24 渡 名 喜 島 |
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![]() 昼食の弁当を買っておく。「マーミヤかまぼこ」という店だが、本店は石垣島にある。そのためか、この店の弁当は沖縄風にご飯に上におかずを置いた弁当が多い。 下 店頭にテーブルを出して、並べてある弁当。 |
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![]() 多くの島では村営の船が運航されているが、渡名喜島行きは民営で、久米島行きの船が渡名喜島に立寄る形で運航されている。 1隻が島と那覇を往復する形ではない関係で、通常、渡名喜島を日帰りで往復できないダイヤになっている。 |
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![]() 下船時に切符の半券が回収された。今回の旅行では初めて。民営の船では割と多い仕組みだが、この船も民営であることと関係しているのかな。 |
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![]() 下左 島の民家の多くはトイレ、風呂が別棟になっている。この宿も、トイレ、シャワールームが別棟になっていた。 下右 勝手口から中に入ったところ。 |
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![]() 下左、下右 同じ部屋を別の方向から撮影。 |
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![]() ご飯が見えないが、下半分はご飯の上におかずが置かれている。典型的な沖縄風の弁当。 |
![]() 道は舗装されているのだが、その上に白い砂がたまって、一見すると、集落内の道が舗装されていないように感じる。 |
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![]() 沖合に見える島は沖合4kmにある入砂島で、全体が米軍射爆撃場で立入禁止。 |
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![]() 琉球王国時代はここで烽火をあげて、座間味島に知らせたという。 |
![]() 上部の集落から出発して西海岸を歩いて、赤字の展望台にやってきた。 このあと東海岸に下りて集落に戻る。東海岸に下りる途中、南に向かう遊歩道も歩く。ヲモ岳は東端近く。 |
![]() 下 北を見ると、前々日に行った粟国島が見える。 |
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![]() 手前に見えるのが座間味島。遠くに見えるのは、左から真中にかけては渡嘉敷島で、右のほうは阿嘉島。 左 島の東側に向けて下っていく。海がとてもきれいだ。白っぽいところがさんご礁。 |
![]() 大本田岳に上がる道は森の中で視界が聞かなかったが、大本田岳からの下りは一転して、木が少ないため視界が開けて、海がきれいに見えて気持ちいい。 |
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![]() 上右 南側の島が良く見える一帯に下っていく。先端は3つの木道に別れていた。 左 元の道に戻った。渡名喜島の集落の北側の山が目の前に見える。集落はその焼かの左側の麓のあたりにある。 |
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![]() 上右 展望台。 左 展望台からの眺め。山の一番高いところが大本田岳。 右下が渡名喜島の集落だが、フクギの木が多いために森のように見える。住宅がほとんど見えなくなっている。 |
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![]() 上右 この石がンチャブイらしいけど、何のことやら。説明がないので不明。 渡名喜島ではシマノーシという祭祀があり、そこでは女性はンチャブイという草の冠をかぶると書いてあるブログがあったので、祭祀の行事がこの石の前で行われるんだろうって想像できるが。 左 里御嶽(さとうたき)に到着。周囲は視界が悪かった。 |
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![]() 上右 最初のうちは順調に歩いた。 左 次第に道に雑草が多くなってきて、ついにこの写真のところで進むのを断念した。ここは階段なのだが、階段が隠れて見えなくなっていて、危ないし、ハブも怖いし、ここで引き返した。 |
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![]() 駐在所も赤瓦で、屋号は「ジュンサヌヤー」。 |
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![]() 5時間動き回った。夕食まで1時間ほど休憩。 |
![]() 右下にあるのは、かつての豚小屋兼便所の跡のようだ。 |
![]() 主な道には、フットライトで明かりが灯されていて、とてもきれいだ。 |
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![]() ほかで食事ができないし、ありがたくいただく。 |
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