3 日 目  ビ ガ ン へ 移 動

 

ラオアグ街歩き
 上左  前日はバタックなどへ行ったので、ラオアグ自体の街歩きはまだできていない。それで、この日の午前中はラオアグの街歩きをして、昼頃のバスでビガンに向うことにした。

 街歩きの前に朝食をとる。ホテルから2、3分のところにあるジョリビーに行ってみた。

 上右  入口ではミツバチのキャラクターであるジョリビーのマスコットが出迎える。そして中に入るときは、ドアボーイを兼ねた警備員が開閉をする。

 左  バーガーステーキ(ハンバーガーの肉のこと)、春巻、ご飯、飲物(このときはコーラ)のセットを注文。
 朝食後は、聖ウィリアム大聖堂に向う。写真の教会は別の教会だ。人も車もそこそこ見かけるが、すごく多いわけじゃなくのどかな感じがする。 

 下左  シンキング・ベルタワー。シンクは「沈む」のsink。確かに周囲の地面よりも低いところに建っていた。sinkiigと現在進行形だが、今は沈下しないようにされたとか。塔の中には入るころができない。

 下右  聖ウィリアム大聖堂。北イロコス州で最古の教会で17世紀のもの。
 
 大聖堂に入ってみた。ミサが
行われていた。最初は定期的に行われるミサだと思っていたが、しばらくすると少し普通ではないと思えてきた。

 下左  祭壇のすぐ前まで行ってみて、葬儀だということがわかった。故人への最後のお別れだろうか。グループでのお別れもあり、TASK FORCE と書かれた服を着ていた人たちが大勢きていた。故人は、軍人か警察官なのかもしれない。

 下右  棺が外に運ばれる。ベストを着ている人の背中にはやはりTASK FORCEと書いてあった。制服のシャツの人もいるし故人は殉職したのかもしれない。
 
 
 
 上左   教会の入口まで運ばれた棺は馬車にのせられた。葬送用の馬車は白い花で飾られていた。

 上右   葬列の先頭には吹奏楽隊が歩いた。その後ろに馬車。教会から少し葬列と一緒に歩いて撮影した。

 左  イロコスノルテ博物館。北イロコス州の文化の展示が中心。
 
 ハロハロ。

  カキ氷だけれども、いろいろな具がのっているのが特徴。この場合だと、紫芋のアイス、小豆、もッと細かい豆,球や細長いゼリーなど。

 下  州庁舎の前の広場を通ってホテルに戻った。
ビガンに移動し街歩き
  ホテルに戻って、シャワーを浴びて少し休憩。11時30分にチェックアウト。5分ほどでビガン行きのバスの乗場がある。

 切符を買って乗ったのは、写真奥のバス。窓枠を見るだけで古いバスだとわかる。

 運賃は150ペソ(約320円)で、ガイドブックには175ペソと記載されていたので、そのときは安くてよかったとか思っていた。

 このバスを利用したのは、ガイドブックの地図に「ビガン行きバス乗場」と記載されていたためだったが、乗車してしばらくして、失敗したことに気づいた。
 このバス、通路を挟んで3人がけと2人がけのバスだった。1人分の幅は狭く、窮屈だったうえ、席は固く、背もたれが少し傾いていたけど、座り心地は最悪だった。冷房のききすぎも困るが、このバスは非冷房。このバスで、12時に出発、ビガンに着いたのは14時30分だった。

 ガイドブックに書いてあったのは、マニラ行のバスの区間利用で、それならは2時間程度で着き、座席もよいかわり、運賃はやや高くなるようだ。そのことに気づいていれば、マニラ行のバスの出るターミナルに行ったのだが。フィリピンの場合はバスターミナルが会社ごとに設けられているので、他社と車体や運賃、時刻などを比較することができないのだ。
 
 
 上左  ビガンに到着。街中の路上で下ろされた。市内に入ってからは地図で場所を確認し続けたので、現在位置はわかった。

 上右  徒歩15分ほどで2泊する「ヴィラ・アンヘラ・ヘリテージ・ハウス」へ。地元の名士の邸宅の一部がホテルとして利用されているようだ。門から玄関まで50mほどあり、門を入ってよいのかと感じたくらいだ。

 左  少し階段を上がった中2階のフロントへ。チェックイン後は出入りは2階まである階段を使って行った。
 
 
  上左  中2階から宿泊した部屋のある2階に上がった。

 上右  部屋の前にあるロビー。奥の左側にあるドアが泊った部屋の入口。

 左  ドアから中に入ると、かなり大きな部屋でびっくりした。ベッドは大きいのが1つと小さいのが2つ。各ベッドはレースのすだれ付きだった。

 この邸宅は19世紀の後半に造られたのだが、部屋と中のベッドやベッドの左下に写っている荷物箱などの調度品はその当時のもの。
 
 
 上左  部屋の奥の方。小さいベッドが2つ写っている。ドアが写っているがベランダに出るドアだ。トイレ、シャワールームに行くときもこのドアから出る。

 上右  このホテルで唯一、残念だったのは、トイレ、シャワールームが共用だったこと。ただ、実際には、ここを使ったのは自分しかいなかった。泊まっていた人はほかにもいたので、別にトイレなどがあったのだろうか。そのあたりは不明。

 左  ホテルの裏側。通りは、門と1本離れた道路。前庭と建物で2つの道路の間を占めているのだ。泊まったのは、2階の右端。2階の左端にトイレなどがある。その間がベランダ。
 
 部屋で1時間ほど休憩して外出。すでに16時近い。

 遅い昼食をとることにしよう。歴史地区に向う途中で、古い建物を利用したレストランがあったので入ってみた。

 下左  オコイ(OKOY)と呼ばれるお好み焼風のもの。小麦粉をといたものに、ポテト、ネギ、えびなどをのせて焼いている。30ペソ(約65円)。

 下右  飲物はマウンテンデュー。ライム味の炭酸飲料で、初めて飲んだのだが、帰国後調べたらペプシ製の飲物で日本でも販売されていた。
 
 
   遅い昼食のあと、歴史地区へ向かった。歴史地区といっても、ビガンの場合は、街の一定のエリアが保護区域になっているのではなかった。クリソロゴ通りの約300mほどの区間の両側の古い家屋が保存され、その区間だけが道路も石畳のまま残されていた。

 石畳の区間は観光用の馬車が行きかっていた。スペイン風の家屋とともに絵になる風景ではあった。また石畳の区間は歩行者天国になっていて、馬車以外の乗物は通行していない。
 
 
 上左  古い建物の多くは1階がドーム型の出入口になっている。元来は、馬車や荷物の倉庫として使われた部分(いまは土産物屋になっている場合も多い)。2階は住居。高温多湿な気候にあうように、征服者のスペイン人が考案した「バハイ・ナ・パト」という建物だ。

 上右  多くの建物で、窓(主に2階にある)は木でつくった細かい格子状のものになっている。日本の障子に似ているが、白い部分は紙ではなく貝殻でつくってある。

 左  「バハイ・ナ・パト」の1階部分を利用した土産物屋。このタイプの土産物屋は多数あった。
 
  続いて、旧市街の北側にあるバンタイ教会に向った。橋を渡り20分ほど歩いた。

 下左  この教会に付属しているベルタワー。教会の北側に教会からは少し離れて建っている。

 下右  ガイドブックに、タワーの上からの眺めがよいと書いてあったのだが、入口が鉄柵で閉じられていた。すでに18時ごろで、やってくるのが遅すぎたようだ。中の階段だけを見て引き返した。
 
 
 旧市街に戻り、聖ポール大聖堂へ。白い外壁なのだが、夕陽を浴びて、オレンジ色っぽくなっていて美しい。
 
 中ではミサが行われていて、休憩を兼ねて、しばらく滞在した。内部も白が基調で美しく、壁ぎわに彫刻や絵画が展示されていた。

 大聖堂から出ると、日がしずみ、暗くなっていた。いったんホテルに戻って、しばらく休んだ。
 
 
 上左  夜の歴史地区を見るとともに、夕食のために外出。

 上右  クリソゴロ通り沿いには観光客向けの店があるのだが、この夜は、少し離れたところにある地元民向けの屋台街に行ってみた。

 左  エンパナーダ。前日にらラアグで食べたものとほぼ同じだったが、皮の色があまり赤っぽくなかったのが違う。地域による違いかな。
 
 マミ。

 小麦麺でスープは薄い塩味。具は、卵、鶏肉のそぼろ、千切りキャベツなど。
 
 石畳を歩いてホテルへ戻った。

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