4    渡 嘉 敷 島 を 歩 く

 

 7時に食堂で朝食。

 皿の右半分は生野菜で、野菜をしっかりいただく。

 下左   みそ汁は沖縄風の野菜煮込み的なみそ汁だった。

 下右   デザートとコーヒー。
 8時に宿を出発。前日に宿の送迎車で通った道を逆方向に歩く。

 新垣商店を過ぎると坂道がはじまる。渡嘉敷港へは、山の中腹まで上がらねばならないのだ。

 この日、行きたいのは集団自決のあった場所だが、そこに行くには、100mの山越えして渡嘉敷港へ、いったん0mまで下って、200mの山へ上がるって感じだ。
 
 100mの高さのところからは眺望がよいところがある。慶良間海峡展望所と書かれていた。
 
 さらに進んだところから。海峡の向うに見えるのは橋が見えることから、慶留間島だとわかる。
 
 いったん山を下り、渡嘉敷港の近くまで行って、再び坂道を上がり「港の見える丘展望台」に寄り道。

 写真の左上に、カーブしながら山を上がる道路があり、左端の隅には建物が見える。その奥の方へさらに上がったあたりに集団自決の跡がある。このあと、いったん港のあたりまで行き、集団自決の跡へ向かう。
 
 根元家の石垣。石垣を造る技術がすぐれているとのこと。中には家屋はなかった。
 
 渡嘉敷村役場。
 
 渡嘉敷小中学校。
 渡嘉敷港には軽石が漂着していたが、この程度では船の運航には問題ないんだろうな。

 このとき10時だった。計画では9時に阿波連をバスで出発し、港に着いた後、「港のみえる丘展望台」にあがるつもりだったので、港に戻るのは10時になっただろう。だから阿波連を8時に出て、歩いたが、計画通りの時間になった。
 
 那覇警察署渡嘉敷駐在所。

 下左   駐在所をすぎてすぐ、集団自決跡地へ向かう道路がはじまる。すぐに坂道になる。

 下右   谷をこえるところに橋があり、上部にさらに2つの橋がある。かなり上がらねばならないと覚悟する。
 
 
 1つ目の橋と2つ目の橋の間で、道路が急カーブする地点の近くに白玉之塔がある。

 集団自決した人たちの慰霊碑だ。ここで慰霊をしていく。

 沖縄戦では集団自決がここ以外でもあったが、犠牲者数がここが最も多いこと、加えて、ここは軍の命令があったかどうかをめぐる裁判が行われたので気になっていた。
 3つ目の橋から見た港。港のターミナルなどは山陰になり見えない。すでに150mくらい上がっているが、このあと50mほど上がる。
 
 道路の行き止まりは「国立沖縄青少年交流の家」になっている。集団自決の跡はこの敷地内を通って行く。渡嘉敷港からここまで50分。

 学校などが研修に使うのが主な利用だろうが、いった時はまったく利用されていなかった。
 
 施設の敷地内でも坂道は続き、5分ほど歩き、公園のようなエリアに入った。施設とは別のはずだが、施設には柵も裏門もなく、どこまでが施設なのか不明だった。

 施設外(と思われる)の西展望台に到着。ここが渡嘉敷島の最高地点227mである北山(にしやま)山頂だ。

 下   慶良間海峡が良く見える。外地島を拡大。滑走路と橋で外地島とわかった。
 
 集団自決跡地の入口に到着。

 閉まっていたので、一瞬、外から見るしかできないのかって思ったが、”勝手に開けて入ってよい、ただし、門はかなわず閉めるように。理由はハブが外に出ないようにするため。”という趣旨の説明があり、中に入った。
 門を入り、1分ほど歩くと、慰霊碑があり、ここで慰霊。

 これだけかと思ったら、もっと奥に行くことができることがわかり、さらに進んだ。
 
 さらに奥に行けるという標識。これは、誤解を与えやすい表示で、集団自決はこの標識や慰霊碑の付近でも行われていて、この標識はもっと奥に行けますよ、という案内なのだ。
 
 尾根に挟まれた谷になった坂道を下っていく。3分ほど歩き、一番下まで行ったところ。ここでもう一度、慰霊をおこなった。

 知らなけらば、普通の森にしか見えないが、このあたりの何か所かで集団自決が行われたのだ。
 
 続いて、集団自決跡地の東にある東展望台に向かった。
 
 慶良間諸島に属する無人島が目の前に見えた。
 
 集団自決跡地の慰霊を終え、渡嘉敷港まで下る。集団自決跡地と展望台を合わせ、施設の入口に入り、出るまで1時間だった。
 渡嘉敷港のターミナルに到着。下りは、すべったりしないよう気をつけて歩いたが、それでも40分で下りられた。

 食堂「ちゅるおかや」とともに歴史民俗資料館も2階にあるようなので、見ていこうとしたら、土日は閉鎖で、すぐに食堂へ。
 「ちゅるおかや」の入口。
 店内。

 観光客はほとんどいない時期だったが、港周辺で開いていた食堂がここだけだったので、島民の利用が多かった。
 とかしきまぜそば。

 左のほうの赤黒いのは渡加敷産のマグロジャーキーをけずったもののようだ。
 混ぜ混ぜした状態。
 塩ぜんざい。

 沖縄のぜんざいは、たいていかき氷の下に小豆はいっているが、ここではかき氷と小豆が別に運ばれてくる。

 かき氷にはマース水がかけてある。マースは沖縄で塩のこと。だから、少し塩味がするかき氷だ。
 
 別に運ばれてきた、塩せんべい、紫芋、小豆。
 
 昼食を終え、阿波連に戻る。今度は、途中、100m近くまで上がったあと、いったん海岸に下り、そのあと、100mからさらに高い展望台に上がるつもりだ。
 
 70mくらいまで上ったが、渡嘉志久の海岸へ下りる。
 
 海岸に出ると軽石が一部に見られた。島は阿嘉島、慶留間島、外地島。
 
 浜に打ち上げられた軽石。
 
 ここの海岸にも旧日本軍の特攻艇の保管された洞窟があるというので行ってみた。
 
 特攻艇「震洋」の保管された洞窟。

 「震洋」の保管されたところは、すでに加計呂麻島、喜界島、父島、母島で見ていてこれで5島目。いろいろなところにあったのだと実感。幸いなことに、5島いづれも出撃はしないまま戦争が終わった。
 
 ここは渡嘉敷島でも景勝地のようだ。

 下左   坂道を高度差100m上がって車道に出たが、さらに照山展望台に上がる。

 下右   階段をひたすら上がる。
 
 
 
 照山展望台に到着。

 写真右上の道路から真ん中の渡嘉志久のビーチまで下り、ふたたび道路まで上がり、さらに展望台までやってきた。

 下   反対側を見ると阿波連がよく見える。こうしてみると阿波連の集落も結構大きいんだと思った。
 
 
 新垣商店で飲物を仕入れて、宿に戻ると16時。

 しばらく休憩。

 この日は8時間かけて、16qほど歩いた。距離も長いが、高低差があったので、歩いた感がかなりする。
 
 18時30分に夕食。この日は食堂へ。この日は、土曜で客がそこそこ入っている。

 ヘルシーで味付けも悪くなかったのだが、前日は居酒屋で魚があったり、出来立ての暖かい料理があったので、どうしても前日と比較してしまう。この日の食事が、夕食の標準なのだろうが、前日が良すぎた。もし、この宿にまた泊まるなら、朝食だけつけて、夕食は居酒屋でとるだろうな。
 
 飲物はみかん酒があったのでいただいた。

 味はこういうものなのかって思った。

 渡嘉敷2日目も終了。
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