16 日 目 五所川原と金木 |
朝食。しっかりいただいた。 下左 デザートとコーヒー。 下右 食事会場。 |
上左 青森駅前バスターミナルから五所川原駅前行きのバスに乗車。 途中、JR大釈迦駅付近まで、JR線とほぼ同じ経路を通った。 上右 スマートフォンの地図をにらめっこしながら、泊る宿に近い「大町」バス停で下車。 左 「サンルート五所川原」で2泊する。荷物を預けて、身軽になって行動開始。 |
立佞武多館へ。 高層の建物なので、どうしてかと思いながら行った。 |
入館してみて、高い理由がわかった。巨大な立佞武多の保管施設、制作施設でもあるのだ。 五所川原のねぷたの特徴は、高さ約23m、重量約19トンの立佞武多が3基あること。これを保管するには、かなりの高さが必要なのだ。 立佞武多は大正時代までつくられていたが、昭和になると電線のために小型化し、廃れていった。設計図が見つかったことから、1996年に80年ぶりに制作され、以後、まぷたのときに運行している。毎年1基が作られ3年間使われる。立佞武多館ではその3基が保管されている。 |
吉幾三コレクションミュージアムへ。 吉幾三さんは五所川原の出身。彼の使った楽器や衣装、賞で獲得したものやレコード、ポスター、写真などが展示されていた。 |
太宰治思ひ出の蔵へ。 太宰の生家は金木だが、太宰のおばが暮らした五所川原の蔵にもよくやってきた。 五所川原の中心部は大火で古い建物がほぼ全焼したが、この蔵は焼け残った。ここに太宰関係の資料が展示されている。 |
上 JR五所川原駅はこの写真のさらに右手にある。 写真の右の建物が津軽鉄道の津軽五所川原駅。左が津軽鉄道本社。 左 津軽五所川原駅の駅舎内。左側に出入口がある。 |
上 時刻表は昔ながらの縦書き、漢数字。往時の国鉄駅の時刻表を思い出させる。 ストーブ列車は40年前に乗車したことがあるが、鈴虫列車や風鈴列車は知らなかった。 左 1996年製の気動車。手入れされているためか、もっと新しく感じる。「走れメロス」というサボがついている。 |
12〜翌年3月に運行されるストーブ列車の客車が留置されていた。 40年前に乗車した。そのときは無料だったが、有料になり、今では500円の料金が必要。 下左 駅名標。 下右 気動車の車内。 |
上左 車窓は一面、農地が広がるが、このときは土だけ。 上右 金木に到着。駅名標。 左 金木駅舎。最近建てかえられたのだろう。 |
太宰治疎開の家。 |
裏手から外観が見られた。 |
ここは津島家の屋敷の離れだったところ。ここは斜陽館のはずれにあった。ここで東京から疎開していた太宰は小説を書いたという。 太宰の死後、青森県知事にもなった太宰の兄が屋敷の大部分を売却。それが斜陽館。 離れは曳家され、今の地に移動。兄が住んだが、死後は売却された。その後2018年から公開。 |
太宰が執筆活動を行った部屋。疎開中に23作品を書いたという。 写真からわかるように離れとはいえ、かなり広くて、それだけで大きな邸宅だ。これだけ広い家を曳家したというのも驚き。 自分としては、斜陽館よりも、ここのほうがより関心がもてた。 |
洋室もあった。 これらは元々は斜陽館のそばにあり、太宰が執筆活動をしたのも斜陽館のそばにこの離れがあった時代だ。 |
上左 昼食に入ったのは「多古軒」。 上右 店内。 左 しじみラーメンを食べた。しじみはここからも近い十三湖の名産。 |
斜陽館。 太宰の生家。売却されたあとは長らく旅館として使われた。 |
内部はとてつもなく広い。 |
2階には来客の応接室があり、洋室だった。 |
太宰が生まれた部屋。 |
津軽三味線会館へ。 津軽三味線の演奏を聞き、展示を見学。 下 30分ほど歩いて蘆花公園へ。 池に浮橋があったので行ってみた。 |
上左 浮橋の方へ。 上右 浮橋の入口に通行止の掲示があり、引き返した。 左 芦花公園を歩き、金木に戻った。斜陽館の前の道の駅で「ぺったら餅」買って、いただいた。 |
金木から津軽鉄道で津軽五所川原へ。そして、ホテルサンルートに戻る。 チェックインし部屋へ。 |
窓側から入口側を撮影。 |
五所川原では旅行支援クーポンの使える飲食店は多くない。使える店を調べて、向かったのは立佞武多館そばの「久兵衛」。 |
左左 個室にわかれた店だった。 左右 生ビール。 |
お通し。タコ酢とみそ汁。 |
上左 カルビ。 上右 野菜セット。 左 店の外観からはわからなかったが、焼肉がメインの店で。肉、野菜を焼く。 |
上左 冷酒「菊乃井」。 上右 醸造所は黒石市の「鳴海醸造店」。 左 豚串。 |
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