2 バ ガ ン その1

 

 ミャンマー到着2日目。この日、4時30分に車を手配してあり、4時15分に朝食。ミャンマーでは、早朝の出発が何度もあったのだが、出発時間を告げると、どの宿でも、朝食をそれより前の時間に食べさせてくれた。昨今、どこの国でも、朝食時間より早く出発する場合は、朝食つきでも、朝食権?を捨てるのが一般的なのだが、ミャンマーでは親切にも、とても早い時間にもかかわらず朝食の準備をしてくれた。そして、すまなそうに、トーストと飲みものだけだといわれるが、それだけでも準備してくれることに感謝した。

 4時30分に車で宿を出発。雨が降っている。昨日も、暗いながらも、道がぬれているように思っていたのだが、この日はきっちり降っている。これは、とても意外だった。訪問した時期のミャンマーは乾季で、雨は滅多に降らないはずなのに。昨日、この日と、ヤンゴン市内は、暗い中を車で、空港と宿を往復しただけだ。ヤンゴンの観光は、ほかの街を全部回ってから、出国前にすることにして、この日はバガンに向かうのだった。

 5時に空港に到着。昨日、降り立った国際線と、この日、搭乗する国内線は同じターミナルビルを使っている。雰囲気としては、かつての日本の国鉄の県庁所在都市クラスの駅の駅ビルという感じだ。現在のJRでは、新しい駅ビルに立て替えられているので、ヤンゴンの空港よりずっと立派になっている。

  この日の搭乗機は、エアバガンの6時15分発の便で、7時35分にバガンに到着予定だ。このエアバガンという航空会社だが、旅行時点での最新版のガイドブック(地球の歩き方)にも掲載されていない新しい航空会社のようだった。ガイドブックでは、新しくできたヤンゴンエア、エアマンダレーの2社が、古参のミャンマーエアより何かとよいと書いてあるのだが、さらにもう一社、エアバガンが最近できたようだ。もっとも、搭乗してみると、機材は新しくなくて、中古を購入したようだった。

 ところで、各社の便はほぼ同時刻にバガンに向けて飛び立つ。しかも、バガン、マンダレー、ヘーホーを経てヤンゴンに戻るという環状線のようなルートも共通だ。このほかの行き先の便や、反対周りの環状線もあるのだが、面白いことに、いずれも何社かの便がほぼ同時刻に飛ぶのである。どうして、時刻をばらけさせないのか不思議だ。

 6時15分をすぎても、搭乗の案内はない。そうこうしているうちに7時ごろから、他社の便が飛び始め、最後にようやくエアバガンも飛ぶことになった。7時30分ごろようやく離陸。簡単な機内食と飲み物がでた。

 やがて、飛行機は雲の多い中を飛ぶようになった。8時30分ごろ、バガン上空までやってきて、着陸をこころみたが、濃霧のためうまくいかなかった。2回チャレンジのち、この機はマンダレーに向かうと案内がはいった。9時ごろマンダレー到着。棚にいれた荷物はそのままにして、いったん降りるように案内された。マンダレーでは雨は降っていなかったが、霧がひどいうえ、風もきつかった。

 待合室で待つこと1時間、機内から荷物が出され、待合室に運ばれてきた。最初は、バガンに引き返すつもりだったが、困難になり、マンダレーからヘーホーに飛ぶことになったようだ。じゃあ、バガンはどうしていくのだろうか。全然、案内がないままさらに2時間半。12時半ごろ、ようやく、バガン行きの案内が伝えられた。ヤレヤレ。

 どうも、臨時便に乗るようだ。客が乗り終わると、すぐに離陸。マンダレー・バガン間は、何と20分で着く距離。離陸したかと思えば、すぐに着陸だ。13時ごろバガン着。最近は全然、聞かなくなった着陸時の拍手がわきおこった。

 バガン空港のターミナルビルは新しい。正式には、ニァゥンウー空港だ。ここの村の名前もニァゥンウーだからだ。案内の表示などは、みなニァゥンウーだから、このことはしっておくほうがよい。さて、空港ターミナルに入ると、まずは入域料10ドルを払う。すべてのパゴダの入場料のようなものだ。空港で徴収するとは、なかなかうまい方法だ。だが、バスでやってくる人はどうしているのだろう。ガイドブックによると、チェックポイントがあって、そこで払うらしいが。

 このあと、3日後のマンダレー行きのリコンファームをする。ミャンマーの国内線はリコンファームが必要で、この後も、到着するごとに、次の便のリコンファームおこなっていった。それにしても、リコンファームのたびに、手書きでノートに航空券番号やら名前やらホテル名やら記録していっているのには参った。マンダレーでは、航空会社のオフィスでリコンファームをしたのだが、やはり手書きのノートだった。いろいろなところのデータをまとめていくのだろうか。うぁ、ご苦労さん。

 空港を出ると、いたいた。自分の名前を書いた紙を持った人が、、ああ、待たせてしまった。聞けば7時30分から5時間半ずっと待っていたということだ。いや、ご苦労さん。

 ホテルに向かいだすと、運転手は、即、このあとや翌日の予定を聞いてくる。こちらとしても、この車で車を頼もうと思っていたから、渡りに船だった。このあとすぐにバガンのパゴダめぐりを馬車で。翌日も同じく馬車でパゴダめぐり。翌々日は車でポッパ山トサレーへ。その次の日は、早朝に空港へ送迎、これだけ希望と伝えた。

 この日の馬車は、午前中に雨がずっと降っていた関係で、ぬかるみがあったりするので、車をすすめられた。翌日は、一応、馬車だが、雨がきつい場合は車でということになった。この運転手、馬車も動かすそうだ。そして、翌々日とバガンを去る日の車もOK。結局、ホテルに着くまでの間、ずっと車や馬車の手配の交渉をしていた。20分ほどで アウンミンガラホテルに到着。下の画像のように、平屋の客室棟がいくつかあるホテルだった。  

 ホテルでは、チェックインをおこない、部屋に案内してもらったあと、普通なら、しばらく休んでから、観光に出発というのが普通だが、大幅に遅れているので、荷物を置いただけで、部屋の中の滞在時間わずか5分で、車へ。即、パゴダめぐりへ出発だ。14時に出発。本来なら9時出発のつもりだったが、やむを得ない。

 10分ほど走って、まずは、ビューポイントとされる名もなき寺院へ。その2階のテラスに上ると、一面がパゴダの群れ。パゴダが林立するバガン‥‥一体どんな風景なのか、想像ができなかったのだが、その風景が目の前に今、広がっている。バガン平野にパゴダが林立するって、こういうことだったのだ、と納得。  

 パゴダとパゴダの間は、森になっていたり、畑になっていたりする。パゴダや寺院は、最盛期には5000あったのが、現在では3000くらいという。だが、その大部分は、小規模なもので、ガイドブックにも掲載されていない。しかし、小規模なものでも、遺跡の番号がつけてあって、管理はされていることがわかる。ガイドブックに説明が掲載されている、大規模で有名なものは、3000のうちのごく一部分のようだ。

 テラスからバガン平野を見渡していると、曇っていて見にくいのだが、パゴダとは明らかに異なる塔が見えた。あれが、バガンタワーか?と思って、運転手に聞いてみると、やはりそうだった。日の出日の入りはきれいにみえるらしいが、入場料は10ドルということだ。バガンの一体、どこにタワーがあるのかと思っていたが、パゴダの多いエリアからは少し離れていて、眺めの良いパゴダなどからは、見えにくい位置にある。それが、救いのような気がする。本当はタワーはないほうがいいと思うのだが。

 ところで、ミャンマーでは、寺院やパゴダに入場するときには、はだしにならなければならない決まりがある。では、寺院やパゴダの床はきれいなのかというと、掃除はしているが、きれいというものではない。また、人がほとんど訪れないような寺院の場合は、ほこりがたまっている場合もある。そんな場合でも、履物や靴下は脱いで、はだしにならなければならない。

 このあと、訪問した寺院、パゴダの順に番号をふっていく。寺院は中に入れるところ、パゴダは中には入れないところだ。また、★★★はバガンに行けば必ず行くのがよいと思うところ、★★は時間があれば行くほうがよいと思うところ、★は必ずしも行かなくてもよいと思うところだ。ガイドブックでは、どこがおすすめなのか、はっきりした記述がなく、いろいろな寺院、パゴダが羅列してあるだけなので、自分なりのおすすめをつけることにした。

 

(1)ティーローミンロー寺院 ★★

 ニァゥンウーからオールドバガンに向かう途中にある。13世紀に、 バガン王朝第8代の王ティーローミンローが5人兄弟のなかから自分が王に選ばれたことを記念して建てられたという。

 中には、金色の仏像があった。

 ティーローミンローはやや高い位置にあるので、付近の小パゴダ群をながめることができる。

 入口付近にいた子供。

 

(2)アーナンダ寺院 ★★★

 バガンを代表する寺院である。11世紀に第3代の王チャンスィッターによって建てられた。中央に金色の塔があり、本堂は一辺が63mの正方形をしている。本堂の中には、二重の回廊がある。

 内側の回廊のさらに内側に、各辺とも大きな仏像が計4体置かれている。4体の仏像の顔つきと体勢は違っていて、比べてみると面白かった。

  外側の回廊に沿って、パネルがうめこまれている。パネルの埋め込まれた箇所は、普段はふたがしてあって、中を見ることはできないのだが、たまたま団体客を案内していたガドがあけて説明していたので、自分も見ることができた。 下の画像がそれ。

 アーナンダ寺院に限らず、バガンの多くの寺院やパゴダは1975年の大地震で大きな被害を受けたという。その後、修復されたところが多いが、オリジナルのものは失われたものが多いという。また、地震とは関係なく、崩れ落ちたような寺院やパゴダの修復もたくさんおこなわれている。こうした修復のせいであろうか、バガンは世界遺産には登録されていないのだ。

 アーナンダ寺院は1時間かけて見学したが、その間に、運転手は昼食をとりに行っていた。自分は、フライトの遅れを取り戻すために、この日は昼食抜きとした。

 

(3)タビィニュ寺院 ★★

 タビィニュ寺院は、12世紀に、第4代の王アラウンシードゥーによって建てられたものである。ここの高さは65mで、バガンで一番高い寺院である。白くて四角い外壁はとても目立ち、ほかのパゴダに上ったときにはよく目に付いた。

 入ってすぐのところは現役の信仰の場になっていて、たくさんの人々がお祈りをしていた。

 タビィニュ寺院に隣り合った僧院の敷地内に、日本人戦没慰霊者の慰霊碑があった。

 

(4)ダマヤンジー寺院 ★★★

 ダマヤンジー寺院は、12世紀に、第5代の王ナラトゥーによって建てられた。彼は、自分の父である第4代の王アラウンシードゥーと兄を暗殺した。その後、王位についたが、贖罪のためにこの寺院を建てたという。しかし、彼もまた暗殺され、それとともに工事が中止され、未完成のまま放置された寺院である。

 この寺院は、ほかの寺院と形が似ていないが、内部の構造は、アーナンダ寺院と同じ二重の回廊が造られたが、内側の回廊は埋められてしまっている。

 建物は未完成だったが、仏像は入っているところと、くぼみだけあって仏像のはいってない空間があった。

 寝仏も安置されていた。

 

(5)スラマニ寺院  ★★★

 スラマニ寺院は、12世紀に、第7代の王ナラパティシードゥーによって建てられた。四方にある入口を入ると、それぞれ仏像が安置されている。

 この寺院が素晴らしいのは、建物ではなく、仏像でもなく、彫刻でもない。内部の壁に美しい極彩色の壁画がオリジナルの状態で残っているのだ。上は、釈迦の一生を描いたものの一部のようである。

 こちらは、王家の生活ぶりをあらわしているようである。ここで壁画を見るためには、懐中電灯が必携である。

 なぜか仏像は赤く塗られていた。この寺院に入ったときは、まだ明るかったのだが、出てみるとすっかり日が暮れていた。壁画をじっくり見ていたら、時間があっという間にすぎてしまったようだ。

 この日は、4時間で5つの寺院を見学した。この日、見学したところは、バガンのなかでも特に有名なところである。翌日は、小さなところ、有名じゃないところを中心に、ガンガン回る予定で、運転手が馬車の御者に代わって連れて行ってくれることになっている。

 1時間ばかり、ホテルの部屋で休憩。そのあと、レセプションで日本へ電話をかけたいと申し出たが、日本への電話はできないとのこと。最近は、国際ローミングのできる携帯電話を海外旅行に持参して、公衆電話を探したり、テレフォンカードの売場を探したりする手間がなくなっているのだが、ミャンマーではの日本の携帯電話は使えない。そればかりか、ホテルから電話がかけられないとは、、翌日、馬車でいろいろ回るが、電話局にも行くことにした。

 ホテル近くのレストランで夕食。シュエズィーゴォンパゴダのライトアップを眺めながら食事をした。

 中華料理が中心の店だった。焼そばを注文。

 それに、チキンなんとか。マンダレービールを飲みながらゆっくり食事した。

 ホテルに戻ったあとは、シャワーを浴びたあと、翌日の回り方を検討しながら、眠りについた。

 

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