14日目 ハ ビ エ ル 城
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パンプローナ散策の残り |
![]() 前日は休館だったナバラ美術館に向かう。 |
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![]() イルーニャは、パンプローナのバスク語名。同様にサン・セバスティアンはドノスティア、ビルバオはビルボ。 |
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![]() 下左 カーニャ(ビールの小)。 下右 ピンチョス2種。アンチョビーの酢漬けがのったのと生のがのったの。カーニャ2.3、ピンチョス2..1×2、計6.5€(約1050円)。 宿に戻る途中、今夜はハビエル泊なので、夜に飲む飲物が入手しにくいと思い、買っておいた。 |
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ハビエルへ |
![]() 出発は15時なので、しばらく座って待った。 パンプローナからハビエルに行くバスは、15時に出発して、ハビエルを8時すぎに出発する1往復だけ。 そのため、バス利用の場合は必ずハビエルで1泊しなければならない。今回は、旅にでる4、5日前に、このことに気づいて急いで旅程を変更。パンプローナ泊を1日減らし、ハビエル泊に変えたのだ。この日はハビエル泊。 |
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![]() 客は10人ほどで、服装から地元民とあとは登山客のようで、ハビエルに向かう観光客はいない。 前方に座っている客2人は、つぎに書くハビエルのバス停ではないところで下車した2人。 |
![]() ハビエルに到着。ところが、バス停を通り過ぎたのだ。あわてて、ドライバーの横へ行き、"ハビエル!"と言った。ドライバーは、"座ってください"みたいなことを言っている。 そして、バス停を1kmほどすぎ、バス停の看板のないところで地元民2人をおろした。そして、バス停に戻って下車。定刻で45分かかるが、40分でやってきた。 |
![]() チェックインして、荷物を部屋に入れて、すぐにでてきた。 そして、ハビエル城へ。このとき16時。城が閉まるのは18時30分なので、それまでに見て回らねばならない。 |
ハビエル城 |
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![]() 左 ザビエルの大看板がある。ザビエルは16歳まで、この城で過ごし、その後は戻ることができなかった。 (地名、城名は、スペイン語の発音に従いハビエル、人名は日本の慣用的な表記に従いザビエルとする。) |
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![]() 左 城に入る門。 城内は、まず博物館になっていた。ザビエルの生涯の展示もあったが、興味深かったのは、日本から贈られた掛軸。贈呈者の山口の大名、大内義隆の名も記されていた。ザビエルが描かれている。 博物館のあとは、城の各部屋。ここでザビエルが16歳まで過ごしたと考えると感慨深い。 城内は撮影禁止だったのが残念。 |
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![]() 下 教会の扉の上に、ザビエルが訪問した地名が書かれていた。山口もあったのだが、AYANGUCHIと間違って書かれていた。 |
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![]() 上右 祭壇の上部にあるザビエル像。 左 マリア像とその下にあるザビエル生誕の表示。 |
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![]() 下 最後にもう一度、ハビエル城の全景を見て宿へ。 18時過ぎまで見学し、2時間ほど滞在した。 |
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![]() ハビエル城はナバラ王国がアラゴン王国と接する地点にあった城。この地の貴族の城で、ザビエルはその貴族家の出身。ナバラ王国はザビエルがこの城にいたときに、カスティリャ王国に併合された。 |
宿と夕食 |
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![]() 宿のレストランで食べることにしたが、夕食は20時30分から。この国では当たり前とはいえ、遅いので待つのがつかかった。 |
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![]() どこが伝統的なのかわからなかったが、美味しいスープだった。タラらしい魚とあさりが入っていたたほか、スープも魚のエキスが煮込まれている感じだった。 |
![]() 柔らかい肉で、ソースも美味しかった。付け合わせのポテトやリンゴの煮込みもつくりたてのものが出された。 |
![]() ハビエルは田舎も田舎という村なのだが、宿のレストランの質は高かった。宿は、田舎の宿といった感じだったのだが、それに見合わない美味しい料理が食べられた。 困ったのは食事開始が遅すぎということと、料理が出てくるのも遅く、食事が終わったのは22時30分近くで、健康上よくないこと。 魚のスープ13、牛肉の赤ワインソース20、ソルベ7、ロゼワイン4、水2、計46€(約7700円)。 |