9 ペ ナ ン 街 歩 き そ の 3
福建麺食べて、日本人町を探索 |
朝食はホテルのそばの「群浜茶室」(ケンピン茶室)でとることにした。写真で右側に見えているのが、泊まっているグランドイン。徒歩1分だ。 下左 一通り見てまわって、福建麺(ホッケンミー)を注文。 下右 福建麺のそばで揚げていたから揚げもおいしそうだったので、サイドディッシュとして4種類ほどを選んで注文。 |
上左 大きめの食堂かなって思っていたら、小さめのフードコートだった。だから、注文した品物ごとに別々に支払った。 記事を書いていて、はじめて気づいたのだが魚生鶏粥なんてのもある。今度行ったた試してみようかな。 上右 飲物は飲物で別に注文するが、売場まで行かずとも巡回していた店員に注文。アイスティーで砂糖抜きにしてもらった。 左 から揚げ。2種類のタレをつけていただく。豚肉の皮のようなもの、豚ミンチ、魚のつみれ、そしてチキン。チキンだけはどういうわけか3個入っていて、何か注文の仕方を間違ったか、何も言わなければ3個なのかもしれない。 アツアツなので、熱くて、柔らかくてうまい。チキンが3個だったのが、ちょっと失敗で、はじめからわかっていれば、チキンを避けるか、チキンだけにしたと思う。 |
ほどなく福建麺もやってきた。福建麺というと、シンガポールやKLでも有名な麺料理だが、シンガポールやKLは焼きそばであるのに対して、ペナンではスープ麺だという点が大きく違っている。 スープはかなり辛いが、具のエビを煮た汁を使っているので、あっさりしている。エビの味がはっきりわかるスープだ。具はエビが入ってるのが最大の特徴で、エビも小エビじゃなく、1尾が4cmくらいのものだ。あと卵や豚肉なども入っている。 下左 エビ入りだ。 下右 麺は米麺で細いものと太いもの、小麦麺を混ぜて使っている。シンガポールやKLでは小麦麺であるので、この点も違っている。 福建麺、から揚げ、飲物をあわせて約15リンギット(420円)だった。 |
上左 マレーシアでかつてあった日本人町としてはサンダカンが有名だ。明治から大正にかけて、からゆきさんがたくさん住んでいた。以前、山崎朋子の「サンダカン八番娼館」を読んでサンダカンを訪問した。日本人町の痕跡はみつけられなかったが、日本人墓地は訪問した。 ペナンにもからゆきさんが移り住み、日本人町ができ、日本人墓地にからゆきさんが眠っているらしい。墓地までは行けなかったが、日本人町の痕跡を探しに出かけた。事前にネット情報であるが、建物は残っていないが、道路標識や店の看板には、「日本街」などの表示が残っているらしいことを確認しておいた。 ペナン通りの一本、東の道路が、チュリア通りからコムタの少し北のほうまであるのだが、これがかつて日本人町であったらしい。 チュリア通りから、この道路を南下するすると「日本横街」と書いてある看板を発見した。 上右 そのそばで、「日本街」と書かれている看板を発見。 左 同じ店の表の看板。店名が「日本街肉粽茶餐室」で、店名に「日本街」が使われている。 |
今度は「日本新路」と書かれているタレ幕を発見。日本街に面していた店が、移転したが、その移転先が「日本新路」であるらしい。 チュリア通りの南側にあって、「日本街」とペナン通りを結ぶ道路が「日本新路」のようだ。 「日本新路」のほうへ行ってみたが、移転先の店はよくわからなかった。それでも、ペナン通りまでを往復し、ここが「日本新路」だったんだという感慨にひたれた。 |
「日本新路」のペナン通りにかなり近いところに「新路茶餐室」という店があった。「新路」とは「日本新路」のことだろうが、できれば略さずに「日本新路茶餐室」にしてほしかったな。 下左 「日本街」で南側をのぞむ。 下右 「日本街」で北側をのぞむ。 かつての「日本街」の面影がないか探したが、建物としては、古そうなものはあったが、日本家屋は残されておらず、建物から日本だとわかるものはなし。 |
上左 「日本横街」の標識。シントラ通り=「日本横街」なのかな。では「日本街」はどこなのかな。 上右 「日本新路」の標識。「日本新路」については、どこなのかははっきりしている。 左 「日本横街」の標識の位置から考えて、ペナン通りの一本東の道路のチュリア通りに近い部分が「日本街」、コムタに近い側を「日本横街」というのか、「日本街」と「日本横街」は同じものなのかどちらかだと思った。(同じものと考えると、最初に見つけた看板に「日本横街」と書いてあることのつじつまがあう。) |
ウォールアートにも日本人町のものがあった。 日本人としては、芸者が描かれている。 |
「日本横街」の説明板もある。やはり、「日本横街」のことを「日本街」とも言ったのかな。正式には「日本横街」だけれども、短く「日本街」という言い方が普及していったのかもしれない。 |
17年ぶりのバトゥフェリンギとガーニードライブ |
日本人町の探索は、同じところを行ったりきたりしていたので、案外、時間がかかり、昼になった。 午後はバトゥフェリンギへ行くので、コムタのバスターミナルへと向かう。 途中、前日にチェンドルを食べた、そのすぐそばにラクサの店があったので、昼食はラクサをいただくことにした。 |
ペナンのラクサは、KLやシンガポールのラクサとは全然違っていて、ココナツミルクが入ったカレー味の麺ではない。辛い点では同じなのだが、色が透明っぽい感じで、海鮮味で、ミントがきいている。レンゲにオイスターソースのようなのが入っていたので、混ぜていただいた。 下左 麺は米の太麺。 下右 店内の様子。 |
前日いったチェンドルの屋台はこの日も長い行列だった。この日はアイスカチャンを試してみることにした。 |
アイスカチャン。小豆、黒い寒天のようなもの、ゼリーなどが入っているが、日本的な常識からは考えられないものがコーンだ。コーンはかなり入っている。 |
コムタそばの市内バスターミナルへ行き、102系統のバスに乗ればよいことは、ペナン到着の翌日に、バスターミナルで調査済みだ。 バスターミナルの近くまでやってくると、102系統のバスが止まっているじゃないか。大急ぎで走っだたけど間に合わず、動き出したけれども、手で合図してなんとか乗せてもらえた。 1.8リンギット(約55円)。乗車時に行先を告げて、運賃を払う。40分でバトゥフェリンギに到着。(写真はバトゥフェリンギからの帰りに乗ったバス) |
ペナンは今回が3回目の訪問だが、初回は2001年。このとき、フェリーでジョージタウンについてすぐに路線バスでバトクフェリンギにやってきた。そして2泊したのが、シャリニス・ゲストハウス。 17年ぶりにやってきたが、改装こそしているが、昔のままの形で存在していた。17年前はここの1階で泊まった。今回は食べ歩きメインなので、ジョージタウンに連泊したが、今度来るときはまた泊まってみたい。 17年前の記録はこちら。 |
そして、ビーチへ。見えている景色は17年前とまったくかわりがない。ひょっとして、大型ホテルなどの開発がすすんでいるかもって思っていたが、そんなことはなかった。 17年前に半日、座っていたところも昔のまま残されていた。しばらく同じところに座って、ただボォーッとすごした。 下左 どこからか泥を運んでくるので、波はきれいじゃないが、これも昔と同じ。 下右 以前通ったレストランも改装されてはいたが、同じ場所にあった。 |
何もせずに2時間ほど滞在ののち、ジョージタウンに戻る。コムタのバスターミナルで下車したところから、空港に行くときは同じ102系統に乗ればいいので、空港行きの乗場確認もできた。 ジョージタウンでは行きたいところはほとんど行ったし、まだのところもあったが、16時だと終了まぎわなので、ホテルに戻り、2時間ほど休憩した。 |
kimcafeさんとのオフ会は4日連続となったが、今日が最後だ。いったんkimcafeさんの宿に出向き、ガーニー・ドライブへ歩いて向う。 海沿いに4kmほど歩いた。海を挟んで見える明かりはジョージタウン。途中、海岸の埋め立てがかなり進んでいるなと思った。この歩いた道も、海から少し離れたところが多くなっていたのが残念だった。それでも、この写真のようなところが残っている。 |
1時間ほど歩いて、ようやくガーニー・ドライブに到着。ガーニー・ドライブはペナンで最大の屋台街である。17年前にも、ガーニー・ドライブは、歩いて訪問している。 そのときの記録はこちら。 下左 歩き続けて結構疲れたので、まずビールでも飲みたかったのだが、このときはビールが見当たらず、さとうきびジュースを飲む。 下右 さとうきびジュース。 |
パッセムブール。 並んでいる具材の中から食べたいものを選ぶと、それを食べやすいように細かく切って、キュウリとタレをかけてくれる料理だ。 下左 具材の一部。練り物が多くを占めるが、ほかのも多少ある。 下右 自分が選んだ具材2人分。 |
調理中の様子。具材を切ってくれているところ。 |
運ばれてきたパッセムブール。 ちょっとたくさん具材を選びすぎた。もう少し減らして、かわりに別の品を食べたほうがよかったと反省。 |
取り皿にとった状態。 下左 サテの屋台。 下右 焼いているところ。 |
上左 サテ。白いのは、ロントンで固い餅の一種。 上右 タイガービールも飲める。 左 とても賑やかな屋台街だった。 帰りはバスに乗ったのだが、バス停に着く寸前にバスが行ってしまい、1時間近く待つ羽目になった。 ホテル近くで下車とともにkimcafeさんと別れた。4日間、ありがとうございました。 |
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