24 渡 名 喜 島 |
朝食は宿からも近い「ハイウェイ食堂」へ。 |
イカ野菜炒め。 |
宿に戻り、しばらくしてチェックアウト。宿の隣のとまりんへ。 昼食の弁当を買っておく。「マーミヤかまぼこ」という店だが、本店は石垣島にある。そのためか、この店の弁当は沖縄風にご飯に上におかずを置いた弁当が多い。 下 店頭にテーブルを出して、並べてある弁当。 |
右側の窓口が、久米島・渡名喜島行きの切符売場。 多くの島では村営の船が運航されているが、渡名喜島行きは民営で、久米島行きの船が渡名喜島に立寄る形で運航されている。 1隻が島と那覇を往復する形ではない関係で、通常、渡名喜島を日帰りで往復できないダイヤになっている。 |
切符。往路券と復路券が別々の神であったのが他の島の場合と違っていた。 |
乗船。久米島行きで渡名喜島に立寄る。9時発。 |
船室内。 |
きれいな海の向こうには座間味島が見える。 |
渡名喜島が近付いてきた。 |
島の最高に近い場所に展望台が見えた。これからここに行くのだと思うと、大変だなって気持ちになった。 |
渡名喜港に到着。10時55分着。 下船時に切符の半券が回収された。今回の旅行では初めて。民営の船では割と多い仕組みだが、この船も民営であることと関係しているのかな。 |
送迎車で宿へ向かった。 |
民宿「赤瓦の家 ふくぎ屋」を予約しているが、ここは集落内に6軒の古民家があり、そのどこかに泊まるというものだった。屋号は「ハークヤ―小(グァー)」。 |
出入りは、左側にある勝手口からする。 下左 島の民家の多くはトイレ、風呂が別棟になっている。この宿も、トイレ、シャワールームが別棟になっていた。 下右 勝手口から中に入ったところ。 |
寝室であった部屋。 下左、下右 同じ部屋を別の方向から撮影。 |
昼少し前だったが、弁当を食べてから島内めぐりに出かけることにした。 ご飯が見えないが、下半分はご飯の上におかずが置かれている。典型的な沖縄風の弁当。 |
集落内の家1軒1軒にふくぎの木が植えられていて、集落内の道を歩くのは、ふくぎの森の中を歩くような感じだ。 道は舗装されているのだが、その上に白い砂がたまって、一見すると、集落内の道が舗装されていないように感じる。 |
集落外に出た。 |
ヒータティ。烽火をあげる場所。 |
タカタ浜。水深が浅いことがわかるが、干潮時にはラグーンになるという。 沖合に見える島は沖合4kmにある入砂島で、全体が米軍射爆撃場で立入禁止。 |
ユブク浜。白砂のビーチ。 |
「神の宿る岩」といわれる岩。 |
ここから海岸を離れ、山に入っていく。長い上り道がはじまる。 |
30分ほど上がり続け、ようやく頂上の展望台が見えた。ここから階段で上がる。 |
大本田(うふんだ)展望台。大本田岳の頂上で165m。でも、島の最高所はヲモ岳178m。 琉球王国時代はここで烽火をあげて、座間味島に知らせたという。 |
案内板にあった地図を拝借。 上部の集落から出発して西海岸を歩いて、赤字の展望台にやってきた。 このあと東海岸に下りて集落に戻る。東海岸に下りる途中、南に向かう遊歩道も歩く。ヲモ岳は東端近く。 |
入砂島が見える。海の色が薄い部分は珊瑚礁がある。写真の下部の白いところが上り始めた付近。 下 北を見ると、前々日に行った粟国島が見える。 |
上 南を見ると慶良間諸島が見える。島が重なっているのがわかるだろうか。 手前に見えるのが座間味島。遠くに見えるのは、左から真中にかけては渡嘉敷島で、右のほうは阿嘉島。 左 島の東側に向けて下っていく。海がとてもきれいだ。白っぽいところがさんご礁。 |
さらに下っていくと展望台が見えてきた。 大本田岳に上がる道は森の中で視界が聞かなかったが、大本田岳からの下りは一転して、木が少ないため視界が開けて、海がきれいに見えて気持ちいい。 |
展望台からは粟国島が見えるのかと思えるのだが、道がカーブしていて、この付近からは慶良間諸島が見える。 |
上左 島尻毛への木道に入ってみた。 上右 南側の島が良く見える一帯に下っていく。先端は3つの木道に別れていた。 左 元の道に戻った。渡名喜島の集落の北側の山が目の前に見える。集落はその焼かの左側の麓のあたりにある。 |
東側の海岸であるアンジェーラ浜に下りた。ウミガメの産卵地であるらしい。 |
アハラー墓。昔の墓で、かつては渡名喜島と戦って戦死した渡嘉敷島の人たちの墓と言われていたが、渡名喜島民の墓であるとわかたっという。 |
アマンジャキ。崖下に石を積み上げた旧道。現在は立入禁止になっている。 |
アガリ浜。渡名喜島ではここだけが遊泳可能。このあと、写真に見える山のうち、左側のピークにある御嶽まで上がる。 |
上左 上ノ手(カンヌティ)展望台への上がり口。 上右 展望台。 左 展望台からの眺め。山の一番高いところが大本田岳。 右下が渡名喜島の集落だが、フクギの木が多いために森のように見える。住宅がほとんど見えなくなっている。 |
上左 ンチャブイって何だろう。 上右 この石がンチャブイらしいけど、何のことやら。説明がないので不明。 渡名喜島ではシマノーシという祭祀があり、そこでは女性はンチャブイという草の冠をかぶると書いてあるブログがあったので、祭祀の行事がこの石の前で行われるんだろうって想像できるが。 左 里御嶽(さとうたき)に到着。周囲は視界が悪かった。 |
上左 西森園地展望台・サカシ散策道へ向かう。 上右 最初のうちは順調に歩いた。 左 次第に道に雑草が多くなってきて、ついにこの写真のところで進むのを断念した。ここは階段なのだが、階段が隠れて見えなくなっていて、危ないし、ハブも怖いし、ここで引き返した。 |
集落内でフクギ並木の間を歩く。晴れているのだが、日陰になっている。 |
チキシ。50〜70kgの丸い石で、若者が夜にこの石を地面にたたきつけて悪魔よけにしていたという。昔は5つあったが、この1個だけが残っている。 |
カイヤ跡。首里王府から派遣されていた穀物を検収する役人の住居があったところ。 |
渡名喜島では、民家は周囲の道よりも低いところに家が建てられている。写真の家も階段を2段おりたところに家が建てられている。 |
渡名喜村役場。 |
渡名喜小中学校。 |
那覇警察署渡名喜駐在所。 駐在所も赤瓦で、屋号は「ジュンサヌヤー」。 |
渡名喜郵便局。 |
宿である古民家に戻ってきた。やはり道よりも低いところに建っている。 5時間動き回った。夕食まで1時間ほど休憩。 |
宿の裏庭。敷地のまわりは、フクギの木が取り囲んでいる。 右下にあるのは、かつての豚小屋兼便所の跡のようだ。 |
18時に夕食のために、食堂に向かう。 主な道には、フットライトで明かりが灯されていて、とてもきれいだ。 |
夕食会場の「ふくぎ食堂」に到着。 |
食堂内。6軒の古民家に泊まっている人が皆、ここで食事をする。1軒に2人で泊まっている人もいるようなので、そのことを考えると、3,4軒で客がある感じだ。自分以外の客は、服装などから工事関係者のようだ。 |
カレーだった。宿の食事でメニューが選べない場合でカレーというのは初めてかな。 ほかで食事ができないし、ありがたくいただく。 |
食後は、フットライトをたよりにして宿の古民家に戻った。 |
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