8    津 堅 島

 

 朝食は前日に買ってきたものを部屋で食べる。

 7時38分発の屋慶名行きに乗車。前日とは違う系統で8時20分に着く平敷屋で下車する。

 バス停から1.5km離れた平敷屋港まで歩き9時の津堅島行きのフェリーに乗船する予定だ。

 
 ところがバスが遅れに遅れて平敷屋のバス停に着いたのが8時45分。9時のフェリーに乗れなかったら、つぎは11時だ。

 15分で港まで行けるか。港までの半分、走った。さいわい、バス停から港までの大部分が下り坂なのだ。港までの道順も調べていたのも幸いした。

 船が見えてきたが、そのまま船には乗れない。ターミナルで切符を買わねばならない。ターミナルには1分前に到着。それでも、検温や乗船名簿の記入がある。待ちますよ、といわれてホッとした。
 小さなフェリーで、車も1台だけだった。客室に向かうと自分以外に客は10人。見た感じでは、地元客とあとはうるま市の職員がほとんどのようだ。職員であることはうるま市と書いた作業服を着ていたのでわかった。あとは、職員と知り合いのようだったり、荷物から地元客だと思われる。自分以外に1人だけは観光客の感じ。
 
 乗船券。往復券を買ったのだが、これは復路の分。往路の分は、乗船時に切り取られた。何しろ急いでいたので往路の分もついた券を撮影する時間がなかった。

 左下にニンジンのキャラクターが描かれている。この島はニンジン栽培が盛んなのだ。
 
 津堅島が近付いてきた。
 
 30分の船旅を終え、津堅島に到着。

 港のターミナルを見ると「キャロット愛ランドマリンターミナル」という名のようだ。やはし、ニンジン島なのか。
 
 島のほとんどが標高10mくらいの丘の上になっている。港を出てすぐに坂を上がる。その途中から見た港。
 津堅小中学校。
 
 マンホールにもニンジン。
 
 島全体は10mほどの丘なのだが、海岸に急崖を下っていき、波打ちぎわにも近いところに「ホートゥガー」という井戸がある。

 下左   「ホートゥガー」。波打ち際に近いが、真水だという。

 下右   井戸の付近から見た海もとてもきれいだ。
 
 
 
 にんじん展望台。ちょっと色あせてしまっている。

 展望台があるのは島の最高地点で標高40mほど。後の白いのは灯台。

 展望台の中にあるコンクリート製ベンチもニンジンの形をしている。
 
 展望台から本島を望む。

 このあと向かうトゥマイ浜が見え、その向うの島は前日に行った浜比嘉島と平安名島。この写真ではよくわからないが、海中道路も見え、左端の白い建物があるのが本島の屋慶名。
 
 トゥマイ浜。きれいなビーチなのだが、軽石が打ち上げられている。
 
 ニンジン畑が広がる。
 
 道路わきに「赤犬子生誕の地」という案内板があり、”犬の子?”って思って矢印の示す方向に向かった。

 なんと2021年3月に出来たばかりの碑があった。三線(さんしん)の始祖といわれるのが赤犬子(あかいんこ)だと知った。
 碑のそばにある「シヌクガマ」。ここで赤犬子が生まれたと言われる。
 
 島の北端まで歩いた。目の前に無人島が見える。
 ニンジン畑を見ながら港に向かった。
 
 集落に戻ってきて「愛の一族」の案内の標識があったので行ってみると碑があった。
 そばには小さな公園があった。説明の看板を見ると「愛の一族ガーデン」という名がついている。

 戦前はここは尋常小学校がり、戦後、小学校が移転。その跡地を分割して民家になったが、その主の1人は、本島に移住後に亡くなり、家族がかつての家屋を公園にして、誰でも利用できるようにしたとのこと。、

 
 12時発のフェリーで戻る。

 6qほど歩き、見学時間を入れて2時間30分ほどで島を見て回った。

 沖縄旅行を終えて思い出すと、本島周辺の離島の中でも、津堅島が一番地味で観光とは縁遠い島だったなと思った。
 12時30分に平敷屋港着。往路では写真を撮る時間もなかった港のターミナル。

 下左   港からバス停まで25分かけて歩いた。今度は上り道。

 下右   那覇行きのバスに乗車。
 
 
 
 
 上左   10分ほど乗って、西原で下車。

 上右   これから勝連城に向かう。少し歩くと城が見てきた。

 左   勝連城は12年ぶりの訪問。以前は無料だったが、いまは有料。少し前に展示施設の「あまわりパーク」ができて、2021年中はその記念で特別に無料となっていた。
 
 この城は琉球王朝によってつくられたのではなく、琉球王朝と対立し滅ぼされた阿麻和利の居城だった。

 城壁の下まで上がった。ここまでは緩やかな上りだったが、ここから急になる。
 
 敷石の坂道は急で上がりにくいが、横に木の階段があるので、上りやすい。

 ごく短い区間だけ、急な石の坂道を上がったが、大変だった。
 上がったところは、三の曲輪、さらに二の曲輪、一の曲輪と、短い階段を上がる。

 写真は一番上の一の曲輪。元は岩山だったのを削って平地にしたようだ。

 下   海中道路や平安座島の石油備蓄基地が良く見えた。
 
 あわまりパークを見学。こちらも2021年内は無料。

 下左   展示の中心はCGによる映像だった。

 下右   「勝連城跡前」バス停を通る那覇行きのバスに乗車。
 
 
 上左   胡屋で下車。ゲート通りをぶらぶら歩く、米兵相手の店が並び、異国の雰囲気があるが、シャッターを下ろしている店が多い。

 上右   上間てんぷら店。沖縄市を中心に何か所かの店を構える天ぷら屋のゴヤ市場店。

 左   さかな、いか、やさいを買って、歩道のベンチに座っていただいた。
 ムーチ。笹の葉で包んだ餅。砂糖なしとありがあったので、なしを選んだ。冷えていたが、柔らかかった。

 昼食は食べる間がなかったのだが、このとき、すでに15時30分を回っていたので、夕食はあまり食べられないだろうな。
 
 HISTREET(沖縄市戦後文化展示館)。

 米国統治下の沖縄についての展示がメインのミュージアム。とても充実していて、1時間ほど滞在した。写真撮影は禁止だった。
 
 嘉手納基地のゲート。ここから向こうは基地だ。出入りする車はとても多い。
 
 ゲート通り。基地のゲートから始まる道なので、ゲート通りと呼ばれる。

 英語の看板の店が3分の1くらいあるのと、ドル払いOKの店が多いのが特徴。
 
 コザ・ミュージックタウン。

 胡屋の交差点にあり、胡屋で一番目立つ建物。ホール、スタジオ、楽器店などが入っているが、行ったときは休業中が多く閑散としていた。

 ここの歴史を紹介するコーナーがあった。行く前は沖縄出身の歌手の応援するような施設かと思っていたが、そうではなく、沖縄の伝統芸能の「エイサー」の拠点になっている施設だとわかった。
 
 アーケード街を歩いたが、ほとんどの店のシャッターが下りていて、休業か廃業したようだ。
 
 コザ小学校。

 市の名前は、コザ市から沖縄市になったが、コザの名は小学校名をはじめ、バス停や市場の名とかいろいろなところに残されている。
 
 夕食は店を求めて歩きまわった末、「八条坊」へ。

 下左   店内。

 下右   飲物はオリオン生の瓶ビール。
 
 
 
 ぎょうさ。ちょっと焼きすぎだなぁ。
 
 骨汁。

 出汁に使った豚骨をぶつ切りにしたもの。この店はラーメン店だから、ラーメンの出汁ガラを食べるようなものだ。沖縄そばの店でも豚骨を使う場合は出しているが、普通の沖縄料理店ではあまり見かけない。

 コンビニで飲物や翌日の朝食を買い、コザバス停ままでバスで戻り、宿へ。
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