4 日 目 臼 杵
臼杵石仏 |
![]() 朝食後、チェックアウトし、駅へ。 |
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![]() 別府8時52分発の普通に大分から乗車し、臼杵に向かう。 左 大分まで乗った普通は2両で、大混雑。せめて3両は必要だと思った。 |
![]() 大分到着後、この日泊まる「ドーミ―イン」に荷物を預けに行った。チェックインの手続だけはできたので、しておいた。 |
![]() 今度は3両だが、がらがらで、こちらこそ2両で十分だ。 |
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![]() バス停のすぐそばから見学コースが始まっていた。 下 石仏は4つの群に分かれていて、各群ともに屋根をつけて展示していた。写真は1つ目の群。 |
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![]() 下 少し離れた寺の境内にある石製の仁王像。 |
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臼杵の街歩き |
![]() 川沿いにあり、対岸にあるのは醤油工場。 |
![]() 館内は撮影禁止。 |
![]() のどかな早春賦の作詞者は、この街を背景にして作詩したと知り、なるほどなと思った。 |
![]() 面白いのは「早春賦」だけあって、12月29日から1月3日は開館だということ。 |
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![]() 石畳で城下町らしい雰囲気のエリアだ。 |
![]() 八町大路についた途端、唖然とした。火事の跡が広がっている。 かなり広い範囲が焼け落ちている。なぜか、1軒が残っているのが不思議だ。 |
![]() 火事は11月24日で、15棟が焼け落ちたという。犠牲者はなく、少しほっとした。 下 復興を願う横断幕。 今度は再生した街を見に来たいものだ。 |
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![]() 「サーラ・デ・うすき」という施設だった。 |
![]() 下 南蛮屏風の複製が展示されていて、臼杵にヨーロッパ人が上陸した時の様子だという。 |
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![]() 夏目漱石の門下生で漱石との写真などもあった。内部の撮影禁止。 |
![]() 武家屋敷の建築だが、建造は1902年で、東京に移った旧藩主の稲葉家が臼杵に戻ってきたときのための屋敷。 テーブルが置いてあるのは明治末期になってからの建築だからだろう。 |
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![]() この付近から見ると石垣がしっかり残り、櫓も見えるが、上に上るとほぼ公園であった。 左 大友宗麟の碑。 |
![]() 櫓を天守に使っていたのだろう。本丸の端にあり、位置的には櫓。 |
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![]() つばめマーついている。2004年の九州新幹線開業前は、博多・西鹿児島間の特急「つばめ」だった。 |
![]() 15時45分、大分着。 |
宿と夕食 |
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![]() 大分名物で、ぶり、まぐろ、あじなどの刺身の切れ端をたれに漬けたもの。 |
![]() 大分名物で、鶏肉に天ぷら粉をつけて揚げたもの。ぽん酢などをつけていただく。 クーポンは、りゅうきゅうかとり天をサービスだったので、値段の高いとり天を無料にしてもらった。 |
![]() 下 左は"ギョロッケ"、右はピーマンの塩昆布あえ。 "ギョロッケ"は、津久見の名産品で魚のすり身にタマネギを混ぜ、コロッケ風にしてあげたもの。香辛料も入っていて、ピリッツとする。 ピーマンと塩昆布もよくあって美味しい。 |
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![]() やせうまは、だんご汁に使う、きしめん状のだんごに、きなこと黒蜜をまぶしたもの。 右にあるのは、アイスクリームと生クリーム。 |
![]() 宿に戻り、最上階にある天然温泉・白糸の湯で入浴。 下左 風呂上がりのアイス。 下右 夜食のラーメン。 |
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