3 バ ガ ン その2

 

(6) シュエズィーゴォンパゴダ  ★★★

 ニァゥンウーの町外れに大きなパゴダなのだが、泊っているアウンミンガラホテルのすぐ近くにある。それで、6時30分にホテルを出て散歩がてら訪れた。ホテルの門を出たところまで、長い屋根つきの参道が延びている。300mくらいありそうだ。この中を歩くのも面白そうだったが、はだしにならなければならないのが難で、参道に沿った道を歩いた。

 昨夜見た金色に輝くパゴダが目の前にある。ライトアップされてはいなくても、まばゆい。塔は上部だけではなく、台座にあたる部分も金箔で覆われている。ここは現役のパゴダで、早朝にもかかわらずたくさんの人が参拝にきていた。

 このパゴダは、バガン王朝の初代王アノーヤターが11世紀に建造しはじめたものだが、完成したのは12世紀、第3代の王チャンスィッターのときである。

 

 さて、ホテルに戻るときに、行きと違う道を歩こうと、反対方向に歩き出した。なかなかホテルにたどりつけない。帰ってから地図を見て、たいへん遠回りで1.5kmくらい歩いたことがわかった。その代わり、ホテルに戻るまでに街の風景を目にすることができた。

 まずは、陶器の店。壷や鉢などさまざまなものが売られている。

 小学校もあったが、早朝なので生徒は登校していない。生徒がいれば撮影していたのだが、、次に、バスターミナル。バスでバガンにくると、ここに到着する。バスが止まっていなければ、普通の田舎の商店にしか見えない。8時に馬車を呼んであり、それまでに朝食をすませなければならない。だが、予想外の遠回りになり、バスターミナルの撮影は翌日まわしにして、ホテルに急いだ。

 ホテルでの朝食。あとで気付いたのだが、麺類をオーダーすることも可能なようで、翌日は頼んでみることにした。

 8時に馬車がやってきた。昨日の運転手のピンピンさんが、馬車の御者になっている。自分の書いたスケジュールを見せると、驚いたようで、全部は無理みたいなことを言われる。オールドバガン付近だけなら1日貸切で10ドルが協定料金のようだが、もっと遠いニューバガン方面まで行くので13ドルになった。しかも、明るいうちに全部回れるかどうかわからないと言われた。

 まずは、ニァゥンウーのマーケットへ。 馬車に乗って、街の様子を撮影しようとしたが、よくゆれるので、なかなかうまく撮影できない。下のは、なんとか撮影した一枚。

 マーケットに到着。建物の外では、野菜・果物・肉など、建物の中では、衣料品や日用品が販売されている。ニァゥンウーは小さな町であるが、この町の人たちが全員集まったのではないかと思うくらいにぎわっていた。

 ピンピンさんによると、野菜などを売っている人たちの多くは、夜の明けないうちから、エーヤワディー川を渡って、川向いからやってくる人が多いという。建物の中の店の人たちは、ニァゥンウー付近の人が多いらしい。  

 次は、鶏肉売場というよりは、鶏の胴体に足がついたまま売っている。でも、首はなく、皮ははいであった。かと思えば、別の店では、生きた鶏も売られている。

 

(7) サパダパゴダ  ★

 町のど真ん中にあるパゴダ。12世紀に、スリランカから帰国した僧サバダによって建てられ、ここを拠点にスリランカから持ち込まれた上座部仏教が布教されたという。それまでの仏教とは違う点があり対立もあったらしい。ところで、このパゴダはスリランカ風らしいのだが、スリランカにはいっていないので、似ているのかどうかよくわからない。

 このパゴダのすぐ近くに電話局があり、そこで日本に電話。ここでは1分4ドルだ。国によって1分3〜5ドル。ストップウォッチが2台用意され、1台は局の人が見て、1台は自分に見えるように置かれた。1分以内で話を終え、4ドル支払う。この国の物価からして、すごい値段だ。

 このあと、オールドバガンまで30分間、ゆったりと馬車ですすんだ。車はもちろん、時々、自転車にも追い抜けれながら、6kmの道のりをすすんだ。小雨が降っているが、ぬれることを心配するような雨ではなく、かえって涼しくてよい。

 やがてタラバー門に到着。ここがオールドバガンの入口だ。この内部に、遺跡が集中している。オールドバガンは城壁で囲まれていて、今もところどころ残っている。ここは城壁の正式な門だ。

 

(8) ピタカタイ  ★

 初代の王アノーヤターがタトン国を征服して。経典を象に運ばせたのだが、象がこの地に来て動かなくなったらしい。それで、この地に経典の保管庫を造ったのがこれ。11世紀のものだが、18世紀に修復された。普段は中には入れないので、周りを一周しただけ。

 

(9) タンドーチャ石仏  ★

 13世紀に造られたものだが、仏の内部のれんがが残っているが、外側はすでになくなっている。包帯でぐるぐる巻きになった巨人のような感じだ。

 

(10) シュエグーチー寺院  ★★

 12世紀に第4代の王アラウンシードゥーによって建てられた。アーナンダ它@も小ぶりにしたような感じのこじんまりした寺院。

 ここは屋上に上ることができ、眺めもすばらしい。タビニュ寺院が大きく見えるし、小さなパゴタが緑と調和して美しい。

 

(11)ミンガラゼディパゴダ  ★★

 オールドバガンから南に向かう。まず、最初にやってきたのがここだが、期待はずれだった。というのは、ガイドブックでは、日の出、日の入の名所として紹介されていて、訪問したのは昼間だったが、上に上っての眺めを楽しみにしていた。ところが、上部に上れなくなっていたのだ。上の画像の下のほうに見える看板に、上るなということが書いてあった。

 ここは13世紀に、第11代の王ナラティーハバテによって建てられたものだが、この頃にはバガン王朝は衰退期に入っていて、王によって建てられた寺院、パゴダとして最後のものである。ここが建てられるとき、このパゴダが建つと国が滅ぶと予言され、一時、工事が中断され、その後、工事が再開された。しかし、予言の通り、完成の十数年後、モンゴルによって征服されてしまった。

 

(12) グービャウッヂー寺院  ★★

 11世紀にチャンスィッター王の死後、正当な血筋ではない息子によって父を弔うために建てられた。内部には壁画がきれいに残っていた。特に14本の手を持つ神の像はとても11世紀に描かれたものとは思えなかった。残念ながら、撮影は禁止だった。

 この寺院の敷地内に、ミヤゼディパゴダがある。こちらも一周してみた。こちらは現役のパゴダのようで地元の人が参拝していた。

 

(13)マヌーハ寺院  ★★

 マヌーハはタトン国の王であったが、アノーヤター王によって国を滅ぼされ、自分も囚われの身になった。この寺院は、のちに許されたマヌーハが11世紀に建てたものである。外観は平凡な箱型をしているだけである。

 この寺院には大仏があるのだが、この大仏が非常に狭い空間に押し込められていることが、ここの特徴なのだ。上の画像は、大仏のすぐ下から見上げるように撮影した。そうしないと全体を写すことはできない。なぜなら、大仏の腹から上のすぐ前は壁になっているのだ。これは囚われの身を象徴していると言われている。実際、監獄のような窮屈さを感じさせられた。

 

(14)ナンパヤー寺院  ★★

 マヌーハ寺院から100mくらい離れたところにある小さな寺院。こちらも、11世紀に囚われていたタトン王マヌーハによって建てられたと言われている。

 こちらの特徴は、柱に彫刻が彫られていること。バインの寺院遺跡では壁画が残されているところがいくつかあるが、彫刻が残されているところはほとんどない。

 

(15)ローカナンダーパゴダ  ★★

 馬車はニューバガンの町を抜け、バガンのパゴダ群では一番南に位置しているローカナンダーパゴダまでやってきた。11世紀に初代王アノーヤターによって建てられた。このパゴダは現役なのだが、ありふれた形をしている。

 このパゴダですばらしかったのは境内から眺めるエーヤワディー川の流れだった。乾季とあって、川の水量は少なく、中州がたくさんできていた。しかし、幅はかなりあって、対岸まで2,3kmあるような感じだった。このパゴダは行きかう船の目印に使われているという。

 

(16)ペッレイパゴダ  ★

 11世紀に建てられたもので、道をはさんで2つのパゴダが並んでいる。左がアナーペッレイパゴダ、右がアシャペッレイパゴダ。この2つのパゴダは、屋根つきの回廊の上に建っているという形をしているのが特徴。パゴダそのものは特に珍しい形ではなく、回廊にも入れなかった。訪問している人は誰もいなかった。

 

(17)セィンニェ・アマ寺院とセィンニェ・ニマパゴダ  ★

 同じ敷地内に寺院とパゴダがある。11世紀に王妃セィンニェ姉妹が建てたと言われている。寺院を姉、パゴダを妹が。ここも自分だけしかいない静寂のなかでの見学だった。そのため、寺院は屋上に上れるらしいのだが、暗い階段を上がっていく気がせず、昼食をまだとっておらずお腹がすいていたこともあって、上がるのはやめた。

 

(18)アベヤダナー寺院  ★

 第3代の王チャンスィッターが、兄の第2代の王ソールーの怒りをさけて逃れていたときに妻アベヤダナーがここで待っていたという。この周りには廃墟になった遺跡があり、そこで牛の放牧が行われていて、車に戻る道を牛が占拠していたため、戻るのに苦労した。

 

(19) ナガーヨン寺院  ★

 第3代の王チャンスィッターが、兄の第2代の王ソールーの怒りをさけて逃れていた場所に、のちに王になったチャンスィッターが12世紀に建てた。アーナンダ寺院に似るが、小ぶりで装飾も少ない。アベヤダナー寺院とは道路を挟んで対面する位置にある。

 

(20)シュエサンドーパゴダ  ★★★

 11世紀に初代王アノーヤターがタトン国を征服したあと、タトン国から奪った仏陀の髪を納めるために建てた。上部は白っぽく塗られていて、ほとんどが茶色い寺院、パゴダの中では目立った存在だ。ここは、上に上ることができるようになっている。

 上から下をのぞいたところ。アンコールワットの中央祠堂に上る階段なみの急な階段だが、手すりがあることと、階段の幅がかなりあり、階段が磨り減ったりしていないため、アンコールワットほど怖くはない。

 上部からのパゴダの林立する眺め。白く大きく見えるのがタビニュ寺院。30分ほど、バガン平野の東西南北の各方向をゆっくりと眺めた。木が生えているように、パゴダがあちこちに見える。

 

 すでに時間は14時20分。かなり遅くなったが、オールドバガンで昼食。ここで初めてのミャンマーフード。おかずの皿がたくさんつくと聞いていたが予想以上の皿数だ。

 どの皿がメインなのかはっきりしないが、ろうそくの左下に写っているのが、チキンカレーでこれがメインなのだろう。あとの皿は、野菜を使ったものがほとんど。また、それぞれの皿の中のスープに見えるものは、油のきついものが多かった。特にチキンカレーは油に浮いているような感じだった。このときは、初めてのミャンマーフードで、お腹がすいていたこともありたくさん食べられたのだが、旅行を続けるうちに、次第に食べにくくなり、ついには体調をくずした。やはり、油がきついのにはなじめなかった。でも、味付けは、辛くなく日本人には食べやすい感じだ。

 食後にまず訪問したのは、考古学博物館。ガイドブックでは、展示品は少ないと書いてあったのだが、どうしてどうして、、結構な量の展示品があって、見学時間はかなりかかった。15時に入場したのだが、結局、16時30分の閉館まで、ずっと見学していた。

 各遺跡の模型や絵画があり、荒廃した遺跡の本来の姿の復元図なども興味をもって見た。また、バガン王朝時代の王族や庶民の生活ぶりの展示も面白かった。

 

(21) ゴドーパリィン寺院  ★★

 考古学博物館の近くにある。ここは第7代の王ナラパティシードゥーの時に立て始められて、完成したのは13世紀、次のティーローミンロー王の時である。高さが55mあり、これはタビニュ寺院に次いで2番目の高さだ。外観もタビニュ寺院に似ている。

 寺院の中の仏像。手前に賽銭箱があるが、ミャンマーでは、賽銭箱がいくつかある場合、何に使うための賽銭なのかが書いてあるのだという。建物の修理のためとか、電気代のためとかいうように。

 

 さて、ゴドーパリィンを出ると17時を回っていた。8時からずっと回っていたが、馬が疲れているからということで、ホテルに帰ることになった。まだ、バガンで見ていないパゴダがあるのだが、それは、翌日、サレーに向かう前に車で訪問することになった。

 ホテルに17時30分着。ほどなく日が暮れた。昼食が遅かったこともあり、2時間ほどホテルの部屋で休憩し、翌日のことなどを考えたりした。そのあと、食事に出た。アウンミンガラホテルはニァゥンウーの町の中心からはかなり遠く、食事する場所は限られている。それでも、昨日とは別のレストランに行ってみた。

 ミャンマービールを楽しみながら、料理を何にするか考えた。画面右端に写っている金色をしているのはライトアップされたシュエズィーゴォンパゴダ。

 フィッシュフライカレーを注文。魚のからあげや野菜などをカレー煮したものだった。魚はエーヤワディー川の川魚なのだろうか。これだけでは足らなく、チャーハンも注文したが、今度は食べきれずに残した。

 ホテルに戻り、シャワーを浴びて、とくにすることもなかたったが、そのうちに眠ってしまった。

 

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