9 日 目 母 島 あ ち ら こ ち ら |
![]() この日は、島内観光でガイドを手配。前日のようにガイド必須のところには行かないが、母島は路線バスがなく、かわりに有償輸送という制度があるが割高なうえ、不便。 結局、数人のグループの日帰り島内観光4時間の前後に3時間の追加をしてもらうことになった。合わせて7000円で、前日の石門よりは安く済んだ。 |
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![]() 上右 冬場はこの展望台からくじらが見られるという。 左 展望台の直下の崖下にはさんごが育っていた。 |
![]() ガイドはグループ客を連れて戻ってきた。東京からやってきた家族連れで父島から日帰り。 ははじま丸のダイヤの関係で日帰りできる日とできない日がある。この日の帰りの便は14時発で、4時間、家族連れと共に島内観光。 |
![]() ここから小富士、南崎への遊歩道があり、今回は行かなかったが、機会があれば行ってみたい。 |
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![]() ヤドカリ。 上右 アカガシラカラスバト。 左 メグロ。 |
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![]() 上右 火力発電所。 ロース記念館にも立寄ったが、母島初日に来たので、屋外の展示などを見ていた。写真は掲載したので省略。 左 桑ノ木山の登山口。かつては固有種のオガサワラクワが多く、山の名になったが、外来種のアカギが駆逐してしまったという。今は地道にアカギの駆除と回復作業が行われているという。 |
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![]() 避難港として利用されるだけでほとんど利用されていない。 下 東港から見た石門の山々。前日に石門に行った際、東港を見下ろしたのは、写真の真中の峰の左あたり。 |
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![]() 北村小学校の跡。樹木が茂り、小学校があったとは思えない。 下左 小学校玄関の階段。 下右 小学校の石垣。 |
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![]() 戦前には、父島からの船は週1便ほどで、北港に立ち寄ってから沖港に向かったという。 |
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![]() 表面はなくなり、セメントに混ぜられたものが露出していた。石がたくさんあるほか、貝殻や茶碗のかけらもあった。 |
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![]() 「小剣先山10分」とあり、簡単に上れるんだなって思ったが、大いなる間違いだ。 下左 途中から岩の多い登山道になった。 下右 最後は岩を手で持って上がる岩場だった。25分ほどかかって頂上へ。 |
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![]() 下左 ポールがあっていたが、看板がはずれたのだろうか。 下右 石標があり、「山」の字だけがわかったが、ほかは不明. |
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![]() 岩場を後向けになって慎重に下山。結局、小剣先山では1時間要した。 ”剣先”と呼ばれる理由もわかった。頂上部の岩場の両側は急崖になっているからだ。 |
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![]() 10年式12センチ高角砲。ほかにも残骸があるが原型をとどめるのはこれだけ。 |
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![]() ここから日の入がよく見えるという。 16時に宿まで送ってもらい、この日の予定が終わるとともに、小笠原での観光も全部終わり。あとは帰るだけだが、台風の影響が心配だ。 |
![]() 18時ごろ、洗濯もしながらネットを見ていたとき、重大なことを発見。 翌日15時30分父島発のおが丸は、台風のために、翌々日8時発に変更というのだ。16時30分遅れの出発。台風10号が通り過ぎたあとを通ろうというものだった。 翌日は父島で泊まらねばならない。宿をどうするか。さっそく小笠原ツーリストに電話。 すると、宿の手配もするけれども、おが丸で泊まることができると教えてもらい、おが丸で泊まることにした。このことは、おが丸のHPでは明らかじゃなかったので電話してよかった。 もし、この日、父島で泊まっていたなら、島内放送でおが丸の遅延と船で泊まれることが報じられたので簡単に知ることができたのだが、母島にいたのでわからなかったのだ。 |
![]() 上列 香物、冷しがんも、筑前煮、豚のしょうが焼き 中列 ソデイカの刺身、マグロカツ 下列 ご飯、筑前煮 小笠原の宿での最後の夜をすごした。 |
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