2 日 目   志賀島と元寇防塁

志賀島
 宿の1階には居酒屋が入っていて、夜は外部にも開放している。朝は宿泊者向けに朝食を出している。
 
 洋食か和食を選ぶ方法で、どちちもセットされたものが運ばれてくる。

 和食にした。写真の左下に、ごま鯖があった。
  この日の午前は志賀島に向かう。金印の発見地や元寇での激戦地と興味があったのだが、今まで行く機会がなかった。 
  
 博多から香椎へ行き、香椎で西戸崎行きに乗換え。

 博多から香椎へ行き、香椎で西戸崎行きに乗換え。

 香椎・西戸崎間は、非電化ながら、電車が走る。蓄電池電車で非電化区間も走れる。

 dual energy charge train でDENCHAというようだ。電化区間では普通の電車として走り、非電化区間では蓄電池電車として走る。そしてDENCHAの発音が電車の幼児語のようだ。
 
 西戸崎に到着。
 
 西戸崎発で志賀島の北のほうに向かうバス。
 九州本土と志賀島は、"海の中道"の細い陸続きの部分があるてめつながっている。その区間。両側が海になっている。
 
 15分ほど乗車し「蒙古塚」で下車。バス停のすぐ横に蒙古塚があった。

 下   元寇のさい、この付近は激戦地で、死亡した元の蒙古兵の供養碑が並んでいる。
 
 ここのメインになるような供養碑。
 
 この供養碑の下部に中国語であろう碑文が彫られていたのだが、何と、張作霖の書によるものだった。こんな地で張作霖が関係していたとはびっくりした。

 下   「蒙古塚」の全景。

 このあと歩いて、金印公園と志賀海神社を回る。
 
 
 
 上   金印公園の全景。金印が発見されたのは石碑の右の斜め前方といわれている。道路上か。

 左   上部にあるモニュメント。島は能古島。
 
 志賀海神社へ。

 長い石段を上がったところ。太鼓橋は神様の通り道なのか回り道する。
 
 拝殿。
 鹿角庫。

 古来、鹿の角が戦勝祈願で奉納されてきて、1万本以上になるという。
 
 志賀島では5kmほど歩いた。
 
 
 11時発の市営渡船で志賀島から博多港へ向かう。船の名は「きんいん」。

 下   海の中道には橋があって、潮位が高いと志賀島は九州本土から離れるようだ。 

 
 
 
 
 11時30分、博多港着。

 博多港は以前、プサン行きのビートルに乗車して出国したが、こことは別のターミナルのようだ。ここからは、対馬や壱岐への船が出ていた。
 
 天神方面に向かうバスに乗車。
天ぷら"ひらお"
 天神でバスを下り、アクロス福岡へ向かった。
 
 地下にある天ぷら「ひらお」へ。

 すごい行列ができていて、店外で40分、店内で40分、計1時間20分待ち。12時から並び始めて、席に着いたのは13時20分。
 
 
 
 
 上左   "ひらお"は天ぷらのほか、食べ放題のイカの塩辛も美味しいのだが、1年ほど前から1人1皿限定になっていた。

 初めての訪問時は、カウンターに塩辛が置いてあり、自由にとることができた。しかし、コロナ禍のため、小皿に入れて提供されるようになったが、おかわりは自由にできた。それが、1人1皿になった。

 上右   入店日の10日ほど前から値上げも行われていた。

 左   ようやく順番が回ってきた。
 
  注文したのは、"天ぷら定食"990円と追加で単品の"はも"230円と"まいたけ"110円。計1330円。"まいたけ"は"野菜"の券を買い、野菜の種類を口頭で伝える仕組だった。

 先に出されたみそ汁、つゆ、イカの塩辛、ご飯とセルフのお茶と漬物。塩辛は1皿だけの貴重品なので、じっくりいただこう。
 
 さば、白身、きす、かぼちゃ。白身って何の魚。

 いろいろな定食があるが、微妙に違っていて、選ぶのに苦労したが、今回は"天ぷら定食"。入っていない"はも"と待っている間にポスター見て食べたくなった"まいたけ"を別注文。
 
 なす、まいたけ、ピーマン、はも、いか。

 近くの客は別の定食を注文したり、単品を多く注文しているけど、揚げあがるたびに、1人飛ばしたり、2人飛ばしたりして、間違わずにトレイにおいていくのには感心させられる。定食は色の違う札がおいてあって、見分けているのだが、それでもややこしそうだ。

 何度、食べても美味しい。高級店のように揚げたてをトレイにおいてくれるのもいい。塩辛1皿や値上げは残念だったけど、そんなことは忘れるくらい満足した。
元寇防塁
 地下鉄「天神」からJR筑肥線の筑前前原行きで「九大学研都市」へ。

 このあと元寇防塁に向かう。1回目の元寇のあと、執権・北条時宗が九州の御家人に命じて作らせた石の壁。2回目の元寇では、元軍の上陸を阻むのに役だった。

 20km続くが、現在、一部が残っているだけで、その中でも、最もよく保存されている今津地区の防塁に向かう。

 
 
 
 上   駅から防塁まで5kmを歩く。防塁のなかには、駅のすぐ近くのものもあったが、一番よく保存されているところが良いと思い、今津地区の防塁にした。

 途中、橋を渡り今津地区に渡るところ。

 左   橋の西側は干潟になっていて、カブトガニの産卵地のようだ。
 
 途中、「元寇殲滅之処」の石碑に立寄る。1915年につくられたが、100年を経て老朽化したので、2023年に修復されたという。

 下   防塁に到着。案内板の地図を見ると、防塁が残るのは、今津のほかに、今宿、生の松原、姪浜、西新、地行、箱崎にもあり、ここよりは小規模な感じだが、機会があれば見てみたい。
 
 
 防塁の一番、東側のところ。細長い柵に囲まれた部分。防塁の一番上だけが見えているが、実際には、高さが2、3mあったという。
 
 200mほど最上部だけの防塁を見た後、土に埋もれた部分を掘り出して、下から見られるようにしている防塁が見られる。

 ここは金網で囲われている。下に下りる階段があるが、これは関係者用の階段で、見学者は下りられない。
 
 200mほどで、金網に囲まれたところも終了。

 ここから西側は、掘り返されていないか、そのその防塁が残っていない部分になる。

 400mを歩いて、最初のところに戻った。

 下   100mほど林の中を歩き、海岸にでてみた。
 
 
 
 上   今宿駅。かなり古そうな駅で、1983年、筑肥線が電化されたときよりも前からあった駅舎だと思われる。

 防塁を往復して10km歩いた。志賀島で歩いた5kmと合わせて、この日は15km歩いた。

 左   やってきた福岡空港行きは地下鉄車両だった。
ラーメン"長浜屋"
 「大濠公園」で下車。長浜ラーメンの店が集まるエリアに向かう。
 
 この日は「長浜屋」に行くが、途中、「長浜家」の前を通った。ややこしいが、別の店だ。

 しかも、この店の縦型の電光表示板(写真では側面しか写ってない)で、「中洲川端に『長浜家』ができたが、当店とは無関係」という表示を繰り返していた。

 この店では以前、食べたことがあるが、中洲川端にある同名の店でも食べてみたい。
 
 「長浜家」から200mほど離れて「長浜屋」があった。

 「長浜家」から「長浜屋」までの間に「長浜ナンバーワン」という店があり、こちらもいつか行ってみたい。
 
 店内。18時前でまだすいていた。
 
 ラーメン550円。

 長浜というのは、この付近のエリアをさすようだ。特徴は、とんこつ、細麺、くずし肉、替玉ということか。
 こちらは、1年半ほど前にいただいた「長浜家」のラーメン。はっきり違うのは、丼に書いてある店名だけ。中洲川端にあるという、別の「長浜家」は、丼まで同じなんだろうな。
 
 地下鉄「赤坂」より宿に戻る。

 実は、この駅の近くにある「びっくり亭」で鉄板焼肉を食べようかなと思っていたのだが、お腹がかなり膨れていて、とりやめた。

 

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