3   塩 田 と 温 泉 を 楽 し む

 

 旅の3日目、ペルーでの2日目がはじまった。こちらの6時は、日本の20時。ということは、日本時間で考えると、ほとんど旅の3日目が終わりだ。まだほとんど観光できていないというのに。あまりにも大きな時差のため、勘がくるってしまう。

 7時に迎えの車がやってくるので、朝食は6時と頼んでおいた。経験上6時といっていても、6時に食事がはじめられることは少ない。だが、このホテルでは6時ちょうどに朝食の準備ができたと知らせにきてくれた。 パン、ジャム、バターに飲み物という簡単な食事。飲み物は迷わずコカ茶にする。自分でコカの葉を好きなだけカップに入れて湯を注ぐ。

 食後しばらく待つと、7時前に、ナオツールの人がやってきた。前日に空港からの送迎に来てくれた人と同じだ。ホテルのバウチャー、列車やマチュピチュのチケットなどを受け取り出発。英語のわかるこの人はチケット類を渡しにきただけで別れ、きょうはドライバーと行動をともにする。

 この日は車のチャーターを頼んでおいたのでタクシー利用かと思っていたが、ナオツールの車で、ドライバーも前日の送迎のときのドライバーだ。前日にすでに顔見知りなので、安心感をもって車を利用できた。ただ、ドライバーは英語がまったくわからないので、必要なときにはジェスチャーで意思を伝えることになった。

 車チャーターを頼んだのは、一般の現地ツアーでは行かないサリネーラス(塩田)とモライ遺跡にも行きたいからだ。ほかに、ツアーでも行くオリャンタイタンボ遺跡、チンチェーロの市場と遺跡にも行く。なお、ツアーではピサックの市場と遺跡にも行くが、こちらは日を改めて、路線バスを使って訪問する。また、この日はオリャンタイタンボの遺跡を見た後、駅に送ってもらい、そこから列車でアグアスカリエンテスに向かう。こうしたルートをとれるのも、チャーター車だからできることだ。

 最初に向かったのはチンチェーロ。クスコは高地にあるというが、高地のなかでは谷間に位置している。だから、クスコは標高3200mほどだが、クスコを出るとすぐに3500mくらいの高地を走る。45分ほどで3800mのチンチェーロに到着した。

 チンチェーロの市は日曜市と言われているので、日曜にここを訪問できるように曜日を調整した。ピサックの場合も日曜市と言われるが、火・木にも市がでることがガイドブックに書かれている。チンチェーロはそういう記述がないので、日曜以外に市が見られる曜日があるのか不明だったためだ。

 世界各地の市を見ていると、夜が明けるか明けないかのころから人が集まるところが多い。だから、チンチェーロもかなりにぎやかになっているだろうと思っていたが、まだこれから人が集まってくるといった感じだった。それでも、自分が見学していた30分ほどの間にずいぶんとにぎやかになった。  集まってくる人たちは、原色の民族衣装に身を包んだ原住民のインディヘナの人たちなので、人数以上ににぎやかさが感じられるのかもしれない。

 

 この市では物々交換があちこちで行われていた。お金も使われるのだが、市に品物を並べている人たちの間では物々交換が主なのだろう。そして、物々交換は、自分で消費するために交換する場合と、並べる商品の種類を増やすためにする場合があることもわかった。物々交換をしながら、商品の品揃えが豊富になっていくのだ。

 後日、ピサックの市も訪問したのだが、ピサックの市は観光客向けの土産物を売るエリアが広く、地元の人たちが買い物をするエリアは限られていた。一方、チンチェーロの市は全体が地元の人たち向けの市になっていて、こちらのほうがずっと面白い。  

 上の画像は商品のいろいろ。左上はコカの葉、右上はいろいろな色をしたとうもろこし、左下は果物類、右下は巨大かぼちゃ。

 高地であるが故に農作物の栽培には不向きなこの土地でもさまざまなものが作られている。品質があまり良くない作物も売られているのを見ると、この地での作物栽培の難しさが感じられる。

 トウモロコシから作ったチチャという発酵酒も売っていて、売場には人が集まっていた。ただ、この酒、トウモロコシを口で噛み砕き、それを容器に入れて発酵させるらしく、試飲してみる気にはなれなかった。

 市にはずっといたい気分だったが、まだまだ行かねばならないところがある上、列車に乗り遅れてはならないという時間制限もある。で、市を後にして遺跡に向かう。市のたつ広場から10分ほど坂道をあがったところに遺跡はあった。

 上の画像で、下の石組みの部分がインカ時代のもの。上の白い部分はスペイン人が建てた教会。遺跡の上部は破壊されて、土台だけが利用されている。

 8時45分、チンチェーロを出発。高原地帯を走る。

 高度計を見ていると、一番高いところでは4000mを超えている。富士山の頂上よりも高いころを走っているとは、にわかには信じられない。緯度的には赤道に近いので、4000mの高さになっても、雪と氷の世界というわけではなく、民家や畑がところどころにあり、リャマや牛、羊の放牧も行われているからだ。

 やがて車は、ウルバンバ方面に向かうメインルートから別れ小道に入っていく。モライ遺跡に行くためだ。途中、マラスの村の中も走る。下はマラスの村。

 村を抜けたあとも、未舗装の道をかなり走り、遺跡に到着。

 モライ遺跡は、建物の跡は残っておらず、円形の段々畑の跡が残っている。しかもとても大きい。一番下の部分は、円形の広場のようになっているのだが、この日は何かイベントが行われるようで、そのステージに使われるようだった。

 上の画像は、遺跡の上にある駐車場から撮影したもの。この画像の右上の部分には、山の出っ張った部分の陰にかくれて見えないが、やや小さな円がある。それにしても、なぜ円形の段々畑を作ったのだろうか。

 この遺跡を見学するには、山道を下っていく。下まで行って、さらに円形の中に入る場合は、ところどころについている石製の足場を使って下る。見学のあとは、当然、上がって戻らなければならない。自分の場合は、上の画像の円形のうち、白く写っている部分まで下っていったが、黒っぽい部分は降りなかった。それでも、上がるのが大変だった。

 上の画像は、山陰にあった小さな円形の段々畑。こちらは段差も大きくなかったので、一番下まで降りた。一番下まで降りて、あたりを見ると、ローマ遺跡によくある円形劇場の舞台に立って観客席を見ているような感じだった。

 上の画像は、広場のようになっているところか大きな円形を眺めたもの。大きな円形のほうは、一段一段の段差が人間の背丈ほどある。

  1時間ほどかけて遺跡を一周。10時に出発し、サルネーラス(塩田)に向かう。この遺跡にやてくるときに通った未舗装の道や、マラスの村の中などを再び通り、また道をはずれ、サルネーラスに行った。

 やがて、斜面が一面白くなっているところが現れた。かなりの傾斜のある山の斜面が、段々状の塩田になっている。一見、雪のように見えるが、よく見ると細かく畑のようにわけられていることがわかる。

 

 この塩田の歴史は古く、プレインカ時代(インカ帝国以前)から存在していたという。インカ帝国時代には、帝国がこの塩田を管理していたらしい。

 さらに車を進め、塩田の入口までやってきた。入口から少し下ると、塩田を間近に見ることができるところがあった。マイナーな観光地で、自分がやってきたときもほかの客は数えるほどだったので、塩田の内部にまで入ってよいものかどうか、よくわからず、そこで引き返してしまいそうだった。よくみたら、塩田の中の畦道のようなところを歩いている人が見せたので、自分も入っていった。

 上の画像は、入口付近から見た塩田。一番手前に池が見えるが、ここの水が流れ出して、各塩田に入り込んでいた。この水に塩分が含まれているとのことだ。

 かなりの傾斜地に塩田を作っているので、段差は結構ある。ところどころに人が歩くための道がつけられている。

 上の画像で、水路の左側を歩くようになっている。まるで雪が積もったような感じだが、全部、塩である。ところどころ滑りやすいところもあったので、注意してゆっくりと歩いた。ためしに道端の塩をなめてみた。普通の塩だった。水路の水は、かなり暖かい水だった。気温は12度くらいだったので、水に手をつけていると風呂に入っている気分だった。それにしても、この水から塩ができるとは驚きだ。水もなめてみたが、塩分がわかるほどではなかった。

 1時間ばかり塩田を楽しんだあと、11時30分に塩田を後にした。このあと、オリャンタイタンボ遺跡に向かうのだが、途中、ウルバンバを通る。その直前に、ウルバンバの町を眺めるところがあったので休憩。

 ウルバンバは、クスコに比べて高度は低く2700mだった。低いために暖かく、クスコの人たちの保養地のようになっている。また、クスコ付近に比べてみて、山の斜面に緑が多い。

 ウルバンバ川の流れるこの谷には、ウルバンバのほか、オリャンタイタンボ、ピサック、ユカイなどの町があり、それぞれの町には、ウルバンバを除いてインカ時代の遺跡がある。現地ツアーの場合、ウルバンバで昼食をとるようだが、自分の場合は、オリャンタイタンボ遺跡を列車の発車時間に間に合うように見なければならないので、昼食はパス。

 この谷には、インカ時代の遺跡がたくさん残されているためだろうか、この谷は、聖なる谷 Valle Sagrado de Los Incas と呼ばれている。

 12時30分にオリャンタイタンボ遺跡に到着。ここはかなり大きな遺跡のようだが、1時間半かけて見学するだけの時間がある。上の画像は、一番下のところから上部を眺めたもの。石組みが段々状になっているが、これらは段々畑である。

 上まで上がるのは、かなり大変だったが何とか上がった。一番上のところには、神殿らしきものの残骸もあったが、破損が激しかった。

 

 一番上まで上がると、水平にしばらく歩いて、別の段々畑のところに移動できるようになっていた。そちらにも同じような、天にそびえるような段々畑があった。下の画像は、上から眺めたオリャンタイタンボの村。

 13時30分に見学終了。列車の出発まで1時間以上あるが、駅に向かう。

 駅は遺跡のすぐ近くだった。ここで、大きな荷物はナオツールで預かってもらうことにして、必要なものだけを小さなリュックに詰め替えた。これで、この日に泊まるホテルへ大きな荷物を持ち運びする手間や、翌日、マチュピチュから降りてきていったんホテルに立ち寄って荷物を引き取る手間がなくなった。

 ここでドライバーと分かれる。翌日、マチュピチュを見学したあと、クスコに戻ったとき、また迎えに来るとのこと。

 

 この駅、知らない人がやってくると、駅とは思わないかもしれない。駅の出入り口には、鉄製の扉があり、列車が到着したとき以外は閉じられているからだ。では、どうやって中に入るのかといえば、切符を外から見せるのである。そうすると警備員が開けてくれる。ペルーの駅はアグアスカリエンテスのローカル列車用ホーム以外、自分が見た範囲では、このシステムになっている。安全上、このようにしているのだろう。ペルーの鉄道は、観光用としての目的が中心だから、このようなやり方でも問題はおこらないのだろう。

 さて、いったん、駅の中に入ったのだが、駅舎の中では、飲み物とスナック菓子しか売っていなかった。それで、警備員に言って、扉を開けてもらい、再び外に出た。とはいうものの、駅前の売店でも、たいした食事はできなさそうだった。それで、ゆでとうもろこしで済ませた。このとうもろこし、一粒一粒がかなり大きいのだ。

 再度、駅の中に入れてもらい待合室で待つ。ようやく列車がやってきた。この列車はオリャンタイタンボからアグアスカリエンテスまでの区間列車で編成は短いが、クラスは一番上級のビスタドームクラスだ。

 14時45分に発車。心地よい揺れと車輪の音に誘われて、まもなく眠りに入った。

 気がついたのは、15時30分ごろ。よく眠っていたと思ったら、乗務員が食事のトレイを集めている。おっと、眠っている間に食事サービスがあったようだ。サンドイッチと飲み物だったみたいで、ちょっと残念。

 やがて、対向列車と行き違い。時間から考えて、翌日、自分が乗車する列車のようだ。この列車もビスタドームクラスだが、編成がたいへん長い。このあと、1ランク下のクラスであるバックパッカークラスの列車ともすれ違った。

 16時15分、アグアスカリエンテスに到着。どこまでが駅で、どこからが店の敷地かわからないようなところだ。駅の線路に沿って土産物店やレストランが並んでいる。

 貨物列車も走っていることがわかった。オリャンタイタンボからアグアスカリエンテスの区間は道路が未整備ということで、鉄道輸送に頼っているのだが、当然、貨物のトラック輸送もできないわけだ。

 また、クスコ行きのローカル列車も見た。定員を超える乗客が乗っているようで、ぎゅうづめ状態だ。料金は、観光客向けのクラスと全然違うのだが、混雑の状況を見ると、乗ろうとは思わない。

 さて、予約しているホテルに向かうのだが、どこにあるのかよくわからない。ホテルや土産物店が集中している通りがあったので、そこを歩けば見つかるだろうと思っていたのだが見つからない。結局、インフォメーションで聞いたのだが、全然違う方角だった。最初から尋ねておけばよかった。

 町外れにあったホテル。サンチュアリ マチュピチュがこの日の宿。画像に少し列車が写っているように、線路のそばにあるホテルなので、ときどき列車が通る音がして、旅心がかきたてられた。列車の走っていないはずの夜遅くの時間帯などに列車の通る音がしたりもした。そう本数の多くない路線だが、回送を含めたりすると、そこそこの本数になるのだろう。

 窓の外には川が流れていて、その水の音も聞こえてくる。しばらく休憩したあと、温泉を使った公共浴場と食事に出かけた。

 公共浴場は、町を流れる川の一番上流のところにあった。荷物や脱いだ服を預け、水着を着ての入浴だ。アグアスカリエンテスとは、温泉という意味だが、この町で温泉に入ろうとすれば、この公共浴場にこなければならない。

 湯はそれほど熱くなく、温泉プールといった感じだ。それに、湯はかなり汚くなっていて、そこには砂がたまっていた。湯は営業終了後に換えるのかもしれないが、、

 温泉につかっている間に日がすっかり暮れて真っ暗になった。町外れにあるこの温泉へは、川沿いに暗い道を通らなければならないので、少し注意が必要だ。ぬるい湯だったが、長くつかっていると、そこそこ温まる。しかし露天風呂なので、風呂から出て、脱いだ服などを受け取りにいったりしている間に冷えてしまった。

 温泉上がりに一杯ということで、ビールを注文。クスケーニャという銘柄で、クスコ周辺がこれが一番有名なようであった。

 料理は、マスのムニエルを注文。とても大きなマスがでてきてびっくりした。ペルーではあちこちでマスの料理はやっているようだった。

 ホテルに戻る途中、バスの発着所に立ち寄った。看板には、朝の最初のマチュピチュ行きは6時30分と書いてるのだが、念のために聞いてみた。これは聞いてよかった。最初の便は5時30分だということだ。日の出からマチュピチュを楽しむことができる。

 ホテルに戻り朝食時間を聞くと5時からということだった。5時30分のバスは定着しているのかもしれない。朝が早いので、シャワーを浴び、すぐに眠りに入った。

 

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