7    平安座島、浜比嘉島など

 

 部屋で前日に買った朝食を食べる。

 この日は、4つの島に行くのだが、全部バスで回れる。とはいえ、それでは面白くないから本島と平安座(へんざ)島、平安座島と浜比嘉(はまひが)島の間は橋を歩いて渡る。

 本島と平安座島の間の海中道路は橋でなく、堤防だが、恥ずかしながら、現地に行くまで橋だと思っていた。
 コザを7時56分に出発する屋慶名バスターミナル行き。最初こそ数人が乗っていたが、終着近くになると自分以外には1人だけ。
 下車するのは終着の2つ手前のJA与那城前。案内をしっかり聞き、下車する停留所を間違えないようにしていた。

 ところが、案内がないままに終着の屋慶名バスターミナルの案内。びっくりして思わず「JA与那城は行かないんですかっ」と叫んだ。

 ドライバーは、”経路が変更になっている。もう1年くらいになる”と言うが、”はじめて乗るので、そんなこと知りません”と言った。JA与那城への行き方を説明してくれたが、歩いて数分かかる。

 写真は、下車したバス。屋慶名バスターミナルにて。

 
 
 バスに自分以外に乗っていた人も、JA与那城に行くことがわかり、一緒に行くことにした。

 さらに話をしていると、その人も本島と平安座島の間は歩くということだ。ただ、平安座と浜比嘉の間は歩かないようだ。自分が、浜比嘉で歩くまでの間、一緒に行きましょうということになった。

 ほかに行くところを聞くと、自分と同じく、古宇利島と屋我地島の間の橋も歩く計画らしい。自分の今回の旅の概要も話した。

 話しながら、JA与那城前のバス停に到着。
 
 バスは平安座総合開発という会社の運行。あとで、会社のHPを見たら、本業は土木建設業のようで、バスは主要な業務ではなさそうだ。

 経路図の一番下に本島があり、現在位置でもあるJA与那城がある。

 バスは、海中道路を渡り、平安座島へ。いったん浜比嘉島に立寄ったあと、再び平安座島に戻り、宮城島を経て、伊計島の南端に近いところまで行く。

 JA与那城から伊計まで14qほどある。平安座から浜比嘉の一番奥までは3qほど、往復6qほどあるので、比嘉島の一番奥まで行くバスだと、伊計まで20q走る。所要時間は55分。

 一番奥まで行くバスは少なく、多くが橋を渡ったところで引き返すので、4km、10分ほど短くなる。乗車する10時のバスは一番奥まで行くバスだ。
 
 しばらくするとバスがやってきた。乗ってきた人が下車し、出発まで少し時間があったが、乗り込んで待った。

 運賃はごく近距離は100円、あとは200円。終点まで乗るが200円だ。
 
 出発時は自分ら2人だけだったが、途中で乗車し、下車した客があった。

 下   本島から平安座島への海中道路。ここを実際に通って、初めて堤防の上の道路だとわかった。ずっと海中道路は橋だと思っていたのだ。

 遠くに平安座島と浜比嘉島を結ぶ橋が見える。海中道路も同じような橋だと勘違いしていた。
 
 途中、平安座島から浜比嘉島に立寄る。2島を結ぶ橋の上。

 下   平安座島と宮城島の間は幅50mほど。一見、運河のような感しだ。

 あとで、あやはし館での展示を見て知ったのだが、平安座島は元々はずっと小さかったが、石油備蓄基地をつくるために埋立を行い、その結果、宮城島そのすぐそばまでが陸地になったようだ。
 
 
 宮城島に渡り、平安座島との間の水路に沿って、少しの間、バスが走ったので、平安座島にある石油備蓄基地がよく見えた。

 石油備蓄基地はすでに複数のところを見ていて、海上に備蓄している上五島以外はみなこんな感じだ。
 
 宮城島と伊計島を結ぶ橋を渡る。200mほどの橋。

 下   終着の伊計売店前に到着したバス。55分かかったが、風景を堪能できてアッという間だった。
 
 
 バス停の間にあった伊計共同売店。

 下左   バス停。

 現在地が「与那城伊計」と書かれている。乗車したのは「与那城屋慶名」。海中道路や橋で一体になって、同じ地域名になっているのを見て、もはや離島ではないんだなと思った。時刻表示が午前、午後と12時間制なのも、最近では珍しい。
 
 
 
 上右   面白い看板だと思ってみたが、注目したのはN高っていうこと。

 ネット利用の通信制高校のN高の本校が廃校になった伊計小中学校を利用しているって話を聞いたことがあり、そのことを思い出した。この近くに本校があるはずだ。

 N高のスクーリングは全国各地で行われているようだが、在学中に一度、本校でこの島ならではのスクーリングを受けるのだという。

 左   集落内を少し歩いた。余裕があるならN高も見たかったけど、時間がなかった。
 11時発のバスに乗車。写真はバスの後部。

 下   再び平安座島の石油備蓄基地を見ながら浜比嘉島までバスに乗車。
 
 浜比嘉島に渡ったところの「浜漁港前」で下車。一緒に動いた人ともここでお別れした。
 
 浜比嘉大橋のたもとにあった開通記念碑。
 浜比嘉島から平安座島への浜比嘉大橋を渡る。長さ900m。
 
 橋の中央からの眺め。中央部は少し高くなっている。地上では風がなくても、海上では風が吹き、中央までくると少し怖い。
 橋を渡り終え、平安座島の海岸を少し歩くと海中道路に入る。カーブの先は海中道路。橋ではなく堤防だということがよくわかる。
 
 海中道路に突入。橋とは違って、いつの間にか海中道路に入っていたという感じ。

 歩いている堤防のすぐ下は干潟になっている。堤防から50mほど離れた海中で釣りをしている人がいる。水は足首あたりだ。
 海中道路は堤防上の道だが、2、3箇所、橋があった。船が通れそうな橋と水の入れ替えのためにだけ開けているような橋があった。

 ここは、水の入れ替えのためにだけ使われるところだが、水の通り道は少し深くなっているのがわかる。

 海中道路は、歩いている足の下が地面だし、海面からの高さもわずかなので安心感があり、風が吹いているが怖くはない。これが橋だと、足の下には海があり、しかも海面からの高さもかなりあり、風の通り抜けるところになって風が強くて怖い。
 あやはし館の前にある海中道路の上を渡る歩道橋から本島側を見る。

 4車線の道路で両側に歩道がある。
 
 歩いてきた側を見る。堤防で繋がっている左上の島が平安座島。右上の島が浜比嘉島で、平安座島と橋でつながっているのがわかる。
 
 海の駅あやはし館。

 海中道路の中間付近に埋立でつくった島にある。船の形をした建物だ

 この1階にレストランがあり、昼食をとる。すでに13時30分で、お腹もすいている。

 下左   入口を入ると、左にハイサー食堂、右に海中食堂があり、右へ。

 下右   店内。
 
 上   もずく定食。もずくそば、もすく天ぶら、もずく酢がついてくる。もずくそばは、もすくが具で入っているだけじゃなく、そばにもずくが練りこんであるという。

 左   もぞくそばの麺。色も見た目もうどんにそっくり。食べてみると、コシがなく、うどんじゃないことがわかる。
 2階には小さなミュージアムがあったので入ってみた。

 海中道路ができた当時の地図模型があった。本島と平安座島の間は干潟になっている。橋じゃなく堤防にしたことを納得。

 また、平安座島と宮城島の間にも干潟があって、ここを埋立てで石油備蓄基地にしたんだなってよくわかった。
 
 上左   海中道路の後半を歩く前にソフトクリーム。

 上右   海中道路にかかる橋の上から下を見ると、少し深くなっているところがわかる。

 左   海中道路を歩き終え、無人島の藪地島に向かう途中に見えた渡ってきた橋。
 藪地島に渡る。ここは無人島なので、行っても島めぐりの数に入れないけど、橋が架かっているので行ってみた。
 
 5分ほど歩いたけれども、特に何かあるわけでもないので引き返した。橋があるということは、かつては有人島だったのかもしれない。
 
 屋慶名バスターミナルに戻った。朝、ここに着いたときは、バスの経路が変わっていたためにあせっていたのだろう、どんなバスターミナルかよく見ていなかった。

 改めてバスターミナルを見ると、田舎の少し大きな停留所という感じで、那覇のバスターミナルからは想像のつかない、小さなところだ。
 
 運が悪いことに、1時間に1本あるバスが出発した直後にバスターミナルにやってきた。近くをぶらぶらして時間つぶし。1時間後の227系統、那覇行きのバスに乗車。
 
 渋滞もあり、コザまで1時間ほどかかり、もう暗くなってしまった。胡屋の先の園田(そんだ)で下車。コザの街歩きもしたかったのだが、夕食とって宿に戻ることにした。
 
 雰囲気のよさそうな店を探して歩き、「ちょーすけ」という居酒屋を見つけて入店。
 
 
 
 上左   この店は19時までは生ビールが半額。このあと2杯、追加した。この日は泡盛は飲まなかった。

 上右   出されたお通しはもずく酢。先ほど、あやはし館で食べたばかりだが、仕方ない。

 左  赤仁(あかじん)ミーバイ刺身。沖縄でよく食べるミーバイだが、刺身で食べるのは初めて。また、赤仁ミーバイは最高級のミーバイだ。
 
 チキナーチャンプル。

 チキナーは塩漬けしたからし菜のこと。いったん水で塩抜きして、そのあと豆腐と一緒に炒めてある。塩辛さは感じない。
 
 ケチャップ味の焼きそば。

 焼きそばは、ケチャップ、ソース、塩を選べたので、沖縄らしいケチャップにしてもらった。

 一見するとナポリタン。でも、焼きそば。しかも、麺は沖縄そばなので、見た目はうどんに近く、うどんのナポリタンのようにも見える。

 翌日の朝食を買いにコンビニに立寄り、宿に戻った。 
 
 
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