10日目   ビ ル バ オ

 

 

サン・セバスティアンからビルバオへ移動
  この日は3泊したサン・セバスティアンを去り、最後の宿泊地であるビルバオに向かう。

 前日と同じく、出発40分くらい前にバスターミナルに着き、切符を確保したあと、そばにあるバルで朝食。

 この日はハムサンドとコーヒーにした。ハムサンドの特徴は、生ハムがどかんとのっていること。写真ではよくわからないが2枚のっている。下のほうは普通のハムサンドだが、トーストしてある。
 
 8時30分発のビルバオ行きのバスに乗車。切符やバスの行先表示はバスク語の「ビルボ」だ。

 「ビルボ」は簡単にわかるが、バスク語では、地名がスペイン語と似ても似つかぬ場合があるので注意を要する。

 主な地名の対比。バスク語=スペイン語。
ビルボ=ビルバオ
ドノスティア=サン・セバスティアン
イルーニャ=パンプローナ
ガステイス=ビトリア

 なお、ゲルニカのように共通の地名も多い。また、オンダリビア=フェンテラビア だが、ガイドブックなどは、オンダリビアと書かれているので問題ない。


 ビルバオへは、バスク鉄道でも行けるのだが、バスを選んだ。なにしろ、バスは1時間20分なのに対し、鉄道は2時間40分かかるのだ。しかもバスは30分間隔だが、鉄道は1時間間隔。そのかわり、運賃はバスは12ユーロなのに対して、鉄道は6ユーロなのだが。

 鉄道とバスが選べる場合、自分はたいてい鉄道を選ぶが、今回はさすがにバスにした。

 バスは高速道路を通るので早い。写真は車窓から見えたバスクの村。村といっても高層ビルがあったりして、バスクだけに限れば、スパニッシュバスクのほうがフレンチバスクよりも発展している感じがする。
 
 10時前にビルバオのバスターミナルに到着。ビルバオのバスターミナルには6年前に来ている。6年前には、ビルバオからサンタンデールに向かった。でも、屋根がなく、場所がかわったようで、ちょっととまどった。

 写真は、乗車してきたバスだが、そのまま折り返すようで、行先表示が DONOSTIA に変わっている。
 
  ビルバオ観光の前にホテルに荷物を預けるために、1qほど離れたホテルに向かった。

 歩き始めてすぐに、以前利用したバスターミナルが工事中で、すぐ隣に現在のバスターミナルがあることがわかった。現在のターミナルは仮設で、以前あった場所に新ターミナルができるのだろう。
 
 エスプレットに行った日以来の雨になった。エスプレットは観光だけだったが、この日は荷物をもっての移動なのでちょっと大変だった。

 途中、6年前に泊まった宿がある建物の前も通った。B&Bで安いのだが、今回は快適性をとって中級ホテルにした。

 路面電車の通る大通りを歩いてホテルに向かった。夜は、ビルバオでも”バルめぐり”をするのだが、路面電車で移動するので、停留所の場所を確認しておいた。

 ホテル近くにあった塔。最上部にはキリスト像があった。ホテルの目印になりそうだ。
 ビルバオでの3泊は、NHコレクション。NHコレクションは、ヨーロッパで時々見かけるホテルチェーン。以前、グラナダで泊まったことがある。

 このホテルを選んだのは、バスターミナルや駅が徒歩圏内であったことのほか、100m以内にビルバオ空港行きのバス停があることが大きい。

 下左  玄関。日本の判子のようなデザインのマークが面白い。

 下右  チェックインタイムよりもずっと早かったので、荷物預かりを頼んだ。すると、10分待てば部屋を用意できるということだったので、待つことにした。写真はロビー、左手がフロント。
 
 
 部屋は、広くて快適だった。

 冷蔵庫やコンセントなど問題なし。眺望がよくなくて、隣の建物が見えるだけで、窓の関係でカーテンを常時閉める必要があったが、困るほどでもない。
 
 1時間ほど休憩し、11時30分に街歩きに出発。

 6年前の訪問のさいに、この街で最大のみどころであるグッゲンハイム美術館へは行っているので、今回はパスして、郊外の炭鉱跡を見て、前回も見たビスカヤ橋、そして前回は車窓からだけ見た高炉と、産業遺産の見学をする。
床が水平の珍しいケーブルカーに乗って炭鉱跡へ
 バスターミナルに隣接しているRENFE(スペイン国鉄)のセルカニアス(近郊線)のサン・マーメス駅へ。

 ここでバーリックカードというICカードを購入。指紋のデザインで、デザインはちょっとなぁって思う。このカードは、RENFEセルカニアス、バスク鉄道、バスなどビルバオ周辺の交通機関で使え、割引率も大きい。カード代金が必要だが、切符購入の手間がはぶけるので買った。駅の窓口で、カード代金に加え、30ユーロ分をチャージしたら、最後に空港バスを利用して、ほとんど使い切った。

 ビトリアでも使えたうえ、サン・セバスティアンでも使えることもわかった。ビトリア、サン・セバスティアンのICカードと相互利用もできるということで、サン・セバスティアンでもバスに乗ったので、サンセバのカードを買っておけばよかったと気づいたが、あとの祭り。
 
 上左  サン・マーメスは地下駅。出発後もしばらくは地下区間だ。

 上右  車内。

  左  地上に出ると、さびれた感じの工業地域の中を走行し、やがて郊外の住宅地に出た。

 25分ほど乗車して、ウリオステで下車。炭鉱跡を見るため、ケーブルカーの駅に向かった。
 
 ウリオステ駅では、出入口のある側と反対側に行かなければならない。

 最初、それがわからなくて、しばらくウロウロしてしまった。崖下の側に集落があり、そちらへ下っていけばよいことがわかり、崖下に出た。

 写真は下から見たウリオステ駅のホーム。
 
 
 上左  こちらだろうという方向に歩いたが確証はなかった。ようやく、フニクラ(ケーブルカー)床が水平の標識があり、道が正しかったとわかる。

 上右  ケーブルカーの下の駅。このケーブルカーもバスク鉄道が運行していて、バーリックカードも使える。

 左  乗車したケーブルカー。このケーブルカーは珍しい点があるのだ。車両の床が階段状じゃなく平面、駅のホームも階段状じゃなく平面なのだ。このようなケーブルは、自分が乗った範囲では、リスボン市内のケーブルカーの中にこのタイプがあったが、ほかは知らない。かなり特異なケーブルカーだといえる。
 
 
  上左  車内の様子もほかのケーブルカーとは違って、一般的な電車と同じような感じだ。

 上右・左  行き違いのところで、反対方向のケーブルカーの床下がよく見えた。なるほど、このようにしてあれば、床が平面でもいいわけだ。
 
 
 上左  上の駅に到着。

 上右  ケーブルにはアルボレータ村に向かうバスが接続している。このバスは無料。

 左  数分でアルボレータ村に到着。

 この村は、かつては炭鉱で栄え、石炭は山の下の数km離れた製鉄所などに運ばれたという。しかし、製鉄所が縮小されるとともに炭鉱も閉山された。
 
 
 上左  村の中心にある教会。入ってみようとしたが、扉は閉まっていた。

 上右  村の路地。すぐに村はずれに出てしまった。

 左  村の中心で昼食をとることにした。Bar el Disco(バル・エル・ディスコ)に入店。
 
 20人程度入れる程度の小さなバルだった。

 下左  セルベッサ。

 下右  タルトのような生地の上に、クリームをのせ、一番上にエビが置かれているほか、カニの身とイクラが少しだがのっている。
 
 
 炒ったたまねぎの上に、タコの足がのっている。

 下左  コロッケ。

 下右  割ってみると、ゆで卵が丸ごと入っていて、びっくり。全部で約8ユーロ(約1000円)。かなり安かった。

 
 
 
 上左  食後は歩いてケーブルの上の駅まで行くことにした。

 かつて石炭を運んだトロッコ。

 上右  左のトロッコよりもあとの時代のトロッコ。

 左  ところどころに意味不明の作品が置いてある。
 
 ところどころに池がある。かつて、露天掘りで石炭を掘っていたところだ。

 下  道路の端の壁には、トロッコ列車が描かれていた。けん引しているのは蒸気機関車。
 
 
 上の駅に到着。
 
 駅の中には、ケーブルカーの昔の様子などを記録した写真が何点か掲示されてあった。

 昔のケーブルカー。今と同じく床が水平なタイプだ。昔から、このタイプだったことがわかった。
 
 こちらは現在の車両の写真。たぶん上の駅の近くで撮影しているのだろうし、自分でも見に行きたく思ったが、先の予定を考えて、そのまま下山した。
 
 ケーブルの下の駅に到着後、バスでビスカヤ橋の近くまで行く。

 30分ほどバス待ちがあり、その間にケーブルカーが出発していった。床が水平であることも、よくわかる。
 15時45分発の3332系統のバスに乗車。バーリックカード利用なので、運賃がいくらか気にしなくてよい。

 ビスカヤ橋最寄りのセルカニアスの駅はポルトガレテで、このバスもポルトガレテのエリアを通る。とはいえ、ポルトガレテのどのあたりを通るかまでは不明で、スマートフォンの地図を見ながら、ビスカヤ橋に最も近い付近で下車。
 バスを下車したところ。ここからビスカヤ橋まで1km弱。

 帰国後、調べると、ポルトガレテはビルバオとは別の市で、ビルバオ川の河口付近の左岸を占める。写真の付近はポルトガレテ市の中心部のようだった。
 
 下車地点からビスカヤ橋へは坂道を下る。

 写真ではわかりづらいが、坂道には、ムービングウォークが設置されていて、上り方向で利用できる。
 ビスカヤ橋に到着。

 ビスカヤ橋は運搬橋で、吊り下げられたゴンドラが川の両岸を行き来して、客と車を運んでいる。
 
 ゴンドラ。

 反対側をゴンドラで往復することにした。バーリックカードでも乗れるので、バーリックカードを使った。

 6年前には、橋げたの部分も歩いたのだが、一度歩いているので、今回は上がらない。
 
 ゴンドラの側面には客室があり、真中の広いスペースが車両を乗せる部分になっている。
 
 ゴンドラの客室の入口。

 
 客室内。
 
 駅へ向かう途中、渡船もあることを発見。小さなボートが両岸を往復していた。
 
 
 上左  ポルトガレテの駅。

 上右  ビルバオ市内方面の電車に乗車。

 左  電車は2分ほどでラ・イベリアに到着。ここで下車する。
 
 セスタオ高炉。

 1902年に造られた高炉(溶鉱炉)で、当時、スペインでは最大、世界でも最大級の高炉であった。日本の八幡製鉄所が造られたのは1901年なのでほぼ同時である。

 ビルバオはスペインの重要な工業地域になるが、この製鉄所が核になった。ここを有した「ビスカヤ高炉」(会社名)は長らくスペイン最大の企業であった。(現在はルクセンブルクの製鉄会社に合併された。)

 6年前の訪問時に、線路のすぐそばに見えて気になっていたので、今回は歩いて見にやってきた。

 現在は稼働していないがきれいに保存されている、見学はできないが、線路を挟んだ道路からよく見ることができる。解体していないので、将来は見学できるようにするのかもしれない。

 
 
 かつての製鉄所用地は空地が多く、他産業への転換がすすんでいないようだ。
 
 ラ・イベリアから電車でサン・マーメスへ戻り、ホテルへ。
ビルバオでも"バルめぐり"
 ホテルでは2時間ほど休憩し、旧市街へ”バルめぐり”に出かける。

 ホテル最寄りの停留所は歩いて2、3分のところにあり、路面電車に乗車。

 路面電車もバスク鉄道の運営だ。バーリックカードを使用。21時だが、まだ明るい。

 下左  車内。グッゲンハイム美術館などを見ながら進む。

 下右  10分少々乗って、終点のアチューリ駅の一つ手前で下車。旧市街のバルの集まるエリアに近いからだ。
 
 
 訪問するバルはあらかじめ考えていた。特徴のあるバルだ。ところが、どうも様子がおかしい。開いているバルが少ないし、歩いている客も少ない。目指すバルは、どれも閉まっていた。

 調べてみて、ビルバオでは日曜日の夜は営業していない店が多いのだ。目星をつけていた店はどこも日曜日の夜は閉店だったのだ。

 開いていた数少ないバルの中で、比較的客が多かった Zazpi(サスピ)へ。
 
 
 上左  店内。

 上右  瓶ビール、バスティン。地ビールだろうか。

 左  料理不明だが、肉、野菜を詰めて焼いたもの。
 
 卵豆腐のようなもの。
 
 コロッケと生ハム。

 全部で約12ユーロ(約1500円)。
 
 次にLurina(ルリーナ)へ。

 下左  店内。

 すでに他の客が帰ってしまい、誰もいなかったが、開いている店がもうなかったので入店。

 日曜日の夜は、開いている店も閉まるのが早い。22時ごろに閉店という感じ。いったんホテルに帰らず、セルカニアスを終点まで乗り、歩いて旧市街にやってきたほうがよかった。
 

 
 上左  店内。

 他の客がいなくなると落ち着かないものだ。早く帰ってほしいと思われているように感じて居心地もよくない。

 上右  サングリア。

 左  カウンターにあるピンチョスから、いわしのピンチョスと魚肉の練りもののピンチョスを選んでもらった。
 
 コロッケ、目玉焼き、とうがらしのピンチョス。

 ここでは急いで食べた。こちらも全部で約8ユーロ(約1000円)。


 事前にもう少し調べて、日曜日の夜でも営業している店をめざして行ったほうがよかった.。ちょっと失敗した。

 2店で1時間ほどの短い”バルめぐり”だった。