22 日 目 長 崎
![]() 朝食。右下は郷土料理である、鶏団子と白菜をたいたもの。 |
![]() 食後はいったん部屋に戻り、すぐに博多駅へ。 |
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![]() 車両は787系、通称"黒いつばめ"。"かもめ"なのに"つばめ"というのは、入り口横に"つばめ"のマークがあるから。 |
![]() 武雄温泉で乗り換える新幹線の行先である長崎になっている。確かに武雄温泉とするよりはわかりやすいかな。 |
![]() 通常のネット予約4200円、当日に駅で購入する自由席券が5520円、指定席券が安かった。JR九州のネット予約は、お得とはいえ、当日購入の自由席なみのことが多いので、特に安くしているようだ。 注意点は、ネット予約後、通常は変更自由なのだが、早割7は変更不可で、払い戻しの際のキャンセル料も高くなっている。(そもそも早割7は設定されている区間は少ない。) 切符は3枚発行され、博多〜長崎の乗車券・特急券と、博多〜武雄温泉、武雄温泉〜長崎の指定券。 |
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![]() 所要1時間40分。在来線だけの時に比べ、20分の短縮ではあるけど、新幹線にするほどのものだったかは微妙なところ。 |
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![]() 長崎では、南山手や中華街は13年前、2年前とやってきているが、浦上は約40年前にきたきりなので、この日は浦上エリアを歩くことにした。 |
![]() 下 平和公園は高台にあり、エスカレータで上るのだが、その前に写真の右手にある防空壕跡を見る。 |
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![]() 放射線医療を重ねた影響で、被爆前から白血病になり、寝たきりになった永井隆博士のために浦上の人たちが建てた2畳ほどの寝室。 |
![]() 40年前の訪問時には小さな館だったが、大きな館になっていて、時間をかけて見学した。 永井博士は島根県の三刀屋の出身で、三刀屋にも記念館があるということで訪問してみたい。 |
![]() 古関祐而を描いた朝ドラ「エール」で、永井博士と古関が会っているのだが、これは事実ではない。古関が作曲し、藤山一郎が歌ってヒットし、永井博士が礼状を書いて交流が始まったが、一度もあうことはなかった。 |
![]() 被爆後、一部残った建物も1958年に解体され、新たな天主堂が再建された。 崩れた鐘楼の一部分が写真で左下のあたりに落下した状態で保存されている。 |
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![]() 以前行ったときとは一新されていた。展示品の質、量や展示方法の工夫もあって、時間をかけて見学。 |
![]() ここは以前来たときにはなかった。写真は慰霊の場所で、奥に原爆死没者の名簿が保管されている。 |
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![]() 被爆により崩れた残りのもう一方の足や上の部分、扁額などはすぐそばの道路わきに置かれていた。 |
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![]() 記念館の前に秀吉時代の26聖人の殉教のレリーフがある。 2019年にローマ教皇が長崎を訪問されたが、ここで祈られた。 左 記念館に約40年ぶりに入館し、閉館ぎりぎりまで見学。 |
![]() トルコライスで有名な洋食店。以前は西浜町にあったが、新駅ビルが駅るとともにアミュプラザに移転してきたようだ。 |
![]() 注文は番号でする。メニューの撮影は禁止で、番号や料理名は不明。 ボリュームがあり、味もナイス。 |
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![]() 長崎のミルクセーキはかき氷のようなアイス。 長崎名物トルコライスを最初に出した店といわれる「ツル茶ん」で前々年にトルコライスをいただいた。ミルクセーキも「ツル茶ん」が最初。 |
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![]() 博多着は20時12分。 大忙しだったが長崎を往復でき、西九州新幹線に乗車したことで、現時点の九州の鉄道はすべて乗車できた。もっとも、2023年3月に福岡地下鉄の天神南〜博多間が開業し、タイトルを失うのだが。 |
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