3 渡 嘉 敷 島 へ
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![]() 左が渡嘉敷行き、真中が粟国行き、右が渡名喜行き、写真のさらに右に座間味行きの切符売場がある。 |
![]() 通常の時期、渡嘉敷行きの船は、フェリーが1往復、高速船が2往復ある。フェリーと高速船を組み合わせれば、日帰りも可能だ。 でも、今回の旅の時期、1ヶ月弱の間、高速船はドック入りのため欠航でフェリーだけになっている。フェリーだけだと、必ず渡嘉敷で泊まらねばならない。 自分の場合は、渡嘉敷で2泊し、そのあと阿嘉島へ向かう。 |
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![]() 左 船内からみた「とまりん」。 |
![]() 下 慶良間諸島に属する無人島の近くを通過し、まもなく渡嘉敷島。 |
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![]() あんな高いところを歩くのかって思った。3つの橋を渡り、もっと先に、集団自決の跡地があり慰霊しにいくつもりだからだ。 左 渡嘉敷港に到着。 |
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![]() 上右 中型バスなので、そこそこ客がいるのかと思ったが、自分以外にはダイビング客3人組だけだった。 左 渡嘉敷港付近は村役場などがあり、村の中心なのだが、宿が多いのは数km離れた阿波連。ダイビングスポットになっている関係だ。 15分ほどで阿波連のペンション「シーフレンド」に到着。ここで2泊する。 |
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![]() 予約の際、ペンションのメイン棟とロッジ棟、またどちらもトイレ・シャワーの有無で、いくつかのタイプを選べたのだが、ロッジ棟でトイレ・シャワーありの部屋にした。 |
![]() また、冷蔵庫も各部屋にあるようで思っていたよりも快適にすごせた。 |
![]() 真ん中がペンションのメイン建物、右がロッジ棟。そして左の建物は、2階が食堂、1階が居酒屋があるほか、洗濯機コーナーやウェットスーツを干す場所になっている。 |
![]() でも、この時は、客は自分ひとり。それでも休業せずに営業していることに感謝。 |
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![]() この後、尾根を出て、あとは尾根づたいに歩いたが、1時間ほど海は見られず、眺望のよくない道路を歩き続けた。 |
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![]() 尾根づたいに山を下った付近のようだ。 さらにその向こうへ、山を上がると島の端があって、その先に別の無人島があり、灯台はその島にあるようだ。 |
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![]() すごいと思ったのは、阿波連の集落を出て1時間30分の間、誰にも出会わず、1台の車も見なかったことだ。大自然を独り占めしたようだ。(帰りには車に出会ったが、「渡嘉敷村」と書いた軽トラだったので、役場の仕事なんだろう。) |
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![]() 阿波連の集落をつっきり、反対側まで行く。阿波連ビーチの先端に丘があり、その上に展望台がある。そこまで行ってみることにした。 |
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![]() 左端に阿波連の集落がある。丘と対面する山の中腹に見える白い線が、先ほど阿波連岬に行く時あがった道路。 |
![]() これを見て、大ショック。 本来なら、10月〜2月は、9時、14時30分、16時の3本。このことは、旅行前に知っていて、翌日は9時の便で渡嘉敷港まで乗るつもりだった。 でも、本日の運行は14時30分の1便だけ。この時期、船は、高速船がドック入りで運休中のため、フェリーの1便だけになっている。それで、バスもフェリーに合わせた1便だけだったのだ。 翌日は、歩いて渡嘉敷港まで行ってやろうじゃないかって思った。 |
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![]() この日は金曜、翌日は客が多そうな土曜。この日は客が少ないので居酒屋にまかせたのだろう。 |
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![]() 下左 飲物が別払いなのは、食堂の場合と同じだが、翌日、食堂で注文したときに比べて、アルコール飲料の種類が全然違う。 泡盛「渡嘉敷」を注文したが、これは食堂ではだしていなかった。 下右 渡嘉敷島の蔵で造ったのかと思ったが、製造元は久米島町の「米島酒造」だった。ただ、原料は渡嘉敷島産の黒米で、この泡盛は渡嘉敷島でしか飲めないという。 |
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![]() このときご飯をいただいた。 十分に満足できてよかった。良すぎて、翌日の食堂の夕食が貧相に思えた。この宿に泊まるなら、居酒屋を利用して、朝食だけつけるのがいいかなと思った。 |
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