11    伊 是 名 島

 

 この日は伊是名島へ移動し2泊する予定だ。

 朝食は、カレーもあったのでいただいてみた。
 おかず類もしっかりいただいた。バスの時刻の関係で、コーヒー、デザートはパス。

 休む間もなく、チェックアウト。
 
 
 上左   伊是名島へ向かうフェリーが出発する運天港へ行くため、やんばる急行バスの運天港に乗車。

 やんばる急行バスは名護バスターミナルの外の路上にバス停がある。前日行った居酒屋の近くにあるバス停に向かった。

 上右   やってきたやんばる急行バス運天港行き。

 左   車内。十数人乗車。
 
 運天港に到着。

 乗客は本部港、海洋公園前、今帰仁村内のバス停などで少しづつ下車していき、運天港まで乗ったのは自分の他には1人だけ。
 
 運天港のターミナル。

 伊是名、伊平屋の2島訪問の旅程は、すでに2度、変更している。

 最初は、伊平屋2泊、海上タクシーで伊是名に移動して2泊の予定だった。

 海上タクシー業者は不便な港を使う業者が多いのだが、フェリーと同じ港を使う業者で予約しようと電話をしたのだが、何と軽石のため、当分の間運休だとのこと。

 それで、フェリーで伊平屋、運天、伊是名と移動しようとしたら、ダイヤの関係で、遅れると乗継げない可能性があった。それで、先に伊是名2泊して伊平屋2泊にした。

 ところが、今度は強風でダイヤの変更があり、乗り継げない日があったのだ。それで、この時点では、伊是名2泊、いったん名護に戻り1泊、伊平屋2泊の旅程にしていた。変更のたびに宿も予約しなおした。

 このときは、また変更があるとは思いもよらなかった。
 
 伊是名行きの切符売場。

 下   伊是名行きの往復乗船券。
 
 
 10時30分発伊是名行きのフェリー。
 
 雑魚寝部屋には少し客があったが、合わせて十数人の乗船。

 
 船は大揺れに大揺れ。沈没するんじゃないかと心配するくらい怖かった。陸上がそれほど天気が悪くなかったので意外だった。

 伊是名島が近付いてきて、一番前の席から島を撮ろうとしたら波しぶきがバシャッ。
 
 島が近づいてきた。島の近くでも波は大きい。
 
 伊是名島到着。定刻よりも10分ほど遅れた。海が荒れていたためだろう。

 手をあげている人の絵が描かれている。琉球王朝の尚円王である。尚円は伊是名の出身で、本島に渡って仕官して、次第に昇進し、最後は、クーデターで王位を奪ったとされる。
 
 2泊する「なか川館」の送迎車に乗車。
 
 3分ほどで「なか川館」に到着。

 港から1kmほど内陸に行ったところで、すぐそばに伊是名村役場や伊是名小、中学校がある島の中心だ。(離島では小学校と中学校が併設されているのが一般的だが、ここは珍しく別個にあった。)
 
 部屋へ。電話での予約時に洋室か和室か選べたので洋室を希望しておいた。ベッドは2つあったが、一方だけ布団が敷いてあった。
 
 窓側から入口側を見る。

 下左   お茶請けも置いてあった。

 下右   窓からの風景。右上は村役場。
 
 
 宿のすぐそばにある「かみやま」で昼食。昼食だけの営業だ。
 
 店内。

 下   かみやま定食、

 かみやまそば(三枚肉、ソーキ、テビチが入った沖縄そば)とじゅうしぃのセット。

 宿の近くに食堂があってよかった。しかも美味しかったし。
 
 
 宿のあるエリアは島の中でも高くなったところで、港や海岸がよく見える。

 この日の午後は島の南の方を周遊する。翌日は1日かけて島の北の方の予定だった。
 
 伊是名村役場。

 下   伊是名小学校。改築工事をしていた。
 
 
 農協スーパーで飲物を買って歩きに出る。

 下左   伊是名郵便局。

 下右   伊是名中学校。

 中学の近くに、ふれあい民俗館があり、行ってみたが休館日ではないが、休館だった。 
 
 尚円王の親族の家系の家である銘苅家の住居へ。屋敷森の中にありそうだ。
 
 銘苅家。明治の建築だが戦災にも合わずきれいに残っていた。

 この家の他にも、この伊是名集落には赤屋根の民家が他にも残っていて、沖縄らしい雰囲気だ。
 
 伊平屋島番所跡。

 なぜ、伊是名なのに伊平屋なのかってことだが、尚円王のときから、伊是名と伊平屋は1つのものとして支配されてきて、伊平屋の番所がここにあるのだ。

 一般的には、番所は警備のための詰所だが、琉球王国では支配のための役所であった。
 
 琉球王国が沖縄県となったあとも、伊是名と伊平屋は一体で、昭和6年までここに伊平屋村役場があったという。

 別に調べたところ、伊是名村と伊平屋村が分離したのは昭和14年という記録もあり、昭和6年から14年の役場がどこにあったのか気になる。
 
 同じエリアの一角には、かつての伊是名小学校もここにあったという碑もある。
 
 漁港。
 島の南の海岸を東へ。

 陸(アギ)ギタラ。”ギタラ”とは切り立つ岩、ということ。
 
 陸ギタラの麓に慰霊碑があった。大戦時の戦死者の慰霊碑だった。
 海ギタラ。
 海岸沿いに伊是名城跡に行こうとしたら、工事中で通行できなかった。遠回りすることにした。
 海岸沿いの道の代わりに丘の中腹を通るサムレー道を歩いた。

 琉球王国時代に造られた石畳の道。銘苅家や番所のある伊是名集落から伊是名城を結ぶ道だった。
 
 平らなところは、まだマシなのだが、坂を下るところなどは歩きにくかった。
 伊是名城跡のある丘。伊是名島は台地が広がっているが、南東の端にこの山がある。
 玉御殿(たまうどぅん)。

 尚円王の親族の墓。以前は中に入れたようだが、現在は遥拝だけになっている。
 
 伊是名城跡への道はあるのかないのかもよくわかからなかった。

 島の南部の周遊は終了。
 
 宿に戻り、2時間ほど休憩し、夕食時間になり食堂へ。

 「なか川館」の向かいに民宿「いずみ荘」があり、「いずみ荘」の客も夕食はここでとる。逆に、朝食は「なか川館」の客が「いずみ荘」に行く。

 食事が始まり、2つの宿の客の多数派は工事関係者であることがわかった。
 
 夕食。

 下左   オリオン瓶ビール。

 下右   あとで出されたうどんとデザート。

 部屋に戻り、前夜の泡盛の残りを飲んだりした。
 
 
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