6 波 照 間 島
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![]() この日は8時発の船で波照間島に行く予定。朝食は6時30分からとれるので、40分ごろに会場へ行くと、同じような考えの人が多いようで、空席を探すのに苦労した。 |
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![]() 食後は少し休んで、7時35分に部屋を出て、離島ターミナルに向かう。 |
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![]() 行くことにしたが、切符購入のときに、2便だけが欠航の理由を尋ねた。1、3便は大きな船、2便は小さな船だという。なるほどそういうことか。 左 波照間往復を買い、すぐに乗船。 |
![]() 当時は、安栄とともに波照間海運が各3往復していた。やがて波照間海運が運航から撤退し、安栄のみ3往復になった。波照間海運の客も獲得した安栄は大型船を投入して、客の増加に対応したのだろう。 |
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![]() 16年前の訪問時は、港に着いた後、集落を経て島の南側に向かい、また戻ったので、空港方面には行ってない。今回は東の方も歩いてみることにした。 |
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![]() 石垣跡らしきものが残っているが、保存状況がよくなく、荒れている。 左の石碑には「ぶりぶち公園」と書かれ、ベンチが置かれている。 |
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![]() 水のあるところまで下りる階段があって、水をくんで上るようになっていた。 |
![]() 下 波照間空港のターミナル。ドアは閉まっていた。 |
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![]() この付近が、誰でも来れる範囲では、日本最南端なのだろう。 |
![]() 野生化したマンゴーだろうか。 |
![]() アカハチは八重山の豪族で琉球王朝に抵抗した人物。 |
![]() 右下の斜めのところが階段で、店がある2階に上がる。 |
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![]() 下左 とても大きなソーキが入っていた。 下右 あと口に自家製の黒糖がだされた。 |
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![]() コンビニのない島で買物をするには貴重な存在で、16年前には土産を買った。建物が新しくなっている。 |
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![]() 下 波照間小中学校。日本最南端の小中学校。 |
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![]() 地図で波照間島が赤く描かれているのがわかるだろうか。(ドアの左上あたり) |
![]() 琉球王朝時代の遠見台。船の監視をした。先島諸島の14島の19ヶ所が史跡になっていて、その1つ。 下 上に上ると、海を隔てて西表島が見える。緊急時には烽火をあげ、西表島などを経て情報が伝えられた。 |
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![]() 島の大部分は丘陵地にあり、外周道路をすぎてから、海岸に向かって坂道を下る。 |
![]() 珊瑚礁からできた岩石に根をはっている。 |
![]() きれいな海岸で、岬をぐるっと回るとニシ浜なのだが、海岸沿いに歩けるのかが不明だったので、いったん外周道路に戻った。 |
![]() こちらもきれいな海岸。 |
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![]() 16時20分発。1時間少々かかって石垣着17時30分。 |
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![]() 下左 泡盛「於茂登」(おもと)。於茂登岳は石垣島で一番高い山。 下右 製造所は石垣市の「高嶺酒造所」。 |
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![]() 下 刺身盛合せ。 ミーバイ、ウムナガー、セーイカ。 |
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![]() 上右 製造所は石垣市の「請福酒造」。 左 車エビ塩焼き。殻ごと食べられる。 |
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![]() 上右 製造所は石垣市の「池原酒造」。 左 島ラッキョウの天ぷら。一見するとエビの天ぷらに見えた。 |
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![]() 汁なしの八重山そば(沖縄そばとは違い、細い丸麺)にあっさりしたタレをかけていただく。 この食べ方は沖縄そばにはなく、石垣などの八重山そば特有のようだ。 |
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