4 渡 嘉 敷 島 を 歩 く
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![]() 皿の右半分は生野菜で、野菜をしっかりいただく。 下左 みそ汁は沖縄風の野菜煮込み的なみそ汁だった。 下右 デザートとコーヒー。 |
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![]() 新垣商店を過ぎると坂道がはじまる。渡嘉敷港へは、山の中腹まで上がらねばならないのだ。 この日、行きたいのは集団自決のあった場所だが、そこに行くには、100mの山越えして渡嘉敷港へ、いったん0mまで下って、200mの山へ上がるって感じだ。 |
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![]() 写真の左上に、カーブしながら山を上がる道路があり、左端の隅には建物が見える。その奥の方へさらに上がったあたりに集団自決の跡がある。このあと、いったん港のあたりまで行き、集団自決の跡へ向かう。 |
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![]() このとき10時だった。計画では9時に阿波連をバスで出発し、港に着いた後、「港のみえる丘展望台」にあがるつもりだったので、港に戻るのは10時になっただろう。だから阿波連を8時に出て、歩いたが、計画通りの時間になった。 |
![]() 下左 駐在所をすぎてすぐ、集団自決跡地へ向かう道路がはじまる。すぐに坂道になる。 下右 谷をこえるところに橋があり、上部にさらに2つの橋がある。かなり上がらねばならないと覚悟する。 |
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![]() 集団自決した人たちの慰霊碑だ。ここで慰霊をしていく。 沖縄戦では集団自決がここ以外でもあったが、犠牲者数がここが最も多いこと、加えて、ここは軍の命令があったかどうかをめぐる裁判が行われたので気になっていた。 |
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![]() 学校などが研修に使うのが主な利用だろうが、いった時はまったく利用されていなかった。 |
![]() 施設外(と思われる)の西展望台に到着。ここが渡嘉敷島の最高地点227mである北山(にしやま)山頂だ。 下 慶良間海峡が良く見える。外地島を拡大。滑走路と橋で外地島とわかった。 |
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![]() 閉まっていたので、一瞬、外から見るしかできないのかって思ったが、”勝手に開けて入ってよい、ただし、門はかなわず閉めるように。理由はハブが外に出ないようにするため。”という趣旨の説明があり、中に入った。 |
![]() これだけかと思ったら、もっと奥に行くことができることがわかり、さらに進んだ。 |
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![]() 知らなけらば、普通の森にしか見えないが、このあたりの何か所かで集団自決が行われたのだ。 |
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![]() 食堂「ちゅるおかや」とともに歴史民俗資料館も2階にあるようなので、見ていこうとしたら、土日は閉鎖で、すぐに食堂へ。 |
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![]() 観光客はほとんどいない時期だったが、港周辺で開いていた食堂がここだけだったので、島民の利用が多かった。 |
![]() 左のほうの赤黒いのは渡加敷産のマグロジャーキーをけずったもののようだ。 |
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![]() 沖縄のぜんざいは、たいていかき氷の下に小豆はいっているが、ここではかき氷と小豆が別に運ばれてくる。 かき氷にはマース水がかけてある。マースは沖縄で塩のこと。だから、少し塩味がするかき氷だ。 |
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![]() 「震洋」の保管されたところは、すでに加計呂麻島、喜界島、父島、母島で見ていてこれで5島目。いろいろなところにあったのだと実感。幸いなことに、5島いづれも出撃はしないまま戦争が終わった。 |
![]() 下左 坂道を高度差100m上がって車道に出たが、さらに照山展望台に上がる。 下右 階段をひたすら上がる。 |
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![]() 写真右上の道路から真ん中の渡嘉志久のビーチまで下り、ふたたび道路まで上がり、さらに展望台までやってきた。 下 反対側を見ると阿波連がよく見える。こうしてみると阿波連の集落も結構大きいんだと思った。 |
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![]() しばらく休憩。 この日は8時間かけて、16qほど歩いた。距離も長いが、高低差があったので、歩いた感がかなりする。 |
![]() ヘルシーで味付けも悪くなかったのだが、前日は居酒屋で魚があったり、出来立ての暖かい料理があったので、どうしても前日と比較してしまう。この日の食事が、夕食の標準なのだろうが、前日が良すぎた。もし、この宿にまた泊まるなら、朝食だけつけて、夕食は居酒屋でとるだろうな。 |
![]() 味はこういうものなのかって思った。 渡嘉敷2日目も終了。 |
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