12    伊 平 屋 島 へ

 

 この日は計画では伊是名島の北部を歩くつもりだった。

 朝食は向かいの「いずみ荘」でとる。「なか川館」は旅館でこちらは民宿となっているが、食事は共通。一体の運営になっているようだ。

 朝食。

 よくある簡素な朝食だが、ゴーヤチャンプル、ポークがあり、みそ汁は具だくさんで沖縄らしい朝食だ。

 下左   コーヒーとデザート。

 下右   「いずみ館」の食堂。
 
 
 8時前、村の放送がスピーカーから流れ出した。”臨時放送を申し上げます。”で始ったので、窓を開けてしっかり聞いた。

 TVドラマで、太平洋戦争の開始時に”臨時ニュースを申し上げます。”で始まる発表を何度も聞いているので、それを思い出した。

 内容は、船の運行についてで、海上の強風のため、この日の1便は運航するが、2便は欠航の可能性があるというものだった。

 この日も伊是名泊りなので、2便が欠航になっても困らないが、心配なのは翌日どうなるかだ。もし翌日、2便とも欠航なら旅程がくるってくる。島歩きは、有名な観光拠点は南にあって、前日に行っていることもあり、1便で島を出ることにした。

 すぐに、フロントに連絡して、この日の泊まりをキャンセルして、8時30分に港へ送迎してほしいと申し出た。そして、荷物を整理を急ぎ、港に送ってもらった。
 
 乗船券売場。放送を聞いてやってきたと話している地元客もいた。

 この日の宿だが、運天港で伊平屋行きのフェリーに乗り継いで伊平屋で泊まろうと思う。伊平屋はこの日の2日跡から2泊の予約をしているが、それを早めてこの日からにしてもらおうと思う。

 伊平屋行きのフェリーも、この時点でのネット情報では1便は運航、2便は未定になっていた。それでも、運天港まで運航したあと、天候急変で伊平屋に行けないという場合が心配で、運天港に着いてから宿に電話するつもりだ。

 もし、伊平屋に行けない場合や、伊平屋の宿にこの日は満室と言われた場合は、この日は名護に泊まろうと思った。翌日も名護の泊まりの予約をしているので、名護で2泊してから、予定通りに伊平屋に向かおう。
 
 尚円王のポスターがあった。宿からほど遠くない場所にこの像はある。残念ながら見ることはできなかった。
 
 9時発のフェリーに乗船。

 下左   船のロビーにあがかれていた尚円王のキャラクター。このキャラクターは島のいたるところで使われていた。「はいさい」は”こんにちは”。

 下右   船室。前日と同じくすいていた。揺れは前日と同じくひどかった。
 
 
 
 運天港に戻った。この日も10分ほど遅延。

 すぐに、伊平屋行きのフェリーが通常通りの運航か確認した。1便は予定通り、11時の出発。

 これを確認してから、伊平屋の宿にこの日から泊まりたいと電話。OKだった。

 そして次に名護の宿のネット予約で、明日をキャンセルして、明後日から2泊を追加して、以前から予約していた2泊と合わせて4連泊にした。
 
 
 上   宿の予約がスムーズに行ったので、伊平屋への往復乗船券を購入。

 左   伊平屋からの船が10分ほど遅れて入港。しばらくしてから乗船。
 
 船室内。

 この船も揺れに揺れた。怖かったけれども、運航を決めたってことは安全だからということだろうと納得する。

 下   出港直後に古宇利大橋が見えた。後日、この橋は歩いて渡るのだが、何だか怖そう。
 
 
 伊平屋に到着。15分ほどの遅れだった。

 下左   下船。

 下右   港のターミナル。送迎がきているかと思っていたが、きていなかった。頼んでおく必要があるのであろう。歩いて10分ほどなので、歩いていくことにした。
 
 
 
 「ホテルにしえ」に到着。

 
 
 泊まった部屋。
 窓側から入口側を見る。

 休む間なしに、荷物をおいてすぐに外出。村営バスは間もなくやってくるから。
 宿の向かいに「まえどまりスーパー」がある。写真のすぐ左にバス停があり、数少ないバスに乗車するので、その前に弁当を買っておいた。
 
 童話柄の村営バスに乗車。運賃は100円。

 このバスは、伊平屋島の南側の野甫島の「世界の塩博物館」と伊平屋島の北部の「田名トーロー」を結んでいる。このバス停は公民館前で、路線の中間にある。

 公民館前発は13時3分、野甫島には13時33分着。

 向かいの建物は泊まっている宿。
 
 
 上左   下車したバス。

 上右   バス停。

 左   世界の塩博物館。私設の博物館のようだ。この日は日曜で、日曜は午前のみの開館で入れなかった。
 
 博物館の横に休憩所があり、ここで先ほど買った弁当を食べていく。
 
 弁当。おかずがご飯の上に乗っている沖縄風の弁当だ。

 ご飯の上におかずをおく弁当は、沖縄では当たり前だったが、コンビニ弁当やほっかほっか弁当の影響だろうか、最近では、ローカルな市場や離島でないと見かけなくなってきている。
 
 バスに8q乗ってきたが、やってきた道を歩いて引き返す。

 すぐに野甫小中学校があった。
 
 ハンタ毛節の石碑。

 ハンタ毛とは、この付近の景勝の地をさす。
 
 ハンタ毛からの眺め。手前の無人島の向こう側に伊是名島がある。
 
 野甫大橋を渡り、伊平屋島へ。橋は300mほど。
 
 野甫大橋の上から伊平屋島を見る。伊是名島の見える側とは逆の側。

 海はとてもきれいなのだが、曇っていたこともあり、写真にするとそれほどでもないのだが。
 
 橋を渡ったところにあった「いへや愛ランドよねざき」。キャンプ場のようなものだろうか。人の気配はなし。
 
 道路わきに倒れていた「北緯27度線」の標識。

 北緯27度線は沖縄本島と与論島の間の旧国境であったが、伊平屋島には陸上に27度線が通っている。
 
 倒れていた標識を拡大。

 下   北緯27度線付近から見た野甫大橋。
 
 神アシアゲ。

 祭りのとき、神がノロ(祝女)に乗りうつる場。茅葺の低い屋根の建物。

 下左   屋蔵墓。

 琉球王家の尚氏の先祖の屋蔵大王の墓。洞窟を使った簡素な墓。

 下右   近年つくられた新しい墓。
 
 神アシアゲ。

 先ほど見たのと同じなのだが、別の集落にあるもの。

 下左   伊平屋中学校。

 下右   伊平屋小学校。
 
 伊平屋村役場。
 虎頭岩(とらずいわ)。村役場の後方にある。
 
 第2次大戦米軍上陸地モニュメント。

 港から坂を上がったところにある。伊平屋島の上陸は6月3日で、3月下旬の慶良間諸島や4月1日の本島、4月中旬の伊江島よりかなり遅く、南部の最後の戦闘がおこなわれていた時期なので、かなり遅かったのだなと思った。

 上陸時の戦闘で40名余が戦死と銘文に書かれている。
 
 宿の前のスーパーで飲物などを買い、17時すぎに宿に戻り、1時間ほど休憩。

 18時より食堂で夕食。

 下   夕食。

 なかなかいい食事だった。刺身の白いのはイラブチャー。
 
 
 飲物は持ち込み自由だった。逆にいうと、飲物がほしい場合は、外の店か宿の自販機で買ってくださいという仕組みだった。

 部屋で飲むつもりで買って、共用の冷蔵庫に入れておいたビールを取りに行き、飲んだ。
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