地へ。手をあわせて慰霊。
 
 被爆当時の地層が河川改修のさいに見つかり保存されていた。
 原爆資料館へ。

 以前行ったときとは一新されていた。展示品の質、量や展示方法の工夫もあって、時間をかけて見学。
 
 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館。

 ここは以前来たときにはなかった。写真は慰霊の場所で、奥に原爆死没者の名簿が保管されている。
 
 旧長崎医科大学門柱。
 
 山王神社の二の鳥居。通称「一本足鳥居」。

 被爆により崩れた残りのもう一方の足や上の部分、扁額などはすぐそばの道路わきに置かれていた。
 
 
 上   路面電車で長崎駅前に戻り、西坂公園の26聖人記念館へ。

 記念館の前に秀吉時代の26聖人の殉教のレリーフがある。

 2019年にローマ教皇が長崎を訪問されたが、ここで祈られた。

 左   記念館に約40年ぶりに入館し、閉館ぎりぎりまで見学。  
 
 新しい長崎駅ビルの中のアミュプラザにある「ニッキー・アースティン」で夕食をとる。

 トルコライスで有名な洋食店。以前は西浜町にあったが、新駅ビルが駅るとともにアミュプラザに移転してきたようだ。
 
 180種類以上のトルコライスがある。選んだのはこれ。

 注文は番号でする。メニューの撮影は禁止で、番号や料理名は不明。

 ボリュームがあり、味もナイス。
 
 デザートをいただこうと思い「サン・ウミノ」へ。
 
 ミルクセーキ。

 長崎のミルクセーキはかき氷のようなアイス。

 長崎名物トルコライスを最初に出した店といわれる「ツル茶ん」で前々年にトルコライスをいただいた。ミルクセーキも「ツル茶ん」が最初。
 
 18時45分発「かもめ」で博多に戻る。
 
 独特の顔をした新幹線「かもめ」。
 
 行先は博多と表示。
 
 着席した自席。
 
 武雄温泉には19時12分着、「リレーかもめ」」は19時15分発。同一ホームでの乗換。
 
 「リレーかもめ」の車両は」は885系"白いつばめ"だった。
 
 つばめのマークがついている。
 
 行先表示。
 
 車内。

 博多着は20時12分。

 大忙しだったが長崎を往復でき、西九州新幹線に乗車したことで、現時点の九州の鉄道はすべて乗車できた。もっとも、2023年3月に福岡地下鉄の天神南〜博多間が開業し、タイトルを失うのだが。

 

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