7 日 目 乳 房 山 登 頂 |
この日はいよいよ母島へ移動する。母島には昼食時に開いている食堂が1軒だけあるというのでそこで食べようと思うが、念のためおにぎりも買っておくことにした(前日に生協で菓子も買ったけど)。昼食後に、父島母島を通じて最高峰である乳房山に上るのだが、余ればその途中の休憩のときなどに食べればよい。 5時30分から営業している「米ふく」へ。 |
店に着くと5時30分から営業の掲示があり、すでに営業していた。 |
他では見かけないおにぎりもある。お金は左下の箱に入れておけばよい。無人販売ではないが店頭に人はでていない。はじめてなので、お金いれて、声掛けして出て行った。 |
店を出ると雨が降り始めていて、宿まで持つかとと思っていたら、10秒後には土砂降りになり、急きょ、雨宿り。 道路の突き当りに小笠原ツーリストが見える。10分ほどでやんだので助かった。 宿に戻り、荷物の整理をする。朝食後すぐに港へ行くので。 |
6時30分からこの宿の最後の朝食。ははじま丸が7時30分発なので、この日は早くしてもらった。 この日のご飯はしめじの炊き込みご飯だった。この宿は、食堂兼業なので2食付きにしてホントに良かった。部屋も良かったし、再び小笠原に来たときはまた泊まりたい。 |
7時にははじま丸のターミナルへ送迎。 下 まもなく、ははじま丸に乗船。 乗船するときに、海水が流れるマットで靴底をぬぐう。これも外来種の種子の侵入阻止のため。 |
7時30分出港。 雑魚寝席もあったが、こちらの座席に座った。客は10人ほでガラガラ。 下 20分ほどで南島の近くを通った。細長い島だ。遠くにあるのは父島南部の山。 |
やがて母島の北端が見えてきた。 |
9時30分、母島の沖港到着。 宿の送迎は荷物だけを運び、人は歩いていく。もっとも宿まで港から5分ほど。 |
母島で3泊するのは、パンション「ラメーフ」。 名前などを書き、宿の説明を受けたが、まだ部屋の中には入れないという、”半チェックイン”。 このあと、村の中を見て歩き、そのあと乳房山に行くので、食堂でトレッキングの服装に着替え、荷物をとりだす。荷物は部屋に運んでおくとのこと。 |
最初に港のターミナルに戻り、その中にある観光案内所へ。 清見ヶ岡鍾乳洞への入洞の申し込みのためだ。無料だが名前を書いて、ヘルメットを受け取った。入口に電灯のスイッチがあることと、出たら消すことを言われた。 |
観光案内所のすぐ裏の丘へ。清見寺があり、写真ではその右手に洞窟の入口があった。 |
入口。右側の柱にスイッチがついていて、つけて入った。ヘルメットをかぶっていたが、何度も天井に頭をぶつけたのでヘルメットがあってよかった。 |
内部は2方向に別れていた。両方じっくり見て10分ほど。 内部の整備があまりされていないので、冒険気分になれるが、目をひくものがないので期待外れの感じだった。 |
観光案内所にヘルメットを返し、村の中を歩く。 東京都小笠原支庁母島出張所。 |
小笠原村役場母島支所。 |
小笠原警察署母島駐在所。 下左 「行幸紀念」とあるが、昭和天皇が即位して間もない昭和2年に母島を訪れたときのもの。 下右 母島のメインストリート。誰も歩いてないけど母島の役所などの建物はこの道に沿っている。 |
母島小中学校。 生徒は2021年現在小学生32名、中学生14名。母島の人口の1割だ。父島と同じく、母島も人口構成を見ると若い世代が多い。 学校は周囲に壁があるのが普通だが、ここは植木を別にすると、周囲から隔てる壁がないのが特徴的。 |
ロース記念館。 明治時代に母島の開拓に尽力したドイツ人ロルフスが発見したロース石を用いて建てられた郷土博物館。 下左 ロルフス像。 下右 記念館の内部。 |
島で唯一営業している食堂「大漁寿司」へ。営業は昼食時だけで11時15分から13時と短い。行ったのは開店直後。 |
店内。入店時にはすでに地元客らしき人がきていた。ホワイトボードにたくさんメニューが書いてあるが、これは緊急事態になる前に夜の営業をしていたときのもので、現在の昼だけの営業では、わずかなメニューだけを出していた。 |
冷し中華。 具だくさん。母島産だろうレモンも入っている。 |
昼食後は乳房山に上る。この案内板は中学生がつくったとのこと。 乳房山は標高462m。父島母島を通して最高峰だ。父島の最高峰は中央山319mだが、似た高さの峰が続き、ハートロック登山のさい衝立山301mを通っている。小笠原の最高峰があるのは無人島の南硫黄島で916mの山がある。 |
本来は乳房山ヘは2つのルートがあるが、反時計回りは通行止め区間があり、乳房山へは行けない。 時計回りで乳房山に行き、山頂からは同じ道を引き返すことにする。 |
反時計回りの登山口にて。こちらからは上らず。 |
時計回りの登山口。ここから上りはじめた。 写真左下にあるのは種子除去装置。青いシートで靴底をゴシゴシし、箱の中のスプレーをかけtたが、コロコロが入っていなかった。12時入山。 |
登山口から山道に入った途端、いきなり急坂がはじまりびっくりした。 下左 タコノキ。タコノキ科は世界各地にあるが、小笠原のものは固有種らしい。 下右 オガサワラビロウ。かなり背が高い。 |
30分ほど休みなく連続する急坂を上がると最初の休憩所があった。最初の急坂で高度をかせいだのか、このあとは全般的には傾斜が緩やかになった。 |
休憩所から見た反対側の山。どこかを反時計回りのルートが通っている。眼下には乳房ダムのダム湖が見える。 下左 ダム湖を望遠で見ると、四角い枠が見える。枠の中ではチンゲンサイを栽培している。 下右 朝買ったおにぎりを1つ食べる。 |
登山道の脇に穴があった。穴の開口部は土砂やゴミで半分以上埋まっているが、穴はコンクリートで固めてあって、戦時中の壕であると思った。どのように使われたかとかは案内板がないし、ガイドなしなので不明だが、壕であるのは間違いない。 |
次の休憩所のそばには爆弾の跡があった。写真の右のロープの先に深さ5mほどの穴がある。 下左 穴の中は植物が茂り、穴がわかりにくくなっていた。 下右 説明版。本土空襲で余った爆弾を落ちしていったとのこと。 |
頂上までほとんど眺望がよくないジャングルの中の道だったが、珍しく西側の海が見えた箇所があり撮影。 |
標識を見ると、乳房山1..1km、登山口1.2kmとあり、まだ半分少しかよって感じだった。実際には、このあとは傾斜は緩やかな区間がほとんどで歩きやすかったけれども。 下左 ガシュマルの森があった。 下右 崖をはしごで上がる箇所があった。少し緊張した。 |
眺望のきかないところを歩くのが続き、退屈だったが、ようやく海が見える展望台に出た。 |
海が見えた。一面ジャングル。 |
乳房山0.5kmの案内板。このとき、もうすごそこに山頂があると思ったのだが、この先が長かった。 下左 再び、はしご。 下右 草をかきわけて歩くような道が続き、どこまで歩くのかって感じ。 |
頂上が現れたのは、突然だった。ジャングルがいつまで続くのかと思っていたら、急に視界の開けた広場に出て、そこが頂上だった。所要時間は2時間20分。 |
西側に海かなと思ったのだが、よく見ると集落が見える。ということは、南側だ。 |
集落を拡大。左側の大きな集落が村の中心である。右のほうに港があるが、宿は港の手前にあるが、山かげになり見えない。母島ではわずかな例外を別にすれば人が住むのはこのエリアだけだ。 |
島の北側を見るための展望デッキがあった。 |
北側は霧でほとんど見えなかった。 |
10分滞在して下山。上った道を引き返すのでわかりやすい。 途中、乳房山らしき山が見えた。 登山口に戻ると16時10分。下山は1時間40分ほど。往復で4時間10分かかった。 |
宿に戻る途中で「前田商店」に立寄って、飲物を買う。飲物は父島で買ったものを持参しているが、部屋に入れず冷せてないので、冷えたものを少し買った。 |
宿に戻り、玄関で靴を脱いで、鍵を受取り、部屋へ向かった。 安いビジネスホテルのシングルルームとほぼ同じ。土足でないのが違うくらいか。 下左 窓からの眺め。丘の右手が港。丘の向こう側が役所などのあるエリア。 |
上右 入浴して、ビールを一杯。洗濯機が自由に使えるので、洗濯もする。 左 この宿では、食事の準備ができれば部屋に電話がかかる仕組み。夕食は18個30分なのだが、毎日10分ほど前後して電話がかかった。 写真は2階から見た食堂。 |
夕食の全景。 上列は、香物、ブロッコリーのペンネ、にら玉、ポキ。 中列は、みそ汁、アジフライ、なめ茸。 下列は、豚のごまみそ炒め、里芋の煮物、ご飯。 美味しくいただけた。 |
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