22 粟 国 島 |
朝食は宿から近い「ハイウェイ食堂」へ。 |
店内。 |
トーフチャンプル。 この店は、前日に行った「いちぎん食堂」と同一の経営のようで、メニューもほぼ同じ。”〇〇”でご飯などつき、”〇〇定食”でさらにおかずがつくという点も同じ。 |
9時に宿を出て、隣のとまりんへ。切符を買う。右側の売場が粟国行き。 下 乗船券。 |
上 すぐに乗船できるということで、昼食用の弁当を買ってから乗船。 左 船室。 9時55分出発。 下 粟国島が見えてきた。全体的に崖の上の丘陵地が広がる島だとわかる。 |
上 粟国港。12時55分着。 左 入港の直前、この日の宿である「いさ」が海上から見えた。おかげで間違えなく宿まで行けそうだ。 入港後、宿へ行き、荷物を預けて、すぐに島内めぐりに出発。 下 宿の前から乗ってきた船がよく見えた。 |
上左 港から宿に向かう途中にあった「浜コミュニティ」バス停からコミュニティバスに乗車する。 上右 バスは「アニー号」。派手な塗装なのでとても目立っている。 バスは1日4本だが、たまたまいい時間にあったので利用できた。運賃は100円。 左 「西コミュニティ」で下車。”コミュニティ”は公民館のことのようだ。 |
たまたまだが、西コミュニティのそばに小さな公園があっで弁当を食べる。 |
ゴーヤチャンプル弁当。冷えたゴーヤチャンプルもまあまあ美味しい。暖かい方がいいけど。 食後は、粟国島の西部を歩いて回る。 |
大正池。 大正天皇即位を記念してつくられた池。 |
シマイ御嶽のイタジイの巨木。なんだかよくわからないが、珍しい木のようだ。 下左 琉球王国時代の遠見台。ここで烽火をあげ、渡名喜島、渡嘉敷島を経て本島に連絡をしたらしい。 下右 遠見台の付近は粟国島で一番標高が高く90m程度ある。 |
奥浜牛という漁師を紹介する説明版があった。 日露戦争のさい、バルチック艦隊を最初に発見した日本人だそうだ。遠見台のすぐそばに案内板があり、てっきり、この付近で見つけたのかと思いきや,沖で漁をしていて見つけたということだ。この場所に説明版を設置するのはふさわしいのかと思ったが、説明板がなければ、バルチック艦隊発見のことも知ることができなかったわけで、紹介にためには、この場所もふさわしいのかなと思った。 |
上 海が見えるところにやってきた。渡名喜島が見える。 左 島の西端の筆ん崎からマハナ展望台を見る。 |
筆ん崎からの眺め。 |
ヤヒジャ海岸へ通りていく階段。数十mの崖が続くので、その上から下りる。 下 ヤヒジャ海岸。 凝灰岩の白い崖が続いている。日本では白い崖は珍しいとのこと。この海岸でも軽石がたくさんやってきている。 |
海岸には赤い岩石も目立つ。溶岩によって焼けた凝灰岩とのこと。 見た後は、下りてきた階段を上がった。 |
上左 しばらく崖の上を歩いて、再び階段を下る.。 上右 岩に縦に細長い割れ目があるヤマトゥガー。 左 割れ目を通って、やってきた側をを見る。 |
通った先には白い凝灰岩の崖が続いていた。 |
階段を上がり、集落内を歩いて、宿へ戻る。 道の両側に珊瑚礁が変化してできた石による石垣が続く。 |
宮小(ミャーグァー、ヌルドゥンチ)という拝所。 ヌルドゥンチはその地域の祭事の中心になる拝所で、粟国島ではここが信仰の中心で、催事はここで行われる。 |
サキダカー(防火水槽)という拝所。 この地下が防火水槽になっているのだった。 |
JAおきなわ粟国支店。ここで飲物を買った。 |
那覇警察署粟国駐在所。 |
粟国郵便局。 |
粟国小中学校。 |
小中学校の前には島で唯一の信号。建物は粟国村役場。 |
沖縄電力粟国発電所。 |
宿に戻り、預けていた荷物を受け取って部屋へ。 |
窓側から入口側を撮影。 明り取り窓の色で青、赤の光が入っている。 |
食堂。 |
夕食。 |
飲物は持ち込み可。一番絞りのデザインは首里城。 |
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