12 日 目  12 年 ぶ り の マ ニ ラ

 

久しぶりのマニラ街歩き
 マニラのサンパロックには予定より少し早く4時30分に到着。バナウェから9時間30分かかった。後半は平坦なルートでかなりスピードがでていたようだ。寒かったけれども、セーターを着ていれば快適で、熟睡はできななかったが多少は寝られた。

 ほぼ同時にラガウェ発のバスも到着。ラガウェは観光地ではないがイフガオ州の州庁所在地で人口もイフガオ州で最大であるためか、フィリピン人がほとんどで、欧米人がほとんどのバナウェ発のバスとまったく異なっていた。

 
 サンパロックから高架鉄道のレガルタ駅までは1kmもないのだが、かなり治安の悪いエリアとの情報があり、明るくなる6時30分までバスターミナルで休んでいた。明るくなってから気をつけて行動開始。

 下左  マニラの鉄道駅は入場の際に保安検査がある。機械のない駅もあり、その場合は1人ずつカバンを開けて見せなければならない。

 下右  保安検査後、切符売場があるがこれも混雑していることが多い。下手をすると、保安検査、切符購入、改札と3回並ばねばならない。それで、ICカードのビープカードを購入。使うのはこの日だけなので、1日で乗る分を考えて100ペソをチャージ。別にカード代が20ペソ。

 
 
 
   上左  レガルタからレクトまで1駅だけ高架鉄道の2号線に乗車。

 上右  2号線のレクトから1号線のドロテオ・ホセまでは少し離れているが連絡通路があり迷うことはない。ただし乗り換えると別料金が生じる。

 左  連絡通路から外を見ると、すぐ下にスラムがあり、数km先に高層ビル街があるという光景が見える。

 下左  1号線に乗車。車内の様子。1号線は2両が1組で違う組には移動できない。どことなく路面電車の雰囲気がある。

 下右  終点のバクラランにて。
 
 
 
 上左  ここで失敗に気づいた。泊まるホテルは、終点の1つ手前のエドゥサ駅のそばにあるのだが、てっきりバクララン駅のそばにあるって思っていたのだ。駅を下りた後、ホテルを探すが見つからない。ようやく地図を見て、勘違いに気づいた。

 このあたりも治安の悪いエリアなので、市場の中のような道を気をつけながら20分ほど歩いて、エドゥサまで戻った。駅の構内から、カバヤンホテルが見えた。

 上右  8時すぎにやっとホテルに到着。荷物を預かってもらい外出するつもりだったが、ラッキーなことにチェックインできた。

 左  一番安い部屋を予約していた。どんな部屋なのかは承知のうえ予約したのだが、うなぎの寝床のような細長い部屋で、手前にソファ兼用のベッド、奥の上部にはしごで上がるベッドがある。その下にはテーブルがある。そこのテーブルを使うときには、何度か頭を打った。1泊だけなのでがまんする。

 チェックインできたので、着替えることもできた。半袖、半ズボンに着替えて、サンダルを履く。1時間30分ほど休憩してから外出。
 
 上左  10時に遅めの朝食。エドゥサ駅そばのチョウキンに入る。入口に立っている人は、ドアボーイを兼ねた警備員。

 上右  店内。1階が混んでいたので2階に行った。料理は1階で調理して運ばれるのだが、2階にいることがよくわかったものだ。

 左  チャーハンに餃子をのせたもの。飲物はアイスコーヒー。119ペソ(約250円)。 
 エドゥサから1号線に乗るときには、保安検査の列で10分ほど待ったが、切符はビープカードのおかげで並ばずにすんだ。

 写真はUNアベニューで撮影。外観も路面電車に似ている。

 下左  下車すると駅のそばにマニラ大学があるのだが、大学の校門でタホを売っていた。写真は豆腐をカップに入れているところ。

 下右  黒蜜のものだけを売っていた。10ペソ。バギオの観光地では20ペソだったが、それは観光地価格で、本来は10ペソなのだろう。フィリピンの豆腐デザート、気に入った。
 
 
 駅から10分ほど歩いて、イントラムロスにやってきた。イントラムロスは、スペイン人がフィリピン支配の拠点にした城塞都市。アーチ状になっているところが門のひとつ。かつては夜間は閉じられた。城塞の上部は歩けるようになっている。

 このときすでに11時を回っていた。まず行ったのは、バハイ・チノイだが、11時から13時まで休みだった。次に行ったサン・オウガスチン教会は11時30分から13時が休みで、着いたのは11時20分だった。門が閉じられようとしていたので、大急ぎで見るから入れてほしいと頼んだが、午後からくるようにと言われてしまった。
 
 
 上左  続いて、カーサ・マニラに行った。もともとは19世紀につくられたもので、スペイン人有力者の邸宅だった。第2次大戦後で破損したが、修復されて公開されている。

  門から入ってすぐのところに見学コースの入口があるのに、そこで入場券を買えず、中庭を通って売場があるので、わかりにくすぎる。

 上右  内部。ロビーのようだが、こういう豪華な部屋がいくつもあった。

 左  中庭。  
 
 上左  マニラ大聖堂。太平洋戦争で破壊されたが修復された。フィリピンのカトリックの中心になる教会。

 上右  祭壇。

 左  サンチャゴ要塞の門。

 サンチャゴ要塞は、イントラムロスの北端にあり、16世紀にスペインによってつくられた要塞で、現在では公園になっている。
 要塞の中にかつて地下牢だったところがあった。陰気な感じでしばらく見学するだけでも嫌だったが、ここに閉じ込めれるとは想像を絶する。

 要塞内に記念館がある、独立の英雄ホセ・リサールも、この牢ではないが、敷地内にある監獄に数ヶ月入れらたあと処刑された。また、太平洋戦争時には占領した日本軍によって、別の水位が上がる地下牢に入れられたフィリピン人が水死させられた。

 下左  ホセ・リサール記念館。リサールの遺品などの展示がある。

 下右  記念館を出るとサンチャゴ要塞の上に出る。要塞の敷地を出たのは12時30分。
 
マラカニアン宮殿を訪問
 サンチャゴ要塞を出た後、東へと向かい、大統領官邸であるマラカニアン宮殿をめざした。途中、雨が降って、傘を使わざるを得なかった。チャイナタウンなど下町のエリアに近い。庶民的な街を歩いていたら、突然、宮殿の横に出た。少し場違いな感じがしないでもない。

 マラカニアン宮殿の見学は、事前にパスポートのコピーを添付してメールで申し込んでおいた。一定の様式もなかったので、ちょっと面倒だった。そのかわり無料。14時からの予約だが、10分前までに手続きを終えるようにと返信で指示されていた。20分前にはゲートの1つに到着したが、ゲートがたくさんあり、指示されたゲートには、ぎりぎりに到着となった。
 
 ゲートでパスポートを見せると名簿で照合。同じ時間の見学者は10人ほどだが、自分以外はフィリピン人だった。

 写真で左端の部屋で荷物を預ける。面白かったのは、濡れた傘も持っていたのだが、ドアに突起があって、そこにぶらさげておくようにと言われたこと。ドアの装飾で突起があるのだけれども。

 下左  そこで入館者証を受け取り首にかける。

 下右  建物の正面玄関から中に入ると、見学者の待合室があり、少し待った。高校生の社会見学だろうか生徒10人ほどがやってきたが、自分たちとは別に見学に出発した。
 
 
 宮殿で公開されている建物はマルコス大統領時代までは主な執務室として使われてきたが、現在では大統領が執務するのは別棟で、この建物が博物館として公開されている。ただ、大統領が使用することもあるという。見学はガイドについていく方式。

 この部屋はかつて待合室として使われていて、来客が待った部屋。今は、各大統領が使った品物などが展示されている。

 下左  マルコス大統領の選挙バッジ。

 下右  アキノ大統領の選挙ポスター。
 
 
  スペイン領時代、米国領時代には、総督などが執務室として使った部屋。フィリピン独立後は大統領執務室はほかに移った。でも、マルコス大統領時代の執務室の様子がこの部屋に再現されている。

 下左  オスメニア大統領にちなむオスメニアリームとよばれる部屋。

 下右  この部屋は最近ではドゥテルテ大統領が支持者との会合に利用したということだ。(写真はガイドが回覧させた写真を撮影したもの。)
 
 
 このベランダからマルコス大統領が前の庭を埋め尽くした群衆に向って最後の演説をしたという。

 下左  2階の大広間のように広い部屋は、一見、図書館のように見えたが。歴代大統領夫妻が外国からいただいた贈り物や関係ある品を保管しているようだ。

 下右  イメルダ夫人にかかわるもののあったが、有名な靴は置かれていない。
 
 
 現職大統領にかかわるものはやはり多くあり、ドゥテルテ大統領に関するものを集めたコーナーもあった。この絵は日本人が描いたものらしい。

 一通り見学するのに、ちょうど1時間かかった。
最後のマニラ街歩きと夕食
   マラカニアン宮殿を出たのは15時20分。このあと、イントラムロスに戻り、昼休憩のために見学できなかったところへ行く。ただ、午後のオープンも17時までなので、急いだ。

 まず、バハイ・チノイへ。ここは、中国系住民(華僑)の歴史を展示する博物館だ。

 下左  ジオラマでの展示。豆腐をフィリピンに持ち込んだ説明をみて、豆腐デザートのタホが名物であるのも納得した。

 下右  中国系で著名な人物の紹介コーナー。大統領ではコラソン・アキノ、ベニグノ・アキノの親子、それにアロヨが中国系だったことも初めて知った。名前は知らないが、フィリピンの著名な経済人や医師で中国系が多いことも理解した。
 
 
 
 
   サン・オウガスチン教会へ。4つの教会で1つの世界遺産になっている教会群のうち、これで3つを訪問したことになる。

 17世紀にできて以後、度重なる地震や太平洋戦争時の爆撃にも耐えて、昔の姿のまま残っている。観光客は右手の博物館の入口から入り、礼拝堂も博物館の一部というスタイルだ。

 下左  礼拝堂。

 下右  廊下。17時の閉鎖まで時間がわずかで、展示は大急ぎで見て回った。最後は出口を開けてもらって退出。
 
 
 イントラムロスを南側の門から出るとリサール公園がある。マニラ中心部にある公園で市民の憩いの場になっている。

 下左  公園の一角に、独立の英雄のホセ・リサールの処刑場跡がある。

 下右  処刑場から少し離れたところには、リサールモニュメントがある。彫刻の中にはリサールの像もある。この地下にはリサールの遺体が葬られている。
 
 
 リサール公園を出て、夕食がとれるレストランを探したが、なかなか見つからなかった。高架鉄道のUNアベニュー駅の近くまで行って、手ごろなレストランを見つけたので入店。

 下左  店内。ドアの外側に人が立っているが、ドアボーイを兼ねた警備員。

 下右  飲物はレッドホースビール。何も言わなかったがグラスには氷が入っていた。
 
 
 ビーフステーキを注文。食べやすいように小さく切ってある。フィリピン(ほかの東南アジアの国でもたいてい同じだが)では、ナイフは使わず、スプーンをナイフかわりにするのが普通なので、食べやすいように切ってあるのだろう。

 薄い肉でよく焼いてあった。ソースが多いので、牛肉の煮込みのようでもあった。

 下左  高架鉄道でエドゥサへ。ホテルとは反対側へ、歩道橋を歩いて向った。バクララン方面への道は露店が並んでいた。これはナイトマーケットではなく、昼間でもでている。

  下右  道に下りて、露店を見ながら歩いた。
 
 
 ゴトの屋台があったので、食べてみる。ゴトはフィリピンの粥なのだが、粥にはルーガウというのもある。違いは、ゴトはレバーが入っているのに対して、ルーガウは入っていないということらしい。

 ゴトはラオアグに続いて2度目なのだが、ルーガウは見かけなかった。

 下左  ゴトを食べ始めてからサイドメニューで厚揚豆腐も食べられることを知った。 

 下右  同じく揚げ春巻があることにも気づいた。
 
 
  ゴト。日本でいうと、おじやのように塩味がよくきいていて食欲がすすむ。具は、レバー、ネギ、ニンニクチップ。

 下左  厚揚豆腐と揚げ春巻は、ホテルで食べようと包んでもらった。ホテルに帰ってからいただいた。ホテル帰着は20時30分。夜行バスを下りてから16時間の長い1日を終えた。

 下右  コンビニでビールを買って帰った。タイガーなのだが、BLACKと書いてあった缶があったので買ってみた。

 タイガーの黒って見たのは初めてだ。いつのまに販売されるようになったのだろうか。グラスがないので、はっきり色がわからなかったが、真っ黒ではなく、濃いめのラガービールって感じのようだ。味もよく飲む黒ビールほどはっきりわかる味じゃなかった。
 

 

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