14 日 目 大間崎と下風呂温泉 |
![]() デザートとコーヒーは、乗るバスが早い出発のため、いただかなかった。 |
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![]() ターミナル内のコインロッカーに荷物を預けた。 |
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![]() 大間崎は突出した岬ではなく、円弧を描いた海岸の一番北の部分で、あっけない感じ。 それに、海岸を通る道路の陸側には土産物屋などが並び、本州の一番北とは思えない。 |
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![]() 左 この付近が、本州最北と思われる。 下 北海道を見る。函館の街が見えて感動した。函館がこんなに近いとは、、写真ではわかりにくいが、白い点が函館の建物。 |
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![]() 大間でマグロを食べさせる店でも大間産じゃないマグロだったというネット情報を見たことがあるので、ここのマグロは大間産かと尋ねてみた。うちは大間産しかだしません、とちょっと不愉快そうに言われてしまった。尋ねなくてもよかったかな。 |
![]() 大トロ2きれなどもっとたくさんマグロの入ったマグロ丼を食べたかったが、朝食がまだお腹に残っていて、やめておいた。 下 フェリーターミナルへ大間の街を見ながら歩いた、途中、大間崎より函館がよくみえるところがあった。 |
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![]() コインロッカーから荷物を取り出すと、間もなくバスがやってきた。 |
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![]() 上右 バス停から1分ほどのこの日、泊まる「ニュー下風呂」に荷物を預ける。 左 「ニュー下風呂」の斜め向かいにある「あさの」で昼食にする。 |
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![]() 下風呂駅の予定区間では、アーチ橋が作られた。しかし、やがて資材不足で工事は中断。戦後になって、工事中止になった。 |
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![]() 池の中には神社がある。2つに岩は夫婦岩で綱で繋がれている。 |
![]() 池のまわりに、新島襄と井上靖の碑がある。 |
![]() 同志社創立者、新島襄は1864年、米国へ渡航したが、米国への船が出る箱館に行く途中、下風呂温泉に立寄っていることから碑がたてられた。 |
![]() 井上靖は昭和33年に下風呂温泉で小説「海峡」を書き上げた。碑は彼の散文詩が彫られている。自筆のようだ。 |
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![]() 玄関の右手にバス停があり、下風呂温泉についたときはここで下車した。 |
![]() この浴槽は「大湯」で白濁している。この右側に透明な「新湯」がある。どちらもヒバつくりの浴槽。 |
![]() 「井上靖ゆかりの湯」があった。湯は「大湯」のようだ。 |
![]() 「海峡の湯」がある場所には、かつて旅館があり、井上はそこに泊まったのだという。なるほど「井上靖ゆかりの湯」ってのも、そういうことだったんだってわかった。 |
![]() とても新しい施設だた思っていたが、開業は2020年12月だった。 開業前には、「大湯」「新湯」という公衆浴場が別々にあったが、それをまとめる形でここができたようだ。 |
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![]() 部屋は典型的な旅館らしい和室。 |
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![]() 部屋で休んでいると、村内放送があった。 京都の同志社中学に交流に行った生徒たちが三沢に着き、村に戻るのは7時ごろだと。 修学旅行を兼ねて、京都で同志社中学を訪問したんだろう。なぜ同志社かというのは、先ほど、新島襄の碑を見たのでよく理解できた。 |
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![]() 下 夕食は部屋食だった。くつろいで食べることができた。 |
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![]() 上右 夜に飲むつもで買って持参していたプレモル無濾過も飲んだ。 左 鍋の中味。1つは、あわび、もう1つは、海鮮みそ鍋。 |
![]() 食後、布団を敷いてもらい、1日を終えた。 |
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