9 日 目 母 島 あ ち ら こ ち ら |
朝食。普通の和朝食。 この日は、島内観光でガイドを手配。前日のようにガイド必須のところには行かないが、母島は路線バスがなく、かわりに有償輸送という制度があるが割高なうえ、不便。 結局、数人のグループの日帰り島内観光4時間の前後に3時間の追加をしてもらうことになった。合わせて7000円で、前日の石門よりは安く済んだ。 |
9時に宿へガイドが迎えにきた。グループ客がははじま丸で到着するのは9時30分なので、それまでに沖港に隣接する脇浜なぎさ公園へ。宿のすぐそばだ。 |
カメの産卵場。カメがここにあがってきて産卵できるようにしてある。 |
生まれた子カメ。 |
アオウミガメ。 |
産卵場の海は鉄柵で仕切られたプールだった。この柵の中で育てられるウミガメが産卵するというわけだ。 |
鉄柵のところから産卵場を見る。 |
鉄柵から海側を見る。防波堤が見えるが、その内側がなぎさ公園で、船が通るのはその外側。 |
芝生の広場と野外ステージ。写真右端に見える階段から展望台に上がる。 |
上左 鮫ヶ崎展望台に上がる。 上右 冬場はこの展望台からくじらが見られるという。 左 展望台の直下の崖下にはさんごが育っていた。 |
9時30分、ははじま丸が入港してきたので、港へ移動。 ガイドはグループ客を連れて戻ってきた。東京からやってきた家族連れで父島から日帰り。 ははじま丸のダイヤの関係で日帰りできる日とできない日がある。この日の帰りの便は14時発で、4時間、家族連れと共に島内観光。 |
最初に南へ向かう。車道の最南端へ。「都道最南端」の看板があるが、中学生が作ったという。 ここから小富士、南崎への遊歩道があり、今回は行かなかったが、機会があれば行ってみたい。 |
都道最南端はロータリーになっている。 |
母島諸島とヘリポート。 |
貯水施設だったかの上に上がっての展望だった。 |
上左 母島独自の標識。 ヤドカリ。 上右 アカガシラカラスバト。 左 メグロ。 |
上左 旧ヘリポート。母島で星空が一番きれいに見えるとのこと。 上右 火力発電所。 ロース記念館にも立寄ったが、母島初日に来たので、屋外の展示などを見ていた。写真は掲載したので省略。 左 桑ノ木山の登山口。かつては固有種のオガサワラクワが多く、山の名になったが、外来種のアカギが駆逐してしまったという。今は地道にアカギの駆除と回復作業が行われているという。 |
西側の海岸が良く見えるところより。 |
探照灯基地跡。10mほど中へ入ったところにある。 |
探照灯の残骸。 |
探照灯基地跡のすぐ北に6本指地蔵がある。車の中からなので、地蔵は見えなかった。 |
東港。 避難港として利用されるだけでほとんど利用されていない。 下 東港から見た石門の山々。前日に石門に行った際、東港を見下ろしたのは、写真の真中の峰の左あたり。 |
東港の山側には特攻艇「震洋」の格納庫もある。入口を撮影のみ。 |
母島北端に近い北村には戦前は集落があった。 北村小学校の跡。樹木が茂り、小学校があったとは思えない。 下左 小学校玄関の階段。 下右 小学校の石垣。 |
北村の港までの間、道路の両側には集落があったが、いまは森になっている。 |
北港。 戦前には、父島からの船は週1便ほどで、北港に立ち寄ってから沖港に向かったという。 |
道路の北端の標識。 |
北港の桟橋跡。 表面はなくなり、セメントに混ぜられたものが露出していた。石がたくさんあるほか、貝殻や茶碗のかけらもあった。 |
この地域は携帯の電波は入らないが、緊急用に公衆電話が設置されている。電話の向こう側には太陽光発電のパネルと発電機が設置されている。衛星利用で100円硬貨が必要(110や119は不要)。 |
軍用車両の残骸だろうか。車中から見たのだが詳細は不明。 |
宿の近くまで戻る。ガイドは本業が農業で、ガイド兼業のようなのだが、ガイドの農園にて昼食タイム。 |
宿で作ってもらったおにぎりをいただく。 |
フルーツロードとよばれる観光客向けの農園。島レモンがとれる状態になっていて、にわかレモン狩り。数個ならとったものを持ち帰ってよいということで、持ち帰った。時期によって、他の果実もできる。 |
家族連れは14時のははじま丸に乗船するので港に立寄り。 |
続いて、小剣先山に上る。役所や商店がある村の中心からすぐのところに登山口がある。 「小剣先山10分」とあり、簡単に上れるんだなって思ったが、大いなる間違いだ。 下左 途中から岩の多い登山道になった。 下右 最後は岩を手で持って上がる岩場だった。25分ほどかかって頂上へ。 |
103mの頂上から見た集落。右手の小中学校の校舎と芝生のグランドを合わせると村の中でかなりの割合を占めているとわかる。 下左 ポールがあっていたが、看板がはずれたのだろうか。 下右 石標があり、「山」の字だけがわかったが、ほかは不明. |
小剣先山の頂上にも、砲台の残骸らしきものが残されていた。 岩場を後向けになって慎重に下山。結局、小剣先山では1時間要した。 ”剣先”と呼ばれる理由もわかった。頂上部の岩場の両側は急崖になっているからだ。 |
つぎに、集落の北西にある静沢の森へ. |
機関砲の残骸のようだが、かろうじて何かわかる程度だ。 |
弾薬庫。時代を感じさせない姿で残っていた。 |
内部には、かつて使われていたものの一部が散乱していた。 |
「静沢101高地防空砲台」。 10年式12センチ高角砲。ほかにも残骸があるが原型をとどめるのはこれだけ。 |
近くに砲座があり、その弾薬庫だったらしい。車で通過したので詳細は不明。 |
軍道には石が敷き詰めらていた。軍道だったところにはこのような石が多く残っている。 |
サンセットシアター。 ここから日の入がよく見えるという。 16時に宿まで送ってもらい、この日の予定が終わるとともに、小笠原での観光も全部終わり。あとは帰るだけだが、台風の影響が心配だ。 |
入浴し、ビールを飲んでくつろぐ。前日買ったものだが、母島で「インドの青鬼」が買えるとはびっくりした。 18時ごろ、洗濯もしながらネットを見ていたとき、重大なことを発見。 翌日15時30分父島発のおが丸は、台風のために、翌々日8時発に変更というのだ。16時30分遅れの出発。台風10号が通り過ぎたあとを通ろうというものだった。 翌日は父島で泊まらねばならない。宿をどうするか。さっそく小笠原ツーリストに電話。 すると、宿の手配もするけれども、おが丸で泊まることができると教えてもらい、おが丸で泊まることにした。このことは、おが丸のHPでは明らかじゃなかったので電話してよかった。 もし、この日、父島で泊まっていたなら、島内放送でおが丸の遅延と船で泊まれることが報じられたので簡単に知ることができたのだが、母島にいたのでわからなかったのだ。 |
夕食。 上列 香物、冷しがんも、筑前煮、豚のしょうが焼き 中列 ソデイカの刺身、マグロカツ 下列 ご飯、筑前煮 小笠原の宿での最後の夜をすごした。 |
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