8 竹 富 島
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朝食で、タコスをつくれると説明が書いてあったので、つくってみた。あとパン少々。でも、普通に和食にしたほうがよかった。 |
8時30分発の八重観で竹富島に向かう。 離島ターミナルで、出発まであまり時間がなかったので、出発案内も見ずに、往復を買って乗船。 島から戻ってきてから、案内板を見て、朝、見るべきだったと思ったのだが、あとに詳しく書く。 |
上 15分で竹富着。竹富島のターミナル。 左 ビジターセンターにあたる「ゆがふ館」。 竹富は2002年以来4回来ていて、5回目。4回とも港からバンで集落に直行し、「ゆがふ館」ははじめて。かつて、別の場所にビジターセンターがあり、そちらは行ったが。 |
でも3月下旬まで休館とのこと。残念。 |
フナヤーを復元したもの。 かつて船待ちをするために利用された小屋。寒いときに茅をとって燃やすことが認められていたという。中で休めるようになっている。 |
1qほど歩くと集落の入口であるスンマシャーがあった。 大きな木が石垣で取り囲まれたものが道の真中にある。病魔や凶事が進入するのを防ぐために設けられた。 |
赤瓦、珊瑚礁起源の岩石の石垣、目隠しになる塀と特徴のある民家が並ぶ。 |
屋根にはシーサーがある。 |
竹富郵便局。屋根は黒くなってきているが赤瓦でシーサーがある。 |
放送台。 村内放送のスピーカーが取り付けられている。たいていは電信柱などに取り付けられているが、ここは珊瑚礁起原の岩石で土台が作られている。 |
旧与那国家住宅。 典型的な沖縄伝統家屋で重要文化財になっている。 |
内部も公開されているのだが、開館時間になっていなかったようで外から見ただけ。 |
竹富小中学校。 校舎は赤瓦で、校舎全体が赤瓦に似た色で塗られている。 運動場が芝生の学校はよくあるが、ここは敷地内の全体が芝生だ。 |
上左 「酒造所跡」。今は竹富島には泡盛をつくる酒造所はないけれども、昔はあったのだ。 上右 「水道記念碑」。竹富島には川がなく水は井戸に頼っていた。石垣島から海底水道管が開通した記念碑。昭和51年ということで、かなり新しくびっくりした。 左 仲筋井戸。「水道記念碑」が前にあることから考えて、重要な井戸だったと思われる。 |
仲筋井戸のそばに「ナージカー」バス停があり、仲筋井戸をナージカーというと知った。後に井戸がある。 竹富島のバスは島に来るたびに使っていた。でも時刻表がなかったのだ。予約が必要なのだが、どこに何時とかいう予約の仕方だったのだ。いつの間にか時刻表ができていた。 下左 バス停そばから上る丘がある。「ンブフル」という丘の上には展望台があった。 下右 でも入れなかった。「工事中」と書いてあるけど、ずっと入れなくなっているんだろうな。 |
西海岸に向かって歩いた。ビーチの駐車場そばに「蔵元跡」があった。 何も残っていないが、役所の跡だという。琉球王国時代、ここが八重山全体を統治する根拠地になった。竹富島は、面積も人口も大きいわけじゃないのに「竹富町」という町名になっているのはこの役所が理由だろう。 |
カイジ浜。 水は透き通っていてきれいだ。島が見えるが、少し高いところがあるので小浜島かな。 別名、星砂の浜なのだが、星砂はみつけられなかった。 |
次のビーチに向かうため外周道路を歩いていたら、ハイビスカスの群落があった。 |
コンドイビーチ。 浅い海が遠くまで続くのが海岸からよくわかる。ここも星砂があるらしく、探している人がいる。遠くの島はかなり大きいので西表島かな。 |
西桟橋。 きれいな海に向けて桟橋が延びている景色は印象的なのだが工事中だった。 |
3月31日までは工事期間で中には入れず。 |
上 かつてのビジターセンター。ここはいったことがある。今は「竹富高齢者ゆくい処」で、高齢者のディサービス事業などをしているようだ。 左 西のスンマシャー。ここから集落に入る。 |
昼食は、過去2回入ったことがある「竹の子」に行くつもりをしてたが、この日は休み。 なごみの塔の近くの「しだめー館」へ。 |
店内。開いている店が少ないためかかなり混んでいた。観光客だけでなく、地元民や工事関係者もやってきていた。 |
竹富そば。 八重山そばもあって、どう違うか聞いてから注文した。 下左、下右 ブルーシールの塩ちんすこう味をいただいた。 |
なごみの塔へ。 |
竹富島に行くたびに、なごみの塔に上ってきたので、今回も上るつもりだった。 塔は改装されきれいになっていたが、階段の上り口は閉鎖されていて上れなかった。 塔を上ると海まで見えるのだが、塔の下からだと海まで見渡せない。 |
塔の近くの民宿兼食堂(営業していなかったようだ)の屋上が開放されて「あかやま展望台」と案内されていたので、行ってみることにした。 |
「あかやま展望台」はなごみの塔の上よりは低いが、塔の下の部分よりは高い。 なごみの塔を見る。 |
なごみの塔の下の部分からは見えなかった海まで見えた。 |
港へ行き、14時50分発の船で石垣に戻る。 離島ターミナルの案内を見た。この日は、全便運航されていた。西表上原、鳩間、そして波照間の全便も。 この日に西表上原に行けば良かったと思った。でもあとのまつり。明日は西表のつもりだが、上原便が運航されること期待しよう。 |
石垣街歩き。もともと与那国から着いた日にするつもりだったが、黒島に行ったのでできす。 この日の夕食を「ペンギン食堂」で久しぶりにとろうと、様子を見に行くと、コロナ禍での休業が続いていた。 次に「石垣島冷菓」へ。 |
ぜんざいをいただく。 この店で食べるのは3回か4回目だが、今回はコロナ対策で店内では食べられず、店の前にある小学校用のような椅子にすわっていただく。 |
沖縄でぜんざいといえば、あん入りのかき氷のこと。 小豆のあんのほかに団子と金時豆も入っていた。 |
2002年に石垣で泊った宿。最近は宿を探しをしても出てこないので、どうなっているのかなと見に行った。賃貸マンションになっていた。 |
玄関上の表示を見ると「ビジネスホテル」という部分が取り除かれたことがわかる。 |
宿へ戻ると16時30分。無料のオリオンビールを飲んで2時間ほど休憩。 2晩、居酒屋が続いたので、この日はアルコールは避けようと、A&Wへ。 |
店内。 海外はのぞいて、日本にいると普段はハンバーガー店はあまり行かないし、行ってもお持ち帰りにするので、店内で食べるのは久しぶりだ。 A&Wは、国内では沖縄だけで展開している。米国統治下で始り、そのまま続いているのだろう。 |
A&Wバーガー。 下左 フロート。 この日は水曜で、水曜はフロートがルートビアRサイズと同額というので、フロートにした。 下右 フロートでも、ルートビアのお代わりができるということで、ルートビアをお代わりした。 |
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