8 日 目 平 泉 |
朝食。左上は、チキンライス風の炊き込みご飯。コンフォートホテルの朝食では、洋風の炊き込みご飯が多い。 下左 デザートとコーヒー。コンフォートホテルのデザートのフルーツにはマンゴーがよくだされるのがいい。 下右 朝食会場。 |
北上駅の在来線ホーム。新幹線駅との間にかなりの線路がある。 下左 平泉まで乗車した一ノ関行き電車。東北地方の交流電化区間の標準型だが、ほとんどがロングシートだけなので快適ではない。(秋田地区に一部、クロスの車両があり、後日乗車。) 下右 平泉到着。 |
平泉駅。 下 1日乗車券を利用。 |
るんるん号で移動。 下 最初の訪問先は毛越寺(もうつうじ)。 奥州藤原氏の時代には中尊寺をしのぐ規模であったという。天台宗の別格本山でここも世界遺産。 |
芭蕉の句碑。左の小さい方が、「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」を芭蕉の直筆で彫ったもの。 字がわからなくなっていた。この碑の横に木製の案内柱があって、芭蕉句碑と示されていると複数のHPにあり、写真も見たのだが、なくなっていて、見逃しかけた。 |
毛越寺は、建築時のものが現存あるいは再建されたものはわずかで、ほとんどが建物跡だ。 |
本堂は平成元年に再建されたもので、とてもきれいで、古刹らしからぬ感じだった。 |
池の周囲を一周。建物跡がいくつもあった。 |
観自在王院跡。 毛越寺の東に隣接していて、毛越寺に匹敵する寺であった。室町時代に焼けたあと、水田になっていたが、昭和になり発掘がおこなわれ、昭和54年に遺跡公園になった。 |
奥州藤原氏の時代、重要な山とされた金鶏山に上がってみた。 登山口を入ると、すぐに源義経の妻子の墓があった。 下左 結構、急な坂を上った。 下右 頂上には昭和になってたてられた祠以外には何もなかった。」 |
平泉文化遺産センター。ビジターセンター的な施設だが、無料とは思えない充実ぶり。撮影はできない。 毛越寺からバスに乗るほどでもない距離で訪問地があったが、ここから中尊寺までは少し距離があったので、バスに乗車。 |
上左 中尊寺バス停で下車。 上右 すぐに昼食。「衣関屋」に入店。 左 「もち・そばセット」にした。もちは、左からしょうが、ずんだ、じゅうねん。じゅうねんは、ごまの一種のようだが、よくわからなかった。 |
中尊寺に入る。参道は長い坂道だった。 |
本堂に参拝。 鎌倉時代に焼け、明治に再建された。本尊の横に"不滅の法灯"がある。比叡山延暦寺から分けた灯だ。 |
金色堂に到着。 この階段の下から撮影した写真は教科書ででも使われている。建物は金色堂を覆う建物だが、教科書で見て、これが金色堂か、でも金色じゃないなってずっと思っていた。 この覆いの中に金色堂があることを初めて知った。 |
覆いの中は撮影禁止。確かに、金色に輝く金色堂が透明のケースの中に入れておかれていた。 中尊寺では金色堂(その横の宝物館とセットで)だけ拝観料がいった。 |
鎌倉時代に建てられた覆い。昭和38年に現在の覆いができるまで、金色堂を守ってきた。 鎌倉時代から金色堂が保存されてきたことと、その後、火災などがおこらなかったことは驚いた。 |
白山神社の能舞台。ここは今でも使われていて、毎年、有名な役者による公演がおこなわれている。 下左 門前に戻るとホットワインを売っていたので飲んいく。 下右 「森のアダージョ」という銘柄で、花巻市の「エーデルワイン」製造。 |
平泉文化史館に行ったが閉館中。ネットでも閉館情報はなく、どうしてだったんだろう。 |
卯の花清水に立寄るため、バスには乗らずに移動。 芭蕉が句に詠んだ清水。 |
高館義経堂。 奥州藤原氏の屋敷があり、義経はその一角にかくまわれていたが、頼朝の圧力で、藤原泰衡は義経を自害に追い込んだ。ここは義経が暮らし、自害した地。 下 北上川がよく見える高台にある。 |
無量光院跡。 かつての寺院跡。遠くに水色の帯が見えるが、JRの貨物列車。 ここの前にバス停があるのだが、雨が降ってきたうえ、バスが大幅に遅れていた。 バスは満員で、途中のバスて"次のバスに乗ってください"と通過。 |
本来は下車予定だった柳之御所遺跡はバスからの車窓見学にとどめた。 ここには奥州藤原氏の政庁があった。写真で真中右に建物が見えるのがガイダンスセンター。 バスは平泉駅まで乗車。 |
平泉駅は大勢の客でごったがえしていたが、一ノ関行きが出るとすいた。割引切符を使って東京方面からやってきた客が多かったようだ。 盛岡方面の電車は、それほど混まず、北上まで座ることができた。写真は北上到着時。 |
上左 夕食は北上駅近くのラーメン店「みちのくラーメン」へ。 上右 店内。 左 チャーシュー麺。 |
餃子もいただいた。 宿に戻り、1日を終了。 |
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